第107話:累卵之危
「本当にすまない……」
鷹宮が苦虫を潰した顔で謝罪の言葉を止めない。
鷹宮の放った銃弾は、俺の右鎖骨付近を貫通していた。
あの暗闇の中、見事な腕前だと感心すらする。
山上は、デポルが所持していただろう短剣を力一杯握り締め、項垂れている。
被弾後、すぐに左肩から胸部まで斬りつけられた。
傷は深く出血は止まらない。
俺の怪我の具合。
山上の精神状況。
それよりも確認しなければならないことがある。
「めぐみ。何をされたのか教えてくれ……」
着衣は乱れ、多量の血液が付着している。
見たところ外傷は見当たらない。
しかし、看過できない。
俺は、その結果を受け入れなければならない。
「……」
めぐみは放心している。
珍しく。
短い沈黙に、不安が募る。
よほどのことがあったのか。
最悪の事態だったのか。
過去にもあった。
山本一派に拉致された事件だ。
あの時も似た格好だった。
だがそれは、めぐみが後々のことを考え、敢えて抵抗したものだった。
今回は違う。
俺が拷問を受けているからだ。
時間は体感にして三〇〜六〇分程度。
何かをされるには……。
俺の最も許せないことをされるには、時間があり過ぎる。
めぐみの表情。
乱れた着衣。
血液で汚れた状態。
否が応でも、最悪の事態が過ってしまう。
ようやくめぐみが近づいてくる。
表情は、今までに見せたことがないくらい暗い表情だ。
今はもうない右拳を握る感覚。
俺の最も近しい人を。
常に見下しながらも、一番近くで応援してくれたこの人を。
傷つけたやつは全員許さない。
そして、それを為すすべなく何もできなかった俺自身も、絶対に許さない。
怒りが全身から溢れ、内側から焼けるように熱かった。
めぐみは、優しく俺の右腕の切断面と、左肩の傷へ手を当てる。
不思議な感覚だ。
だが、初めてではない。
過去に何度かこれを知っている。
激痛だった右腕の幻肢痛が和らぎ、切断面の熱も引いていく感覚。
ほんの少しだけマシになった気がした。
めぐみが俺の身体に触れたたった数秒。
この世で一番切なく優しい時間が流れた気がした。
めぐみの呼吸は荒くなり、俺から手が離れる。
「顔色が悪いな……すまない。俺のせいでこんなことに」
「恒一は、相変わらずの早合点だね。恒一が思っていることは起きてない。あの時と同じだよ」
顔を顰めながらも、大丈夫だというめぐみの声に嘘は感じなかった。
しかし、お互い満身創痍であることには違いない。
俺はめぐみから直接聞けたことで少し安堵した。
「鷹宮さん。来てくれてありがとう。しかし、こちらは沈んでいる泥舟ですよ」
「……それはこちらも同じさ」
「ここに長居は無用です。まずは逃げましょう。車くらいあるんですよね?」
「ああ。もちろんある。少し離れたところに置いてる」
「俺の移動スピードは遅い。先に行って逃走経路を確保してください」
「それが最善だな。すぐ回してくる」
足早に鷹宮は立ち去った。
項垂れる山上に、声をかける。
「山上……合格だ」
顔を上げ、驚いた表情をしている。
「ひとみさんの葬式の時に、現場を見て体験してもらうといった」
「初の実戦でここまで動けたなら、何の文句もない」
山上は蒼白い顔のまま、言葉を絞り出す。
「俺はお前を傷つけた。最悪……俺のせいでお前はーー」
「そうしたくないなら動け。お前が先導して俺たちをここから出してくれ。頼めるのはお前しかいない」
山上は死にかけの俺と、疲弊しているめぐみを順に見る。
一度深呼吸し、目つきが変わった。
こいつの良いところは、顔だけではない。
高校の事件のとき、デポルにやられ突っ伏していた山上は、俺に他の連中を連れて逃げろと言った。
それができるやつだ。
自分よりも他人を。
今の山上は、自分を責めるより、俺たちを助けることに、優先順位を瞬時に置き換えた。
それでいい。
それができるから、俺たちはお前を頼れる。
「わかった。俺が先導してお前たちを逃す」
「違う。お前が先導して、全員で逃げるんだ。履き違えるな」
「……その通りだな。行こう」
山上が先頭に立つ。
俺は、出血が止まったとはいえ、怪我、疲労、追い討ちの被弾と斬撃。
内心は、吐き気、眩暈、視界不良。
この世の全ての体調不良が俺に襲いかかっている気さえしている。
めぐみも顔色は悪い。
こいつにも何度も助けられた。
そして、今ので確信した。
こいつは、何らかの能力を持っていて、それを俺に施した。
過去にも同じようなことがあった。
いわゆるゾーンに入る感覚。
五感が冴え渡り、身体の使い方がイメージできる。
身体が回復することはない。だが今回のように、止血され動ける程度までは戻る。
どういうカラクリかはわからない。
しかし、俺は前世にタイムリープした。
この事実だけは認めざるを得ない。
タイムリープがあるなら、魔法の一つや二つあってもおかしくないという結論だ。
俺に使えないだけで、他人が使えても不思議ではない。
この話は、おいおいめぐみに聞いてみる。
もしかしたら、こいつもタイムリープしてきたのかもしれない。
さて、思考は整理はできた。
つまり、俺が動けるのも止血されてるのも。
時間の制約があるという仮説。
いや、仮説ですらない。処置らしい処置をしていない以上、いずれは決壊する。
最短でここを出る。
ほぼ指名手配のようになっている俺たちが、隠れて病院に行けるかは定かではないが。
しかし、ここを出る他はない。
俺は左手にバールを持ち、杖代わりに。
めぐみは俺のなくなった右腕の代わりとなるように支えてくれている。
少し進んだところで、一階から何かを破壊するような轟音が建物全体へ響いた。
続いて、複数人の足音と声。
重く、迷いのない足取りだった。
増援。
それも、一人や二人ではない。
「もう来たか……」
どちらにせよ、ここへ留まれば終わる。
「行くぞ」
ぎこちなくも覚悟の決まった山上の後ろを、俺たちは一歩一歩確実に追いかけた。




