第130話:枕戈待旦_駆逐編⑥
官邸前の暴動から三日が経過した。
逮捕された者。
身元確認のため一時的に確保された者。
任意の事情聴取へ応じた者。
関係者は、最終的に千三百人を超えた。
暴動へ加わった理由も、参加者の立場も同じではない。
デポルであることを理由に、社会から排除されると思った者。
社会保全省によって、家族まで監視されると信じた者。
金を受け取り、警察との衝突を煽った者。
初めから官邸への侵入を命じられていた者。
何も知らず、知人に誘われて参加した者もいた。
社会保全省の保護施設に設けられた面談室で、俺はその中から選ばれた者たちと向き合った。
最初に入ってきたのは、二十代の女性だった。
官邸前では警察の指示に従い、負傷者の手当てをしていた。
暴力行為には加わっていない。
「自分がデポルの血を引いていると知ったのは、いつですか」
「今回です。母も知らなかったと思います」
女性は膝の上で両手を握り締めていた。
戸籍には不自然な改変履歴があり、母方の祖父が使っていた戸籍は、死亡した別人から奪われた可能性が高い。
ただ、それが事実でも、彼女自身が罪を犯したわけではない。
「仕事は続けられますか」
女性が尋ねる。
「勤務先へ、あなたの出自を知らせることはありません」
「でも、戸籍を見れば分かるようになるんですよね」
「分からないようにします」
女性が顔を上げた。
デポルや、その血を引く者の情報は、通常の戸籍から切り離す。
市役所や勤務先が戸籍情報を確認しても、出自までは表示されない。
管理するのは地方行政ではない。
正式に設置される社会保全省が、国の責任で保管する。
「あなたには元々戸籍がある。これまでどおり、日本人として生きていけばいい。デポルの血を引いているという理由で、仕事を辞める必要も、住む場所を変える必要もありません」
女性は何度も頷いた。
その目から涙が落ちた。
次に向き合ったのは、五十代の男性だった。
デモには妻と参加していた。
規制線には近づかず、暴動が始まったあとも、転倒した参加者を助けていた。
「社会保全省ができたら、いつか連れていかれると思ったんです」
「誰から聞きましたか」
「インターネットです。デポルは全員、収容所へ入れられるって」
投稿元の多くは、今回のデモへ資金を流していた団体とつながっていた。
嘘を信じた者にも責任はある。
だが、恐怖を抱いたことまで罪にはできない。
三人目は、火炎瓶を運んだ若者だった。
投げてはいない。
報酬を受け取り、指定された場所へ鞄を運んだだけだと主張している。
「中身を知らなかったと?」
「瓶が入ってるとは聞いてました。でも、投げるとは思わなかった」
「布とガソリンも入っていた」
若者は黙り込んだ。
知らなかったのではない。
知ろうとしなかっただけだ。
自分が火をつけなければ、自分の罪ではないと考えた。
その無関心によって、誰かが死ぬ可能性があった。
最後の男は、拘束されるまで警察官へ暴行を続けた。
首筋には、変色した皮膚が残っている。
「俺たちを殺すための省だろ」
椅子へ固定された男が、俺を睨みつける。
「違うと言えば信じますか」
「信じるわけねえだろ」
「では、何を説明しても無駄ですね」
男が拘束具を鳴らした。
職員が間へ入ろうとするのを、手で止める。
「お前だって人を殺してきた。なのに、総理大臣になった。俺たちだけ裁くつもりか」
「私が裁かれないことと、あなたの罪が消えることは別です」
男が唾を吐く。
机の手前へ落ちた。
「俺たちは、奪わなきゃ生きられねえんだよ」
「奪わずに生きているデポルもいますけどね」
「そいつらが異常なんだ」
これ以上、聞くことはなかった。
面談室を出たあとも、別の部屋では事情聴取が続いていた。
千三百人を超える声を、俺一人で聞くことはできない。
それでも、報告書の数字だけで決めるつもりはなかった。
恐れている者。
怒っている者。
自分の出自を初めて知り、混乱している者。
人間を憎み、奪うことを当然だと考えている者。
同じ血を引いていても、考え方は違う。
だからこそ、線を引かなければならない。
血を引いているだけなら、日本人として扱えばいい。
人間として生きることを選び、奪う衝動を抑え続けるなら、その者をデポルと呼ぶ必要はない。
それでもなお、奪うことを選ぶ者は違う。
官邸前の暴動は、社会保全省を止めるために起こされた。
だが、結果は逆になった。
政府は暴動への関与資料と、複数の団体を経由した資金の流れを国会へ提出した。
野党からは、混乱に乗じた採決だとの批判も出た。
デポルという出自を理由に、通常の刑法とは異なる処分を科すことへの反発も強かった。
それでも、官邸への組織的な侵入計画が明らかになったことで、反対していた議員の一部が採決へ回った。
社会保全省設置法案と、それに付随する特別措置法は可決された。
これまで準備組織にすぎなかった社会保全省は、捜査機関との情報共有、戸籍改変の調査、保護施設の運営を正式に開始する。
同時に政府は、デポルとその子孫に対する方針を発表した。
出自に関する情報は、一般の戸籍から切り離す。
