第12話:混ざりもの_めぐみ案件編③
加藤の話を整理すると、こうだった。
去年の五月、父親が轢き逃げで死亡。
警察には届けていない。
それをきっかけに母親の暴力が始まった。
最初は殴打。
半年前から物を投げられ、直近二ヶ月は包丁で切りつけられるようになった。
何度か家を出たが、行く場所はなかった。
友人と呼べる相手もいない。
限界を超え、さっき自殺した。
中々に酷い。
俺は金属バットで殴られていたから、まだ幾分かマシだったのかもしれない。
そう考えた時点で、感覚が少し壊れているのだろう。
だが、同情だけで動くつもりはない。
ここからが本題だ。
「現状は分かった。ありがとう。ここから聞きたい。君はどうしたい? どうなれば最善?」
加藤はしばらく黙った。
それから、低い声で言った。
「……母親を殺したいほどは憎んでいない。でも、やられた分はやり返したい」
そこで一度、息を吸う。
目の奥に、黒い火が灯っていた。
「それから、轢き逃げした奴らをこの手で殺したい」
憎しみに満ちている。
気持ちは理解できる。
理解できるからこそ、安易に止める気にはなれなかった。
「どんな特徴だったか覚えてる?」
「車から降りてきた男は、肌の一部がドス黒かった。血塗れのお父さんと私に、暴言を吐いて、そのまま逃げた。助手席には女がいたと思う」
胸の奥で、熱が走った。
「……そうか」
掠奪種。
彼女の父。
加藤クラウスを殺したのは、人間ではなかった。
「君は、その存在を知ってる?」
「デポル、だよね。ニュースで聞いたことはあった。でも、実際に見たのはその時が初めて」
加藤は記憶を手繰るように、眉間に皺を寄せた。
「あと……ナンバー。赤いスポーツカー。番号は、たしか――」
聞いた瞬間、頭の中で線が繋がった。
車種。
場所。
時期。
ナンバー。
盗難車ならすぐに当たる。
名義が残っていれば、もっと早い。
「よく覚えていたね」
「忘れられるわけないでしょ」
当然だった。
俺も、あの夜のことを忘れられない。
加藤の話を最後まで聞き、金を渡した。
しばらくビジネスホテルに泊まるよう指示する。
俺は弁護士とはいえ、未成年だ。
全てを一人で正規の手続きに乗せるには限界がある。
水谷ひとみにも共有しておく必要があった。
ただし、全てを話すつもりはない。
俺がこれからすることは、法律相談ではない。
駆除だ。
・
・
・
二週間、休学して調べた。
結果は早かった。
徳島県勝浦郡。
山に埋もれるような地域の一軒家。
当時の赤いスポーツカーはなかったが、名義人の住所はそこだった。
死亡届は出ていない。
本人が生きているのか。
それとも、名義だけを奪われたのか。
どちらにせよ、確認する価値はある。
俺は重たい鞄を右手に持ち直し、玄関のチャイムを押した。
ピンポーン。
少し間があって、扉が開く。
出てきたのは、色黒の男だった。
この時代で言うなら、ちょい悪オヤジというやつだろう。
流暢な日本語。
だが、わずかに訛りがある。
徳島のものか。
それとも、人間の真似をする時に残る癖か。
「ナンダオマエ」
「初めまして。弁護士の久世と申――」
最後まで言わせなかった。
男の拳が飛んでくる。
速い。
咄嗟に半歩ずらし、カウンターを叩き込む。
「グエッ!」
皮膚が赤黒く変色した。
ビンゴ。
一気に踏み込む。
その瞬間、視界が弾けた。
鈍い衝撃。
ゴルフクラブだ。
「……八年分の知識が飛ぶだろうが」
ふらつきながら、奥を見る。
女がいた。
おそらく、助手席にいた女。
迷わず顔面を殴る。
骨に当たる感触。
皮膚が裂けた。
女が悲鳴を上げる前に、前蹴りで壁へ押し込み、追撃する。
しかし、男が割って入った。
手にはナイフ。
「あなた方は、本当にナイフが好きですね。ジャック・ザ・リッパー気取りですか?」
「ナイフデ、ナブルノガ、オモシロイカラダヨ!」
対ナイフ戦の場数は踏んでいる。
軌道を見る。
半歩ずらす。
肋骨に膝を入れ、浮いた顎に肘を叩き込む。
それでも男は止まらない。
頬を刃が掠める。
熱い痛み。
だが、止まる理由にはならない。
(このゴキブリ野郎が)
その時、背後で鈍い音が鳴った。
振り向く。
加藤がいた。
角材を両手で握り、女の前に立っている。
「お前……覚えてるぞ」
加藤の声は震えていた。
怒りで。
恐怖で。
それでも、逃げてはいなかった。
「あの時、お父さんを轢き殺した時、助手席に乗ってた奴だな!」
男の意識が女へ向く。
見逃す理由はない。
腹にナイフを突き刺し、そのまま殴りつける。
「マサミ……」
「それは、この家の配偶者の方でしょ」
男が呻く。
やはり、名前も家も奪っている。
加藤は、鬼のような顔で男へ近づいた。
涙を流しながら、角材を振り上げる。
俺は止めなかった。
復讐は何も生まない。
天国のお父さんが望んでいない。
そんな綺麗事を言える立場ではない。
復讐とは、誰かのためにやるものではない。
自分のためにやるものだ。
