第133話:正義_執行編①
二〇二五年一月。
社会保全省が管理する収容施設は、刑務所を改修して造られていた。
高い塀。
監視塔。
幾重にも重ねられた鉄格子。
かつては、人間の受刑者を収容していた場所だ。
現在、その内部にいるのは、登録制度によって危険と判定されたデポルだけだった。
殺人。
強盗。
性犯罪。
傷害。
戸籍の奪取。
過去に人間を襲い、今後も衝動を抑えられないと判断された個体。
裁判と再審査を経て、刑の執行が確定した者たちが集められている。
その数、千二百六十一体。
午前四時。
俺は社会保全大臣のめぐみとともに、施設を訪れた。
正門の前には、刑務官と社会保全省の職員が整列している。
誰一人、口を開かなかった。
俺たちが今日、何をしに来たのか。
全員が知っている。
「最初の二百人の移送は完了してる」
隣を歩くめぐみが言った。
「対象者は全員、地下執行区画に入った。本人確認にも誤りはないよ」
「刑務官は」
「指示どおり、全員を区画外へ出した」
「ありがとう」
施設内へ入る。
廊下の両側には、無人の監視室が並んでいた。
通常の死刑執行なら、刑務官が受刑者を執行室まで連れていく。
目隠しをして。
足を縛り。
首へ縄をかける。
最後に、複数の職員が同時にボタンを押す。
誰が死刑囚を落としたのか。
執行した本人にも分からない仕組みになっている。
罪悪感を、一人へ背負わせないためだ。
だが、今日は違う。
執行に関わる刑務官は、一人もいない。
命じたのは、俺だ。
ならば、俺がやる。
俺がやらなければならない。
地下へ続く階段を下りる。
鉄製の扉を二つ抜けると、巨大な監視室へ出た。
正面の防火ガラス。
その向こうに、地下執行区画がある。
二百体を一度に収容できる広さを持つ、コンクリート造りの空間。
以前は、刑務作業に使われていた場所だった。
現在、その中央には巨大な可動床が設置されている。
床の下にあるのは、脱出できない深さの穴。
底一面から、無数の鋼鉄製の杭が突き出していた。
先端は鋭く尖り、人間の胴体を貫ける太さがある。
底と壁には、すでに燃料が撒かれている。
可動床を開けば、収容されたデポルは一斉に落下する。
そして、俺が火をつける。
一度に執行できるのは、二百体。
これを七回繰り返す。
最後の一回は、六十一体。
それで、千二百六十一体の刑を一日で執行できる。
数か月かけて、一体ずつ絞首刑にする必要はない。
何十人もの刑務官を拘束する必要もない。
食事も。
監視も。
収容する房も。
明日からは、必要なくなる。
「全員の顔を見る?」
めぐみが尋ねた。
監視卓には、収容されたデポルの情報が表示されている。
氏名。
使用していた戸籍。
罪状。
被害者。
判決。
一体ずつ確認すれば、何日かかるか分からない。
「本人確認は済んでるんだよね?」
「うん」
「なら、必要ないね」
「めぐみも部屋から出ていてくれ」
「……いや。私も――」
「出てくれ」
めぐみは、何か言いたげな表情を残し、部屋を出た。
俺は監視卓の前へ立った。
ガラスの向こうから、ざわめきが聞こえてくる。
執行区画へ集められたデポルたちは、まだ床の仕組みに気づいていない。
拘束されている者はいなかった。
逃げられる場所もない。
武器もない。
それでも、二百体のデポルを刑務官が直接扱えば、必ず犠牲者が出る。
だから職員を外へ出した。
誰も危険を冒す必要はない。
誰も手を汚す必要はない。
俺以外は。
監視卓の音声装置を起動する。
同時に、執行区画の声を拾う集音装置も作動した。
「聞こえますか」
俺の声が、執行区画へ流れた。
ざわめきが消える。
いくつもの顔が、監視室の方を向いた。
『誰だ……?』
『何が始まるんだ』
『ここから出せ!』
防火ガラスの向こうで上がった声が、監視室のスピーカーから重なって聞こえる。
「これより、刑を執行します」
一瞬、静寂が訪れた。
直後。
怒声が、スピーカーから一斉に流れ出した。
『待て!』
『審査をやり直せ!』
『俺は殺してない!』
『人間に命令される筋合いはない!』
床を蹴る音。
扉へ体当たりする音。
互いを押し退け、出口を探す音。
その中に、命乞いをする声も混じっていた。
『もう誰も襲わない!』
『監視を受け入れる!』
『何でもする!』
『頼む!死にたくない!』
人間と変わらない声だった。
死を怖がり。
生きたいと願い。
