第18話:死に際の違い_捕食逆転編⑤
ーー久世フェーズ
前世で死んだ時。
走馬灯など、見なかった。
デポルに刺された。
身体から熱が失われていった。
痛いのか。
もう、麻痺しているのか。
それすら分からなかった。
後悔。
絶望。
怨嗟。
視界が暗くなる。
音が遠ざかる。
そして、鼓動が止まった。
人は、こうやって死ぬ。
想像していたより、ずっと静かだった。
だからこそ。
どうしようもなく、恐ろしかった。
気がつけば、俺は過去へ戻っていた。
勉強した。
身体を鍛えた。
デポルを狩った。
楽しいわけではない。
それでも、狩らなければならない。
一匹殺しても、満たされない。
十匹殺しても、終わらない。
すべて消さなければ、気が済まない。
だが。
その執念も。
今、この瞬間に終わろうとしている。
あの夜と同じだった。
デポルに刃物を突き立てられ。
血を失い。
身体が冷えていく。
(……だから、嫌なんだよ)
一番許せないのは、自分だった。
弱い。
未熟。
傲慢。
八年間、積み上げてきた。
それでも。
俺は、まだ弱い。
(今度こそ、これで終わりか)
口の中に、血の味が広がる。
あの時と同じ。
死ぬ時の味だった。
「……久世くん!」
遠くで、誰かの声がした。
加藤か。
そう思った瞬間。
頬に、鋭い痛みが走った。
「……っ!?」
加藤に、思い切り叩かれていた。
さらに。
右手が、俺の身体へ強く押し当てられる。
(死体に鞭打つを、ここまで忠実に再現するとは)
口元が、わずかに緩んだ。
こんな状況でも笑えるとは思わなかった。
その直後。
心臓が、大きく跳ねた。
(……何だ?)
血が巡る。
速い。
自分の身体を流れる血の動きまで、分かるような感覚。
意識が、急速に鮮明になる。
止まりかけていた身体が、再び動き始めた。
出血すら。
わずかに収まっているように感じる。
(来た)
間違いない。
「……これが、火事場の馬鹿力というやつか」
本当にあるらしい。
身体が動く。
理由など、後で考えればいい。
動けるなら。
やることは決まっている。
「ありがとう」
加藤へ視線を向ける。
「続きは、俺がやる」
その表情を見て。
一瞬だけ、思考が止まった。
恍惚。
そんな言葉が、頭に浮かんだ。
中学生の頃。
一人の少女を助けたことがある。
俺が暴力を振るう姿を見て、少女は怯えていた。
それが、普通の反応だ。
人が人を壊そうとする場面を、目の前で見せられたのだから。
(彼女たちは、元気だろうか)
吉田姉妹。
あれから、もう長い。
だが。
今は、それどころではない。
あの時の少女とは違う。
加藤は。
俺の暴力に、見惚れている。
(……怖いな)
雑念を振り払う。
今、考えるべきことではない。
まずは、状況を整理する。
先ほど殴り飛ばした大男は、まだ床に倒れている。
椅子で叩いた三人は、立ち上がろうとしていた。
「よし」
一番近くにいた目出し帽を見る。
「まずは、一番弱そうなあなたから」
右拳を叩き込んだ。
「えっ……」
軽い声が漏れた。
次の瞬間。
目出し帽の身体が、教室の窓を突き破った。
廊下の壁へ叩きつけられる。
教室が、静まり返った。
全員が。
俺を見ている。
怯えた目。
理解できないものを見る目。
(そうだ)
それが、普通だ。
だが。
加藤だけは違った。
恐怖ではない。
理解でもない。
ただ。
純粋に、俺の暴力を見つめている。
「……まあ、いい」
今は。
考えるだけ無駄だ。
「動けるうちに、削る」
小柄な目出し帽が、ナイフを手に突っ込んでくる。
見える。
視線。
重心。
踏み込む足。
刃の軌道。
背後から近づく気配まで。
すべて。
「まずは、あなたから」
身体を沈める。
背後から近づいていた、長い髪の目出し帽へ蹴りを入れる。
その反動を使い。
返す足で、小柄な目出し帽の腹を蹴り抜いた。
身体が折れる。
すぐに振り返る。
長い髪の目出し帽の頭を掴み、机へ叩きつけた。
一度。
二度。
三度。
「やめろ!」
小柄な目出し帽が、ナイフを投げる。
刃が、回転しながら迫ってきた。
手を伸ばす。
柄を掴む。