本人の同意なく、勤務先や学校、地方自治体へ開示しない。
戸籍を持つ者は、これまでどおり日本人として扱う。
祖先がデポルだったという理由だけで、監視や拘束の対象にはしない。
さらに、戸籍を持たない者にも国籍を得る道を設けた。
これまでデポルは、他人の戸籍を奪わなければ、社会の中で生きられなかった。
生まれた記録もなく、医療も教育も受けられず、正式に働くことすらできない。
その状態を放置しながら、戸籍を奪うなと命じても意味はない。
戸籍の付与を希望する者には、社会保全省による身元調査と継続的な管理を受けさせる。
ここまでは表向きだ。
実際はそんな生やさしいものではない。
身体には、本人を識別するためのICチップを埋め込む。
そして、指定された重大犯罪を起こした場合、未遂であっても極刑を受け入れる。
その条件へ同意した者には、新たな戸籍と日本国籍を与える。
この制度によって、めぐみの母である加藤英子も正式な日本国民として再登録される。
かつて鉄工所の社長に拾われ、タムラという名前と住む場所を与えられた男も同じだった。
戸籍を奪わなくても生きられる。
社会の中で働き、住居を持ち、人間として死ぬことができる。
ただし、一度でも条件を破れば、その権利ごと命を失う。
会見で俺が読み上げた内容は、すぐに報道された。
デポルとの共存へ転換。
戸籍なき者にも条件を満たせば、戸籍と国籍付与。
久世政権、異例の保護政策。
画面には、そんな言葉が並んでいた。
その夜、執務室に残ったのは、俺とめぐみだけだった。
机には、千三百人分の聴取結果が置かれている。
「八割を超えたね」
めぐみが、一番上の書類を俺へ渡した。
殺人。
強盗。
性犯罪。
誘拐や監禁。
組織的な戸籍の奪取。
被害者が助かったかどうかは考慮しない。
未遂に終わっても同じだ。
通常の刑法とは異なる特別措置の適用を受け入れるか。
千三百人のうち、八割以上が同意した。
「拒否した者は?」
分かっていながら尋ねた。
「全員、移送の準備に入ってる」
めぐみは迷わず答えた。
特別措置への同意を拒んだ者に、戸籍の秘匿も国籍の付与も認めない。
それだけではない。
拒否した者は、社会へ戻さない。
社会保全省が管理する専用の刑務所へ収容する。
裁判で刑が確定した者だけではない。
暴動に加わらず、直接的な犯罪行為が確認されなかった者も含まれている。
特別措置を拒んだ。
それ自体を、危険性の証明として扱った。
「拒否しただけで、悪人だと言い切れるの?」
めぐみが俺を見る。
「まじめに生きたいなら、断る理由がない」
「国に一生管理されて、罪を犯せば未遂でも極刑。怖くて断る人はいると思うけど」
「それでも受け入れた者が八割いる」
普通に生きている者なら、出自を隠したまま日本人として暮らせる方を選ぶ。
戸籍のない者なら、初めて自分の国籍と本名を得られる。
奪わずに生きるつもりなら、極刑の条件を恐れる必要もない。
それを拒むのなら。
いずれ奪うつもりがあると判断する。
「司法取引どころか、踏み絵だね」
「ああ。そのために作った」
自由に選ばせたわけではない。
従うか。
収容されるか。
最初から、その二つしか用意していなかった。
めぐみが書類をめくる。
特別措置を拒んだ者。
官邸前で皮膚を黒く変色させ、警察官へ襲いかかった者。
事情聴取でも暴力を繰り返し、人間から奪うことを否定しなかった者。
直接の犯罪行為が確認されていない者もいる。
だが、全員が同じ名簿へ記載されていた。
社会へ戻さない者たちの名簿だった。
「これから収容人数足りるかな、増設しないとね」
「もう指示してある。俺の処刑場だからね」
社会保全省が管理する、デポル専用の刑務所。
収容所という曖昧な名前では呼ばない。
そこへ入れられる者に、社会復帰の予定はなかった。
めぐみが書類を閉じ、久しぶりに柔らかな表情を見せた。
「この法案って、私のため?」
「というと?」
「デポルを根絶する。それが恒一の生きがいでしょ?」
「まあ、そうだね」
「でも、デポルの血が流れていても、日本人として生きる人はデポルに数えない。戸籍のない人にも、奪わずに生きる道を作った」
めぐみは自分の胸元へ手を置いた。
「だから、お母さんも私も、恒一が殺すデポルには入らない」
「自意識過剰だな」
俺は椅子へ深く座り直した。
「殺すべきデポルの数を、正確に把握したいだけだよ」
「へー。そう」
めぐみは満足そうに笑い、名簿を机へ戻した。
部屋を出る直前、足を止める。
「恒一」
「何?」
「選別したあとは、本当に実行するの?」
俺は答えなかった。
「そっか」
扉が閉まる。
静かになった執務室で、収容者の名簿を開いた。
人間として生きる者は、ひとまず選び終えた。
残ったのは、俺が根絶すると決めたデポルだけだ。
「さあ、本当の狩りを始めようか」
地獄でほくそ笑んでいるであろう井口おさむに届くだろうか。
彼の死に際に話した計画の一端。
これから俺は前代未聞の事件をしでかす。
国内外から批判されることになっても、たとえ一人になったとしても。
俺は止まらない。




