表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/5

第1話:表の顔

大阪の朝は、少しだけうるさい。

車の走行音、信号の電子音、誰かの笑い声。 全部が重なって、頭の奥にじんわり残る。

その中を歩きながら、俺は無意識に右手を見ていた。包帯は巻いていない。

昨夜、あれだけ殴ったのに、見た目はほとんど元に戻っている。腫れは引いているが――痛みだけが、しつこく残っていた。


(傷や怪我が早くなる体質?...能力?な訳ないか)

 

拳を軽く握ると骨の奥が、じくりと軋む。


(何かを殴るということは、殴る方も痛いのね)


視線を前に戻す。

高層ビルの隙間から差し込む朝日が、やけに白い。

我が故郷、徳島とは違う空気だ。人も多いし、情報も多い。そしてゴミも多い。


昨夜の光景が、一瞬だけ脳裏に浮かぶ。

路地裏。血。崩れ落ちる体。

すぐに意識から切り離す。


(考えるのはやめよう)


意味はない。

どれだけ殴っても、何も埋まらないことくらい、もう分かっている。


(……それでも、やめるわけにはいかない)


小さく息を吐き、足を進めた。

古びた雑居ビルの三階。

小さなプレートに、「水谷ひとみ法律事務所」と書かれている。

ノックをする前に、ドアが勢いよく開いた。


「遅い!」


開口一番、それだった。


「いや、約束の時間ぴったりですけど」

「社会人は五分前行動や!」


バシン、と背中を叩かれる。

昨日と同じだ。

そして、昨日の怪我と相まって、悲鳴を上げそうなほど痛い。


(五分前行動。それ相手によるんですよね…)


「……昨日も思ったんですけど、普通に暴力ですよそれ」

「アホ言え、愛のムチや」

「ムチって言うならもうちょっと細くしてもらっていいですか」

「おもろいやん自分」


ゲラゲラと笑う。

この人のテンションには、まだ慣れない。

明るめの茶髪で、丸みを帯びたショートヘアー。

目はぱっちりしているがやや吊り目で、以下にも気が強いです!といった印象を受けるモデル体型の容姿をした典型的な関西人。


(これが俗にいう「残念美人」というやつか)


「ほら入れ」


中に通される。

ここに来るのは数度目だが、常に綺麗な事務所だ。

書類は整理されているし、机の上も無駄がない。


(まだ見たことはないが、事務員さんがちゃんとしてるんだな。この人ではなくて)


「で、アンタその体どないしたん」


どこかに包帯を巻いているわけでもないのに、鋭い質問が飛んでくる。


「どうもしてないですけど、何のことですか?」

「なんかこの前会った時より、身体の軸がブレてる気がする」


(この人怖っ。そんなものアニメでしかきないセリフだ。

身体の軸がブレるって何!?昨日やられた背中がまだ痛むけど。さっきのあんたのせいでな!)


「昨日不良に絡まれましてね。治安悪すぎません?大阪」

「で、その不良どないしたん」


鋭い眼力が、俺が目を逸らそうとするのを拒む。


「追い払いました」

「前、私を助けてくれた時みたいに、大暴れしたんやろどうせ」

「はい、まあ」

「別にええけど、もっと明るいところ通れよ」


気をつけまーす、と気のない返事で会話は終わった。

この人はどこまで掴んでいるのだろうか。

でも、踏み込んではこない。その距離感が、少しだけありがたかった。


「で、本題やけどこの前あんたが提案してくれたビジネスの件、やろうや」


先日、路地裏で不良たちに絡まれていたこの「水谷ひとみ」弁護士を助けたことがきっかけで、

事務所でアルバイトをさせてくれるというものだった。

俺には、しこたま金を稼ぐ理由があるため、アルバイトだけではなく、協業の提案も行なった。


「法人企業に対して、ホームページ制作を行うスキルを持っているので、ひとみさんのお客様を紹介してほしい。制作が契約となったら売上の十%を支払います。」


今日はこの提案の答えを聞きに来たのだった。


「中々面白いやん、自分十六歳やろ?」

「はい、もうじき」

「七歳から司法試験の勉強始めたって言ってて、この前司法試験受かったんよな?」

「はい」

「史上最年少で司法試験受かるくらい勉強してたのに、なんでホームページ制作のスキルあんねん。いつ勉強したん」

「別にそこまで難しいことではないので」

「あー!嫌味ったらしい奴。天才様にはできんことはないんですね!!」


とにかく絡んでくる。それもそのはず、俺「久世恒一」は現在十五歳だが、先日司法試験に合格した。

その最終試験の帰りに、ひとみを助けたのだ。


それから残念ながら俺は天才ではない。不器用も不器用、脳内スペックも高くとも中の下。

「頭が一時的に良くなる魔法」や「チート能力でどうにかした」というようなことは当然ない。

ただ俺は、昔思い描いたことを実現するだけの時間があったから、この結果を手に入れたに過ぎない。

劇的な変化も能力の向上も残念ながら前世のままだ。


ひとみが続ける。


「仕事は簡単や。雑務、書類整理、あと雑用。その合間で、あんたのホームページ制作営業をやって売上作ってきて」

「雑用多いですね」

「新人やからな」

「助けたお礼に、という話だったのに、こちらが良いように使われていませんか?」

「人生経験や」


(それで言うなら俺のほうが歳上な気もするが)


「……分かりました。ではこの条件でお願いします」

「よっしゃ」


 満足そうに頷く。


「今日はこんなもんでええわ、それはそうとほんまに毎週末来れるんやろな。あんた家徳島やろ」


(えっ?今更?)


それもそのはず、二〇〇五年当時では、徳島で司法試験の最終試験(三次試験)は大阪や東京などでしか行われていなかったのだ。


「はい、毎週末来ますし、長期の冬休みとか夏休みも全部来ます。稼がないとね」

「ご苦労なことで」


自分で確認したにも関わらず、二秒後には興味のないそぶりを見せている。

徳島県の高校に通う俺は、この四月からひとみとの雇用関係が始まる。

週末や長期休みを利用して、徳島、大阪間を高速バスで行き来する予定だ。

一つ目は、弁護士としての経験を積むため、二つ目に金を稼ぐためだ。

三つ目は…今はよそう。後術する。


俺はこの人生を、自己満足(復讐)のために使うと決めている。

そのために、勉強も肉体強化も一切手を抜かず、研磨してきたつもりだ。

事務所からの帰り道、昨日とは別の路地裏をあえて歩く。

またしても、いや予想通りドス黒い肌色をした連中に取り囲まれる。


「すーーーーー、ふぅぅぅぅ」


緊張を解きほぐすための、一回だけの深呼吸。

力一杯握り込んだ拳の痛みで、震える身体を無理やり動かす。


(今日は五匹もいる)


自然に口角が上がる。自分でも分かる。ろくでもない顔をしているのだろう。

そんな瑣末なことには目を背ける。

俺は拳を固め、連中に向けて走り出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