誰かに助けを求める。
外見だけではない。
あれらにも、感情はある。
人間性の残滓もある。
で、あるならば。
奪わない選択もできたはずだ。
『お前も同じだ!』
一体のデポルが叫んだ。
『俺たちを殺して、国を奪った! お前も、俺たちと同じじゃないか!』
「違いますね」
俺が答えると、怒声がわずかに弱まった。
「逆だ。お前らを消すために、国を奪ったんだよ」
人間を守るため。
治安を回復させるため。
犠牲者を増やさないため。
国民へ説明する理由はいくらでも用意できる。
どれも嘘ではない。
だが、こんなものは建前だ。
今は。
守ることよりも。
奪わせないことよりも。
こいつらを殺すことだけが、目の前にあった。
監視卓の保護カバーを外す。
内側に、二つの認証装置がある。
鍵を差し込み、右へ回した。
警告音が鳴り始める。
この二百体だけでは終わらない。
同じ施設に、あと千六十一体いる。
現時点で把握できている未登録個体も、国内に四千近く残っている。
今後、捕らえたデポルを収容する場所も必要になる。
人手も足りない。
警察官も。
刑務官も。
社会保全省の職員も。
一つの命を丁寧に奪うために、人間側の時間と人員を使い続ける余裕はない。
そして、その必要もない。
俺は認証画面へ手を置いた。
掌紋が読み取られる。
――執行準備完了。
赤いボタンが点灯した。
ガラスの向こうでは、デポルたちが扉へ殺到している。
衝動が発露した者の肌が、黒や紫へ変色していく。
人間の姿を保てなくなった者が、周囲のデポルを殴り、踏みつけ、前へ進もうとする。
出口は一つもない。
「じゃあな。クソ野郎ども」
俺はボタンを押した。
激しい金属音が響いた。
巨大な可動床が、中央から左右へ開いていく。
立っていた場所を失い、デポルたちの身体が落下した。
悲鳴。
怒声。
肉と骨が鋼鉄へぶつかる音。
それらが重なり、一つの巨大な音となって地下施設を揺らした。
一度では終わらなかった。
杭に身体を貫かれながら、まだ動いている者がいる。
他のデポルの死体へ落ちたことで、致命傷を免れた者もいる。
折れた腕を使って、穴の壁をよじ登ろうとする者がいた。
その上から、別のデポルが足をつかむ。
互いを踏み台にし。
押し落とし。
少しでも高い場所へ逃れようとする。
最後まで、奪い合っている。
人間でも、同じことをするのかもしれない。
だが、今の俺にはどうでもよかった。
俺は監視卓を離れた。
執行区画の上部へ移動する。
分厚い防火扉を開けると、濃い燃料の臭いが流れ込んできた。
足元には、穴の内部を見下ろせる鉄製の足場がある。
下から、まだ声が聞こえていた。
『助けてくれ……』
『出してくれ……』
『頼む……』
俺は点火器を持つ。
手が震えている。
恐怖なのか。
罪悪感なのか。
自分でも分からない。
ただ、指だけが思うように動かなかった。
俺は震える右手を、左手で押さえた。
何もできないまま殺された、あの日を思い出す。
何年かかった。
どれだけ待った。
どれだけ殺した。
この日のために。
俺は点火器を作動させた。
火のついた燃料が、穴の底へ落ちる。
直後。
炎が一気に広がった。
轟音とともに、熱風が吹き上がる。
鉄製の足場が震えた。
黒煙が、排気設備へ吸い込まれていく。
悲鳴は、すぐには消えなかった。
何度も。
何度も。
穴の底から響いた。
やがて、それも炎の音に呑まれた。
俺は燃え続ける穴を見下ろしていた。
目を逸らさなかった。
この二百体だけでは終わらない。
同じ施設に、あと千六十一体いる。
だが、それは刑の執行が確定した者だけだ。
危険個体として指定されたデポルや未確認のデポルは、国内に一万一千体を超える。
身柄を確保できた者。
いまだ捜査を続けている者。
証拠が足りず、裁けていない者。
そして、所在を把握できていない者が、四千体近く残っている。
「ようやく始まったんだ」
国内には、デポルが残っている。
高宮も生きている。
デポルも。
デポルを囲う奴らも。
全部。
全部。
全部。
「全部集めて、消してやる」
燃え上がる炎が、防火ガラスへ映っている。
その中央に、俺の顔があった。
笑ってはいない。
だが、怒りは消えていなかった。
胸の奥で膨れ上がり、次を求めている。
ただ、長い間止まっていたものが、ようやく動き始めた。
そんな気がした。
俺の物語が。
ようやく、始まった。