そのまま、投げ返した。
ナイフが、小柄な目出し帽の脚へ突き刺さる。
声を上げるより早く、距離を詰めた。
腹へ蹴りを入れる。
足先に、重い感触が返ってきた。
身体が崩れる。
これで。
三人の動きは止まった。
残るのは。
大男のデポル。
ゆっくりと、立ち上がっている。
「お待たせしました」
息を吐き、構える。
「ダマレ! コロシテヤル!」
「宣言せずに、さっさとやればいいじゃないですか」
デポルが、声を上げながら突進してくる。
遅い。
先ほどまでとは、まるで違う。
(ゴミ屑が)
最短距離で踏み込む。
腹へ拳を叩き込んだ。
硬い。
だが。
この感触は、初めてではない。
一発で壊れないなら。
削ればいい。
拳を避ける。
脇腹へ打ち込む。
木刀を外す。
顎へ拳を入れる。
ナイフをかわす。
腹へ膝を叩き込む。
確実に。
少しずつ。
削れている。
(このまま、終わらせる)
その瞬間。
腹に刺さっていたナイフが、引き抜かれた。
血が溢れる。
間髪入れず。
下腹部から胸元へ、刃が走った。
服が裂ける。
皮膚が開く。
血が噴き出した。
(痛覚が鈍くなっているのか)
痛くない。
だから。
止まらない。
拳。
肘。
膝。
脛。
これまで、デポルを壊すために磨いてきたすべてを叩き込む。
休ませない。
反撃させない。
ただ。
壊れるまで、続ける。
「これで」
右足を振り上げる。
「最後です」
蹴りが、デポルの首へ直撃した。
骨を折る感触まではない。
だが。
大男の目から、力が消えた。
白目を剥き。
そのまま、床へ崩れ落ちる。
「……はぁ」
呼吸が乱れる。
「はぁ……」
まだ。
殺し切れていない。
ここで終わらせなければ。
そう思った。
だが。
身体が、急速に冷えていく。
全身から、力が消える。
火事場の馬鹿力。
その時間が。
終わった。
「あ……れ」
視界が揺れる。
膝が落ちる。
そのまま、床へ倒れた。
痛みは、まだ遠い。
代わりに。
いくつもの声が聞こえた。
加藤。
山上。
クラスメイト。
教師。
誰かが、俺の名前を呼んでいる。
(……うるさいな)
前世では。
一人で死んだ。
今回は。
大勢に囲まれて、死ぬのか。
(誰が死ぬか)
こんなところで。
こんな雑魚一匹、殺し切れずに。
終われるはずがない。
俺の物語は。
すべてのデポルを消すまで、終わらない。
使えるものは。
全部使う。
「俺の……」
声が、うまく出ない。
「どうした、久世!」
山上の声。
「携帯……」
「何?」
「俺の……携帯電話……」
山上が周囲へ叫んだ。
「探せ!」
ぐちゃぐちゃになった教室で。
皆が、俺の携帯電話を探し始める。
瀕死の俺を、床へ放置して。
(……何だ、この光景)
少しだけ。
笑いそうになった。
「あったぞ!」
誰かが、携帯電話を差し出す。
山上が通話履歴を開く。
一番上の番号へ発信した。
呼び出し音。
すぐに、相手が出る。
「はい。今忙しいから、後にして。切るで」
ひとみの声。
「貸したものを……」
声を絞り出す。
電話の向こうが、静かになった。
「……何?」
「いつぞや……助けた……恩を」
息が続かない。
「返して……ください」
短い沈黙。
ひとみなら。
これだけでも、ただ事ではないと分かる。
「分かった」
声の調子が変わった。
「言え」
「高校に……デポルが侵入」
一度、血を吐く。
「生徒と教師への……暴行事件」
「弁護依頼やな?」
「……ええ」
「他は?」
「報道規制を……お願いします」
電話の向こうで。
ひとみが短く息を吐いた。
「引き受けた」
即答だった。
「今から、そっちへ行く」
「それと……」
「まだあるんか」
「俺の処遇は……」
視線を動かす。
加藤が、こちらを見ている。
青ざめた顔。
泣きそうな目。
それでも。
逃げずに立っていた。
「加藤めぐみに……託します」
それだけ伝えた。
携帯電話を握る力が抜ける。
視界が、完全に暗くなった。
前世では。
何も託せなかった。
誰にも頼れなかった。
今回は。
少しだけ違う。
そんなことを考えながら。
俺の意識は、途切れた。




