第11話:命の使い道_めぐみ案件編②
ーー久世フェーズ
入学してから、約半年が経った。
そして俺は、加藤ベアトリクスめぐみに公開プロポーズをした。
「加藤さん、俺と結婚してください……!」
教室の空気が止まった。
自分でも、なぜこの形を選んだのかと思う。
二人きりの時でよかった。
廊下でもよかった。
放課後でもよかった。
なのに、よりによって教室。
人の目がある場所で。
口から出た直後、すでに後悔していた。
「えっ……でも、喋ったことない気がするけど」
その通りだった。
「あっ、いっ、一目惚れしました!」
何とか言葉を絞り出す。
加藤は困ったように笑った。
「……入学してから、半年くらい経ってるけど」
「……」
「ごめんなさい」
俺の人生初プロポーズは、三秒で終わった。
教室がざわつく。
すぐに笑い声が広がった。
高嶺の花に勢いで告白して振られた馬鹿。
周囲には、そう映っただろう。
それでいい。
むしろ、その方がいい。
本題はここからだ。
「分かった。聞いてくれてありがとう」
俺は頭を下げた。
「じゃあ、その代わり今から五分だけくれないかな」
加藤の眉が少し動く。
「安心してほしい。追加の告白ではないから」
「……五分だけなら」
一度断らせてから、本命を通す。
前世で何度も使った手法だ。
営業でも交渉でも、人は一度拒否すると、次の小さな要求を通しやすくなる。
俺は加藤を連れて、廊下の端へ向かった。
周囲に人がいないことを確認する。
そして、声を落とした。
「虐待を受け続けて、今日死ぬつもりなら辞めておけ。まだやれることはある」
加藤の表情が消えた。
笑顔も。
困惑も。
さっきまでの作り物みたいな柔らかさも。
全部、すっと消えた。
やはり。
この半年、違和感はずっとあった。
夏でも長袖。
タイツ。
顔、首、手以外の素肌を、一度も見せない。
一度だけ、鎖骨のあたりが見えた。
深い切り傷。
しかも、新しい。
虐待を受けている人間は、衣服で隠れる場所に傷を負うことが多い。
俺には覚えがある。
前世でも。
今世でも。
俺自身が、そうだったからだ。
日に日に、加藤から生気が抜けていくのも分かった。
今日の顔は、特にまずかった。
あれは、死ぬ人間の顔だ。
俺はそれを知っている。
何度も見た。
鏡でも見た。
「……虐待なんてされてない」
加藤は、落ち着いた声で言った。
「されていたとしても、あなたのような一般の高校生では何もできない」
正論だった。
逆の立場なら、俺でもそう思う。
だから、カードを切る。
「信じられないと思うけど、俺は現役の弁護士なんだ」
ガラケーを取り出す。
画面に表示していたのは、弁護士登録番号と簡易の登録情報。
氏名。
生年月日。
登録年。
加藤は画面を見つめた。
長い沈黙。
「……あなたが本当に弁護士だとしても」
加藤は静かに言った。
「だからといって、あなたをいきなり信用することはできない」
その返答に、少しだけ感心した。
疑う。
警戒する。
簡単にすがらない。
よほど辛い環境で、必死に生きてきたのだろう。
「そうだな。それでいいと思う」
無理に詰めない。
名刺を取り出し、差し出す。
「気が変わったら連絡してほしい」
加藤は受け取った。
けれど、目はまだ信用していない。
それでいい。
信用は、最初から要求するものではない。
「じゃあ」
俺はその場を離れた。
ーーめぐみフェーズ
もっと踏み込んでくれてもよかったのに。
高校の屋上で、私は名刺を見つめていた。
久世恒一。
高校生。
弁護士。
意味が分からない。
何をどう考えたら、そうなろうと思えるのだろう。
そもそも高校生で弁護士になれるのか。
登録番号も、画面も、嘘には見えなかった。
だから余計に、得体が知れない。
気持ち悪い。
不気味。
でも、少しだけ気になった。
「……変な人」
口に出すと、風に流れた。
けれど、状況は何も変わらない。
家に帰れば、母がいる。
酒の匂い。
濁った目。
刃物。
リモコン。
今日は、どれにする。
そう言って笑う母の顔。
もう限界だった。
防縁高校に来れば、何かが変わるかもしれない。
アステリアの言葉に従えば、違う未来があるかもしれない。
そう思った。
けれど、現実は変わらなかった。
三回死んだ。
そして、今が四回目。
これで最後。
「私の人生は、ここで終わるようになってるんだ」
思わず呟いた。
父のことを思い出す。
優しかった。
大きな手。
低い声。
ぎこちない日本語。
家族三人で笑っていた時間。
あの時間だけで、十分だった。
もう、それ以上は望まない。
フェンスを越える。
風が強い。
