第134話:令和の救済者_執行編②
ーー黒瀬フェーズ
放送前のスタジオで、政府から届いた資料に目を通す。
刑の執行が確定していたデポル、千二百六十一体。
そのすべてに対し、刑が執行された。
場所も、方法も公表されていない。
ただし、久世総理が現地へ赴き、自ら執行責任者を務めたことだけは、政府が正式に認めている。
現職の総理大臣が、自ら刑の執行に立ち会った。
それどころか、執行そのものに関与した可能性まで報じられている。
前例など、あるはずがない。
(あの人。本当に、ここまで来てしまったんですね)
久世とは、四年前、このスタジオで高宮元総理と対峙した日を最後に会っていない。
直接取材を申し込んだことはある。
だが、局長が許さなかった。
あの日、局の命令を無視して生放送を続けた代償だった。
久世陣営からも高宮陣営からも、一度も連絡は来ていない。
圧力も。
脅迫も。
私を消そうとする動きさえなかった。
あれだけのことをした私が、何事もなく生きている。
見逃されたのか。
利用価値すらないと判断されたのか。
それとも、まだ使い道が残っているのか。
久世恒一なら、どれもあり得る。
「黒瀬さん、三十秒前です」
スタッフの声で、資料から顔を上げた。
正面のカメラへ視線を向ける。
赤いランプが点灯した。
「政府は昨日、重大犯罪によって刑が確定していたデポル、千二百六十一体に対し、刑を執行したと発表しました」
背後の大型モニターへ、久世の写真が映し出される。
黒いスーツ。
白いシャツ。
色のない表情。
総理大臣になっても、喪服のような服装は変わっていなかった。
「執行されたデポルには、殺人、強盗、性犯罪、戸籍の奪取など、複数の重大犯罪へ関与した者が含まれています。執行の場所と方法について、政府は治安上の理由から公表していません」
続いて、被害者遺族への取材映像が流れた。
『娘が殺されてから、十四年です。犯人は名前を変えて、別の人間として暮らしていました』
高齢の女性が、写真を胸に抱いている。
『ずっと、私たちだけが取り残されていました。久世総理だけです。娘の命を、なかったことにしなかったのは』
映像が切り替わる。
顔を伏せた男性が、震える声で答えていた。
『人権、人権って……。加害者の話ばかりでした。奪われた側の人生は、誰も見てくれなかった』
スタジオへ映像が戻る。
「今回の執行を受け、インターネット上では久世総理を支持する声が相次いでいます」
大型モニターに、いくつもの言葉が表示される。
“令和の救済者”
“正義執行人”
“日本人の味方”
“デポルブレイカー”
一方で。
“血塗れの総理”
“国家公認の殺人者”
“独裁者”
称賛も、罵倒も。
久世にとっては、どちらでも同じなのだろう。
世間から見れば、正義を執行した総理大臣。
誰も裁けなかった怪物を、被害者に代わって裁いた英雄。
見ていて痛快だろう。
長年、奪われる側へ我慢を強いてきた国が、ようやく加害者へ牙を剥いた。
控えめに言っても、世間にとっての久世恒一は、救済者だった。
だが。
久世との付き合いが短くない私には、まるで違って見える。
あの人は、四年前から何も変わっていない。
デポルを根絶すると宣言した。
法律を変えた。
組織を作った。
高宮政権を倒した。
総理大臣になった。
そして本当に、デポルを殺し始めた。
普通の政治家なら、どこかで妥協する。
批判を恐れ、表現を薄め、目標を現実に合わせて縮小する。
久世恒一は違う。
現実の方を、自分の言葉に合わせて作り変えてしまう。
正義の執行人などではない。
有言実行の大魔王。
恐ろしい。
たまらなく恐ろしい。
だからこそ、目を離せなかった。
「今回の執行について、杉浦さんはどうお考えですか」
隣に座る大学教授へ話を振った。
「凶悪犯罪を犯した者が、法に基づいて裁かれる。そのこと自体には反対しません」
杉浦教授は、慎重に言葉を選んでいる。
「しかし、総理大臣が捜査機関、司法、執行機関へ強い影響力を持ち、自ら刑の執行にまで関与する。これは、権力の集中という意味で極めて危険です」
「ですが、これまでの制度では被害者が救われなかったことも事実です」
別のコメンテーターが口を挟んだ。
「制度が機能していたなら、久世総理がここまで支持されることもなかったでしょう」
「だからといって、権力者へすべてを委ねてよい理由にはなりません」
「すべてではありません。裁判も再審査も行われています」
「その過程が、国民へ十分に公開されていないと言っているんです」
議論が始まる。
どちらも間違ってはいない。
過程を疑う者。
結果を求める者。
加害者の権利を危惧する者。
被害者が置き去りにされてきたことへ怒る者。
以前なら、デポルへの刑罰そのものに反対する声も多かった。
だが、いまは違う。
凶悪なデポルまで無条件に守れと主張する者は、明らかに減っている。
それでも久世のやり方に疑問を呈しただけで、デポルの擁護者と決めつけられる空気が生まれつつあった。
それもまた、危険だった。
久世が壊したのは、デポルを守ってきた仕組みだけではない。
奪われても耐える。
波風を立てず、誰かが助けてくれるまで待つ。
抵抗すれば、自分まで悪者にされる。
だから仕方がないと諦める。
そんな社会の空気まで、変え始めている。
その変化が正しい方向へ進むのか。
それとも、別の暴力を生むのか。
まだ、誰にも分からない。
『黒瀬さん』
イヤホンから、慌ただしい声が聞こえた。
『総理官邸が、緊急記者会見を開きます』
「内容は分かりますか」
カメラに拾われないよう、小さな声で尋ねる。
『新たな雇用・治安政策について、とだけ』
久世のことを議論している最中に、久世自身が次の政策を発表する。
背中に、冷たいものが走った。
「ただいま、総理官邸が緊急記者会見を開くとの情報が入りました。当番組でも、会見の模様を生中継でお伝えします」
大型モニターの映像が切り替わる。
総理官邸の会見室。
まだ壇上に久世の姿はない。
集まった記者たちが、言葉を交わしている。
画面の下に、速報が表示された。
“政府、新たな雇用・治安政策を発表へ”
詳しい内容は、まだ明らかにされていない。
(今度は、何を始めるつもりですか)
デポルへの刑が執行された翌日。
国民がその是非を議論している間に、久世はもう次へ進んでいる。
壇上の横から、黒いスーツの男が現れた。
記者たちの声が止む。
久世は一礼し、演台の前に立った。
「お待たせしました」
四年前と変わらない、静かな声だった。
「本日は、地域保全就労支援制度について説明します」
久世が、正面を向く。
「対象となるのは、長期間、就労や就学ができていない方々です」
会見場がざわついた。
「これは、仕事に就けていない方を救済するだけの制度ではありません」
わずかに、口元が動いた。
「日本人が、日本人の生活を守るための制度です」
まただ。
世間が久世恒一の行動を理解した時には。
この人は、すでに次の戦いを始めている。




