第105話:狩人
ーー鷹宮フェーズ
知らない番号から着信が入った。
電話へ出ると、若い女の声が耳へ飛び込んでくる。
聞き覚えはない。
『今から言う住所へ、急いで向かいなさい!』
第一声がこれだった。
タチバナ。
女はそう名乗った。
名前を聞き、すぐに思い当たる。
匿名犯罪グループの拠点を割り出した際、久世側で情報を扱っていた女だ。
姿を見たことはない。
だが、あの事件で久世たちが動けたのは、この女の情報収集能力があったからだろう。
なかなか優秀な人材だ。
以前、久世へ話したことがある。
「その立花さん?公安へ引き抜けない?」
その時、久世から意外な言葉が返ってきた。
『もし、その時が来て、あなたにその力が残っていたなら、ぜひ頼みます』
当時は意味が分からなかった。
今なら分かる。
久世は、自分たちが国から追われる可能性を考えていた。
そして、その時には俺も公安での力を失っているかもしれないと予測していた。
(こうなることまで見えていたのか)
それほどの先見性があるなら、そうならないように動けばいい。
彼は優秀なのか、凡人なのか分からない男だ。
勝てる状況を作りながら、自分で潰す。
合理的に動いているようで、最後には感情で突っ込む。
それでも、十代の頃からデポルを狩り続けてきた実績だけは嘘をつかない。
だから俺は、久世恒一という男に惹かれた。
「敵の数と配置は?」
『分からない。ただ、めぐみと久世くんを拉致したのは四人ずつ。配置はこれから可能な限り調べる』
声から冷静さは感じられない。
焦りと疲労が滲んでいる。
それでも、次に何をすべきかは判断できている。
ただ助けを求めるだけではない。
場所を割り出し、人員を分け、情報を更新しようとしている。
(やはり優秀だな)
「すぐ向かう。このことを真壁という男にも伝えられるか?」
言い終わる前に、電話の向こうから別の者にも指示を出している。
どうやら俺と同時に、他の人間にも連絡しているらしい。
「なるほど。愚問だったな」
久世と行動を共にしていたことを嗅ぎつけられ、俺も公安内部から追われている。
父が。
高宮総理が、本気で久世陣営を潰しに来た。
公安での地位に固執はしていない。
あの組織へ忠誠を誓った覚えもない。
だが、怒りの権化であり、デポル狩りである久世恒一を失うわけにはいかない。
彼の悲願と、俺の悲願は同じだからだ。
立花から聞いた住所は、そう遠くない。
大阪市内でも、特に治安の悪い地域だった。
古びた建物が密集し、路上には放置された自転車やごみが並んでいる。
昼間から酒を飲む者。
道端に座り込む者。
怒鳴り合う声。
多少の騒音や破壊音が響いても、警察へ通報する者は少ないだろう。
仮に通報されたとしても、警察がすぐに踏み込んでくるとは限らない。
拉致した人間を一時的に隠すには都合がいい。
交通の便も悪くない。
車で入り、別の車へ乗せ換えれば、短時間で場所を移せる。
(手早く拉致し、監禁するには悪くない場所だ)
問題は、この場所を何のために使うのか。
ここから別の施設へ移送するのか。
黒幕がここへ来るのか。
あるいは、拷問を済ませて殺すのか。
久世と加藤が拉致されてから、一時間弱。
まだ移送されていない可能性へ賭ける。
(久世くんたちはまだそこにいる。場所を移すなら、もう動いているはずだ)
アクセルを踏み込む足へ力を込めた。
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大阪市内の雑居ビル。
目的の建物から離れた場所へ車を停める。
周囲へ溶け込むような古びた建物だった。
外壁は汚れ、看板は外されている。
窓はほとんどない。
鉄骨造りの三階建て。
(違法建築だろ、これ)
真壁はまだ来ていないようだ。
あちらはあちらで、特別行政省内部の追及を受けているのだろう。
だが、一刻を争う。
援軍を待つ選択肢はない。
車のトランクを開く。
中には、公安支給の小型拳銃。
狙撃用ライフル。
伸縮式の特殊警棒。
少量の予備弾薬。
追われている今、新しい武器や弾薬の補充はできない。
残っている物だけで戦うしかない。
室内戦闘でライフルは邪魔になる。
小型拳銃を腰へ差し、予備弾倉を持つ。
特殊警棒を伸ばした。
「さっさと助けて、恩でも売っておくか」
俺自身にも余裕はない。
周囲を確認し、正面入口へ向かう。
外から見える出入り口は一階の扉だけ。
裏口も非常階段も見当たらない。
「無謀だが、強行突破しかないな」
錆びた扉の鍵へ、特殊警棒を叩き込む。
金属音が周囲へ響く。
一度。
二度。
三度。
近くにいた男が、こちらを一度見た。
だが、すぐに興味を失って眠りにつく。
この地域では、扉を殴っている人間など珍しくもないらしい。
四度目で鍵の周辺が歪んだ。
五度目。
金具が外れ、扉が内側へ開く。
「便利な場所だ」
拳銃を構え、建物へ入る。
破壊音で侵入には気づかれたはずだ。
だが、一階に人影はなかった。
物音もしない。
待ち伏せか。
あるいは、監禁場所は上階だけか。
壁際を進み、部屋を一つずつ確認する。
一階。
誰もいない。
二階。
空室。
使われていない机と、放置された段ボールだけ。
階段を上り、三階の廊下を覗く。
重厚な扉の前に、スーツ姿の青年がいた。
扉へ耳を寄せている。
右手には、血に濡れた短剣。
足元には、首から血を流した人影が倒れていた。
(久世か?)
違う。
身体の線が細い。
立ち方も素人だ。
短剣を握る手が震えている。
その時、扉の向こうから女の声が響いた。
『三人が扉の前にいる!』
聞き覚えがある。
加藤めぐみだ。
青年は声を聞いた瞬間、扉の前へ立っていた一人を外へ引きずり出した。
デポルが抵抗する。
青年は覆い被さるようにして、短剣を首へ何度も突き刺した。
血が床へ広がる。
足元の死体と合わせて二人。
立花の報告どおりなら、扉の向こうに残るのは二人だ。
「素人だな」
手だけではない。
肩も、背中も震えている。
恐怖で身体が言うことを聞いていない。
それでも逃げなかった。
扉の向こうへいる加藤を助けるため、目の前のデポルを殺した。
「見事だ」
青年へ近づく。
足音に気づき、青年が短剣をこちらへ向けた。
俺は警察手帳を見せる。
「声を出すな。あとは俺がやる」
青年の目が揺れる。
「公安だ。よくやった」
青年は安堵した表情を見せた。
腰から力が抜け、その場へ座り込む。
俺は扉の隙間から中を覗いた。
薄暗い。
床には机が倒れ、椅子や一斗缶が散らばっている。
果物ナイフを握った加藤。
その足元には、首から血を流す人影が見える。
残る敵は一人。
加藤へ向かって走っている。
狙いを定め、引き金を引いた。
一発の弾丸が、男の後頭部を捉える。
男はそのまま前のめりに倒れた。
残るのは、返り血を浴びながら立つ加藤めぐみだけだった。
正直、少したじろいだ。
服は引き裂かれている。
手首から血を流し、顔にも汚れが付いている。
それでも、立ち上がる姿も、周囲を見る目も、何事もなかったかのように冷静だった。
演劇の一場面を見ているような錯覚さえ覚える。
「俺は鷹宮だ。名前は聞いているだろう」
「ええ」
「すぐに久世君を探して脱出する。動けるか?」
「もちろん」
加藤は倒れたデポルから視線を外し、服の乱れを手早く整える。
「余計な心配も無用です」
(……)
この女が、久世陣営の核か。
久世が暴走しても、最後まで隣で立っていられる。
この女を味方へ引き込んだことは、久世の最大の功績かもしれない。
部屋を出る。
廊下へ座り込んでいた青年は、壁へ手をついて立ち上がっていた。
加藤が目を見開く。
「山上!?」
「ああ」
山上は力なく笑った。
「みずきに行けって言われた。最悪、死ぬかもしれない。でも二人を助けられる可能性があるなら、命を懸けろって」
言葉だけを聞けば、冷酷だ。
だが、冷酷なタイプには見えなかった。
彼女なりの檄の飛ばし方なのだろう。
全員を助けるため、今ある人間を動かした。
その判断は、加藤に近そうだ。
「みずきも言うようになったね」
加藤の口元が、わずかに緩む。
「そうだな。俺も断れなかったし、断るつもりもなかった」
山上は足元に倒れた二人を見た。
「怖かったけど、間に合ってよかった」
「まだ終わってない」
加藤の声が戻る。
「あとは恒一」
隣にも、同じような重厚な扉がある。
三人で近づく。
俺は拳銃を構えた。
加藤は血の付いた果物ナイフを握り直す。
山上も震える手で短剣を持ち上げた。
扉を二度、叩いてみる。
その時。
内側から、扉がゆっくりと開いた。