足元に、校庭が見える。
遠い。
でも、恐怖はなかった。
少なくとも、そう思っていた。
四回目。
これで最後。
身体を前に倒す。
天と地が、ゆっくりひっくり返る。
ほんの一瞬だけ。
あの人、変な人だったな。
そんな考えがよぎった。
そして。
重力に引かれるまま、落ちた。
・
・
・
はずだった。
「……っ!」
右腕に、焼けるような痛みが走った。
身体が宙で止まっている。
落ちたのに。
死ぬはずだったのに。
私は、まだ空中にいた。
見上げると、屋上の床に腹這いになった久世恒一がいた。
右手で、私の右腕を掴んでいる。
血管が浮くほど、強く。
私の腕も痛い。
たぶん、彼の腕も痛い。
それでも、彼は離さなかった。
「なあ」
久世くんが、息を詰まらせながら言う。
「これで一回死んだようなものだと思うし、一回俺に話してみてほしい」
意味が分からなかった。
落ちたはずだった。
終わるはずだった。
なのに、この人は。
まるで営業先で条件を確認するみたいな顔で、そんなことを言う。
「……帰ったふりして、つけてたの?」
「はい」
「何故、そこまで私に構うの?」
「利用できそうだから」
少しだけ、間が空いた。
そして私は、笑った。
「……ぷふっ」
笑いは、すぐに止まらなくなった。
「あははははは!」
普通は違うはずだ。
こういう場面では、もっとそれらしい言葉がある。
助けたい。
放っておけない。
生きてほしい。
そんな言葉を言われる場面ではないのか。
そして私が、恋愛小説のヒロインみたいに恋に落ちる場面ではないのか。
もっとも、物理的に落ちそうなのは私の方だけど。
それなのに。
利用できそうだから。
この人は、真っ直ぐな目でそう言った。
「……最低」
「否定はしません」
「でも、信用できない!」
「当然ですね」
即答だった。
否定も、弁解もない。
高校生。
弁護士。
突然の求婚。
虐待の指摘。
屋上まで尾行。
これで信用しろと言う方が無理だ。
「でも、話す価値はあると思う」
「どうして?」
「今死ぬはずだった人間が、まだ生きてる。それだけで状況は変わってる」
笑いが止まる。
「これからもまだ死ぬ気なら、死ぬ気で何でもできるでしょう」
「……」
何も言い返せなかった。
三度も死んだ。
でも、結局何もできなかった。
母を止めることも。
逃げることも。
助けを求めることも。
父の死を調べることも。
何も。
「だから、一回だけでいい。話してみてほしい」
静かな声だった。
押し付けるでもなく。
引くでもなく。
ただ、選択肢を置くような言葉。
腕は痛い。
足元は空。
風が強い。
死ぬつもりだったはずなのに、心臓がうるさかった。
「……分かった」
気づけば、そう答えていた。
「全部は話さないかもしれないけど」
「それで構いません」
久世くんは、顔色ひとつ変えずに私を引き上げた。
床に足がつく。
現実に連れ戻されたような感覚だった。
足に力が入らない。
その場に座り込みそうになる。
なのに、久世くんは鞄からペンと用紙を取り出した。
「では、まずこのヒアリングシートに名前からお願いします」
「……ちょっと待って」
思わず遮った。
「それ、今やるの?」
「えっ、仕事なので」
「はあ……」
深いため息が出た。
本当に、何なんだこの人は。
さっきまでの空気はどこへ行ったのか。
「……本当に、変」
そう言いながら、紙を受け取る。
ペンを握った瞬間。
手が震えた。
ぽたり、と紙に水滴が落ちる。
「……あ」
涙だった。
一粒。
二粒。
止まらない。
力が抜け、その場に座り込む。
「……怖かったんだ」
口から、勝手に言葉がこぼれた。
「死ぬの、怖かったんだ……」
三回死んだ。
それでも、慣れなかった。
毎回、怖くて。
苦しくて。
それでも、終わるしかなかった。
「本当は……生きたかった」
視界が滲む。
父の顔が浮かぶ。
守ってくれた人。
あの人の分まで、生きたかった。
「……お父さん」
声が震える。
「……ごめんなさい」
こんな終わり方をするはずじゃなかった。
でも。
ちらりと、目の前の男を見る。
表情は変わらない。
慰めるわけでもない。
心配するわけでもない。
ただ、そこにいる。
それだけなのに。
だからこそ。
この人なら。
そう思ってしまった。
今までとは違う。
理由は分からない。
けれど。
「……一回だけ」
小さく呟く。
「利用されてみようかな」
誰に向けたわけでもない言葉だった。
久世くんは、ただ頷いた。
私は、まだ生きている。
だったら。
一回くらい。
この変な人に、使われてみてもいいのかもしれない。




