第126話:始動_駆逐編②
二〇二四年八月。
久世内閣の発足から、三か月。
国会では、社会保全省設置法案を巡る攻防が続いていた。
野党は権力の集中だと批判し、官僚は既存組織との重複を理由に抵抗した。
警察庁。
法務省。
厚生労働省。
それぞれが自分たちの権限を守ろうと、資料の提出を遅らせ、必要のない会議を増やした。
だが、世論は法案の成立を求めていた。
デポルによる犯罪。
売買される戸籍。
長年放置されてきた行方不明者。
被害を訴えても、管轄が違うと追い返された人々。
これまで別々の問題として処理されてきたものが、同じ利権へつながっている。
その事実を、俺たちは一つずつ国民へ公開した。
支持率が上がるたび、反対する議員は減った。
最後まで抵抗した者には、抵抗するだけの理由があった。
法案の採決を翌日に控えた朝。
設置へ最も強く反対していた野党の中堅議員が、議員会館を出たところで捜査員に囲まれた。
容疑は、政治資金規正法違反。
それだけではない。
議員は支援団体を通じて、戸籍売買を行う組織から資金提供を受けていた。
その日の正午、議員事務所と自宅へ家宅捜索が入った。
午後には、関係する人権団体の代表が任意同行を求められた。
夜には、その団体の口座から警察幹部へ金が流れていた事実が報道された。
翌朝。
社会保全省設置法案は、衆議院本会議で可決された。
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設置されたばかりの社会保全省には、専用の庁舎すらなかった。
都内にある複数の庁舎を間借りし、警察、検察、法務省、厚生労働省などから集められた職員が働いている。
廊下には未開封の備品が積まれ、壁には仮設の案内板が貼られていた。
表向きは、寄せ集めの組織。
だが、その内部には、これまで各機関に分散していた情報が集約され始めている。
過去の事件記録。
戸籍の変更履歴。
行方不明者の情報。
政治団体への寄付。
警察が捜査を打ち切った事件。
各機関が個別に保管していたときには見えなかったつながりが、同じ場所へ集めることで浮かび上がった。
省内に用意された執務室で、めぐみが資料を机へ放り出した。
「三日で、これだけ出てきた」
不正な戸籍変更、百八十七件。
行方不明者との関連が疑われるもの、四十二件。
関与が疑われる公務員、二十三名。
金銭の授受が確認された警察関係者、八名。
「まだ三日だぞ?」
「だから困ってる。人が足りない」
めぐみは椅子へ深く腰を下ろした。
机には、確認を待つ資料がいくつも積まれている。
めぐみが目を瞑り、口を開く。
「処理が追いつかないから、優先順位を決めようかな」
「何から?」
「証拠隠滅と逃亡の可能性が高いものから。過去の責任追及より、今も被害が続いている案件を先に止める」
めぐみは、赤い付箋のついた資料を抜き出した。
「これだね」
地方都市の警察署長。
戸籍を仲介する行政書士。
人材派遣会社の役員。
デポルの存在を把握しながら、外国人労働者や身寄りのない人間を用意し、金と引き換えに引き渡していた。
「証拠は?」
「揃ってる」
「なら、関係機関へ渡そう」
俺たちは裁判官ではない。
久世政権に反対したという理由だけで、人を逮捕することもできない。
だが、隠されてきた証拠を見つけ、捜査機関へ突きつけることはできる。
動かないなら、なぜ動かないのかを国民へ公開すればいい。
翌日、警察署長が逮捕された。
二日後、行政書士の事務所から三百人分を超える戸籍資料が押収された。
翌週には、人材派遣会社へ一斉捜索が入り、社長を含む五人が逮捕された。
一つの事件を暴けば、そこから別の金が見つかる。
企業から政治団体へ。
政治団体から人権団体へ。
人権団体から警察関係者へ。
点だった不正が、線になっていく。
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社会保全省へ集まる情報は、政府機関が保有しているものだけではなかった。
民間からも、毎日のように告発や内部資料が届いている。
その一部を整理しているのが、かつて俺とめぐみが経営に関わっていた会社だった。
四年前。
高宮政権との戦いを前に、俺たちは二手に分かれた。
俺とめぐみは正面から国家と対峙し、山上、みずき、かな、あさみは会社に残った。
あれから、状況は大きく変わった。
俺とめぐみは取締役を退任し、保有していた株も全て手放した。
会社は名前を変え、従業員百名ほどを抱える企業にまで成長している。
今では名実ともに、みずきの会社だ。
山上は調査部門に残り、企業や政治団体の資金の流れを追っている。
かなは法務と被害者支援を担当し、告発者の保護や資料の整理に関わっていた。
政府との正式なつながりはない。
俺たちも、会社へ命令できる立場ではなくなった。
それでも、みずきたちは民間でしか拾えない情報を集め、裏づけを取り、必要なものを俺たちへ渡してくれている。
かつてと形は違っても、役割は変わっていなかった。
全員が残ったわけではない。
あさみはやはり、会社から去ることを決めた。
約束どおり退職金を支払った。
徳島から東大阪にいるノブさんのもとへ向かうまでの間、あさみは俺たちのしてきたことを告発すると口にしていた。
だが、今日まで告発は行われていない。
考えを変えたのか。
告発すれば、自分も無傷では済まないと判断したのか。
俺には分からない。
分かっているのは、あさみが俺たちを許したわけでも、仲間に戻ったわけでもないということだけだ。
俺たちは和解していない。
ただ、互いに関わらない道を選んだ。
それでよかった。
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二〇二四年十月。
社会保全省の稼働から、一か月。
五人の議員が辞職した。
三人の官僚が懲戒免職となり、警察関係者十二人が逮捕された。
戸籍売買へ関わっていた企業は業務停止命令を受け、組織とつながる人権団体には強制捜査が入った。
夕方のニュースでは、毎日のように新たな不正が報じられている。
『久世政権による粛清だ』
そう訴える政治家もいた。
その翌週、その政治家が代表を務める政治団体から、デポル関連企業への不明瞭な支出が見つかった。
俺たちは、批判した者を狙っているのではない。
調べた先に、批判していた者が立っているだけだ。
総理大臣執務室のテレビには、また一人、深々と頭を下げる議員が映っていた。
進退について問われた男は、秘書が勝手にやったことだと繰り返している。
めぐみがテレビを消した。
この一か月で、デポルを利用し、その利権から甘い汁を吸ってきた者たちを、片っ端から公の場へ引きずり出した。
政治家も、官僚も、警察も、企業も、例外にはしなかった。
長年、誰も触れようとしなかった利権が、わずか一か月で崩れ始めた。
これが、社会保全省の最初の成果だった。
そして国民は、ようやく知った。
政治は、やろうとすればこれほど早く動く。
動かなかったのではない。
動かすつもりがなかっただけなのだ。
だが、初回からやり過ぎたようだ。
俺をよく思わない連中が、俺の想像を遥かに超える執念深さと数を備えていることを、この時の俺はまだ知らなかった。
矛先が、いずれ俺自身へ向けられることも。
それに気づいていたのは、俺のすぐ隣にいた、ただ一人だけだった。