だから、加藤が振り下ろすなら、それでいいと思った。
だが。
角材は、途中で止まった。
「……殺せない」
大粒の涙が床に落ちる。
「お父さんの仇なのに……殺せない……」
加藤は、その場に崩れ落ちた。
泣き声が、静かな山の中にやけに響く。
俺は息を吐き、彼女の隣にしゃがんだ。
「加藤さん。俺は復讐そのものを否定しない」
加藤は顔を上げない。
「でも、今回はもういいんじゃないか」
「……」
「本当なら、君は今日ここにいなかった。屋上で死んでいた」
その言葉に、肩がわずかに揺れる。
「直接引っ張り上げたのは俺だ。でも、今ここで殺さないと選んだのは君だ」
「……でも」
「忘れる必要はない。許す必要もない。ただ、無理やり業を背負う必要もない」
俺は、思ってもいないことを知ったふうに語っている。
そんな自分に反吐が出る。
「お父さんのことを思い出せるのは、君だけだ。嫌な奴で心を満たすより、好きだった人で心を満たせ」
加藤はしばらく何も言わなかった。
やがて、小さく頷いた。
「……わかった」
タクシーを呼び、数キロ先のコンビニで待つよう伝える。
加藤には、もう十分だ。
ここから先は、俺の仕事になる。
・
・
・
「さて」
扉が閉まる音を確認する。
「邪魔者はいなくなった」
男が女にすがりつく。
「コイツダケハ、タスケテクレ……」
「ほう。それは何故?」
木材を拾い、握りを確かめる。
「コイツハ、デポルダ。シカシ、ミロ!」
女を見る。
大怪我をしている。
しかし気になるのはそこではない。
デポルという割に、肌がほとんど変色していない。
「希少種……か?」
「ワカラナイ。オヤニヨルノカモシレナイ」
親。
交配。
その単語が、頭の中で嫌な形を取る。
デポルと人間。
デポルと外国人。
混ざりもの。
確証はない。
だが、見逃せない仮説だった。
「ダカラ、コイツハイキテイケル」
「勘違いするなよ」
男を見る。
「デポルとか、人間とか、何人とか、そういう話じゃない」
「悪いことをしたら罰せられる。それが普通なんだよ、間抜けが」
「コロシテヤル……ゼンブ、ウバッテヤルヨ!」
男が立ち上がる。
腹から抜いたナイフを握りしめている。
「ファイナルラウンドですね」
手負いのデポルは危険だ。
油断はしない。
木材を男の足へ投げる。
当たる。
体勢が崩れたところへ踏み込み、顔面を蹴り抜く。
歯が飛ぶ。
だが、立ち上がる。
次の瞬間、砂が舞った。
視界が白む。
「ちっ……」
「シネ!」
額が裂ける。
遅れて、血が噴き出す。
それでも前へ出た。
ナイフを左の掌で受け止める。
刃が骨の間を貫く。
同時に、男の右手を掴む。
右拳を固め、上から振り下ろした。
一発。
二発。
三発。
血が跳ね、骨が沈む。
「……さて。去年の轢き逃げ、覚えていますよね」
男は、切れ切れに語った。
加藤の母が好きだったこと。
父に怪我をさせ、別れさせるつもりだったこと。
それからは、人間を襲っていないこと。
加藤母子に謝罪と賠償をしたいこと。
涙ながらの言葉に、同情は一ミリも湧かなかった。
むしろ、引っかかる点が一つあった。
どうやって賠償するつもりだったのか。
仕事も戸籍も奪ったものなのに。
確認する前に、背後で砂を擦る音がした。
女。
気配が薄い。
隠し持っていたアイスピックが、俺の頬を掠める。
俺は左手に刺さったナイフを抜き、そのまま突き立てた。
刃は、女の心臓へ沈んだ。
「ガハッ……オニイ、チャン……」
追撃する。
腹にナイフ。
さらに、アイスピック。
女の左腕が、黒く変色していた。
「肌の色が変色しづらい個体、あるいは自分で抑えられる個体もいるということか」
女は崩れ落ちた。
「お前らは、そうやって言葉を扱えるから嘘ばかりだな」
男の顔へ視線を戻す。
「仕事もせず、奪うしかやっていないお前らが、どうやって賠償責任を果たすんですか」
「ソリャ……ウバッテ、ダ……ヨ」
男は笑った。
「オマエノカオ、アノヨデモ……ワスレナ、イ……」
それを最後に、男は動かなくなった。
静かになった家の中で、俺は深く息を吐いた。
女が言った。
オニイチャン。
あの変色の薄さ。
男の言った、親によるのかもしれない、という言葉。
交配によるデポルの遺伝。
ハーフ。
今の俺には調べようがない。
しかし、俺の最終目標には、必ず関わる謎だ。
後処理と応急処置を済ませ、上着を着替える。
タクシーを呼び、コンビニで待つ加藤を拾った。
彼女は、おにぎりを頬張っていた。
生きるために食べている。
その姿を見て、少しだけ安堵する。
前世で俺は、十八歳まで徳島にいた。
その頃、デポルに会った記憶はない。
だが、この田舎にすら、こうして潜んでいた。
平気で奪い、嘘をつき、殺す。
どこにでもいる。
どこにでも隠れている。
俺は拳を握りしめた。
(日本から消してやるよ。全て)
横で眠る加藤の横顔を見る。
金色の髪。
整いすぎた顔。
そして、父を殺した女が残した言葉。
(ハーフ……ね)
俺は、ゆっくり目を閉じた。




