第104話:根底
ーーめぐみフェーズ
恒一は大丈夫だろうか。
自分のことより、恒一の心配が勝つ。
合理的。
冷静。
そう見られることが多い。
けれど本当は違う。
恒一は感情で動く人間だ。
一度激昂すれば、自分が壊れることすら考えない。
勝機を掴むのも、決して上手くない。
それでも運の強さと執念だけで、ここまで生き延びてきた。
危なっかしくて、放っておけない。
拉致される直前、私は一つだけ保険を残した。
みずきだ。
最近はみるみる痩せてしまった。
食事も睡眠もまともに取れていない。
私たちのせいだ。
それでも目の力だけは消えなかった。
決意だけは失われなかった。
だから今回も任せた。
私が今考えるべきは、自分の状況だ。
部屋は薄暗いコンクリート造り。
出口は一つ。
男が四人。
恐らく全員デポル。
服は引き裂かれ、素肌を舐められた。
昔の私なら、自ら命を絶っていた。
自殺には慣れている。
けれど今は違う。
私は死ねない。
恒一がいるから。
(だからきっと……)
胸が苦しい。
おかしい。
私は恒一を支配して。
魔王へ育て上げて。
野望を叶えさせるために傍にいた。
父の仇を討ってくれた。
だから力になろうと思った。
そのために隣に居続けられる努力をしてきた。
私へ依存させたつもりだった。
恋人のような時間も過ごした。
全部、目的のため。
そう思っていた。
ただ、それだけなのか。
涙が頬を伝う。
止まらない。
初めての感情に、理解が追いつかない。
「やっと泣いたぜ」
「ようやく状況を理解したか」
そうなのだろうか。
違う。
私はこの涙の理由を説明できない。
怖い。
デポルに壊されることも。
人として踏みにじられることも。
もちろん怖い。
だけど、それだけじゃない。
分からない。
涙だけが止まらない。
「少しくらい楽しんでもいいんじゃないか?」
「引き渡しまで二時間ある」
男たちが近付く。
身体が動かない。
結束バンドのせいではない。
恐怖。
奪われる。
そして、それを恒一に知られる。
それが何より怖い。
心配される。
同情される。
憐れまれる。
(恒一と、対等でいられなくなる)
それだけは嫌だった。
もう終わりだ。
そう思った時だった。
コン。
コンコン。
間を置いて、扉が叩かれた。
合図。
そんな印象だった。
一人のデポルが警戒しながら近付く。
扉を開けた瞬間だった。
身体ごと外へ引き摺り込まれる。
叫び声すら聞こえない。
(誰?)
(恒一……?)
違う。
恒一なら、こんな静かなやり方はしない。
残った三人が武器を構えながら扉へ近付く。
その瞬間、私は叫んだ。
「三人が扉の前にいる!」
敵か味方か分からない。
それでも賭けるしかない。
二人のデポルが私を振り返る。
残る一人は扉へ。
(今しかない)
両手は後ろで拘束されている。
足は自由。
ゆっくり立ち上がる。
ここで終わるつもりはない。
前には私。
後ろには正体不明の人影。
デポルたちの統制は崩れ始めている。
右には机。
果物ナイフが一本。
脅し用だろう。
足元には空の一斗缶。
扉の向こうは静かだった。
悲鳴も足音もない。
この冷静さ。
この戦い方。
恒一ではない。
敵である可能性の方が高い。
(この間、〇・〇一秒……)
恒一がよく口にしていた言葉だった。
厨二病のようなセリフに、何度も小馬鹿にした。
(恒一が。私に何度でも力をくれる)
私は一斗缶を蹴り飛ばす。
当てる必要はない。
視線を切れれば十分。
そのまま机へ身体ごと突っ込んだ。
机が倒れる。
果物ナイフが床を滑る。
一人が飛び込んでくる。
見えていた。
(後ろに目はない。でも、この辺)
床へ転がりながらナイフを拾う。
自分の手首へ刃を当てる。
皮膚ごと切り裂きながら結束バンドを断ち切った。
自由になった左腕で、覆い被さる男の首へ腕を回す。
締め上げようとする。
だが、体勢が悪い。
手首からも血が流れている。
デポルは力任せに暴れ、私の腕を引き剥がそうとした。
このままでは決まらない。
分かっている。
私はバンドを断ち切った果物ナイフを握り直した。
男の首筋へ、何度も突き立てる。
抵抗する力が抜けた。
男が私の上へ崩れ落ちる。
身体を押し退け、次のデポルに備えた。
その瞬間だった。
私へ飛び込んできた二人目が、目の前でゆっくりと前のめりに倒れる。
額に、小さな穴が開いていた。
一拍遅れて、銃声だけが部屋へ響いた。




