第103話:欠落
意識が浮かぶ。
暗闇の底から、水面へ引き上げられるような感覚だった。
身体中が痛い。
痛いという言葉では足りない。
全身が燃え続けているようだった。
ゆっくりと目を開く。
布袋は外されていた。
薄暗いコンクリートの部屋。
湿った空気。
鉄臭い匂い。
そして、自分の姿を見た瞬間、思考が止まった。
右腕がない。
肘から先が、綺麗になくなっていた。
雑に包帯が巻かれ、止血だけはされている。
「……そうか」
思い出した。
途中で何度か目を覚ました。
誰かが笑っていた。
激痛。
何かを切る音。
また殴られた。
そして意識が落ちた。
それを何度繰り返したのか分からない。
左手首を見る。
結束バンドで椅子へ固定されていた。
足は自由。
右腕がない以上、拘束する必要もないと判断されたのだろう。
「目を覚ましたか」
扉が開いた。
四人。
一人はバールを肩へ担いでいる。
「久世恒一さん。おはようございます」
「……過去一番、最悪の目覚めですね」
「まだ口は回るようだ」
笑い声が響く。
「安心しろ。殺すなと言われてる」
男は俺の切断面を見ながら笑った。
「だから腕だけで済ませてやったんだ。感謝しろ」
右腕を見る。
もう俺の身体ではない。
そこにあるのは、喪失だけだった。
「あなたは親玉ですか?」
「違う」
「拉致監禁、暴行、傷害。法治国家では許されませんよ」
「今さら法律か?」
バールが腹へ叩き込まれた。
肺の空気が一気に抜ける。
胃液が逆流した。
床へ吐き出す。
「俺たちは、お前に仲間を何人も殺された」
(やはり、デポルか)
「十年以上前から大阪で俺たちを殺していたのは、お前だろ」
「人違いですね。私は勉強ばかりしていました」
言い終わる前に蹴り飛ばされた。
椅子ごと床へ転がる。
「まだ白を切るか」
「構わない。時間はある」
四人が笑う。
「そうそう」
一人が思い出したように口を開く。
「お前と一緒に女も連れてきた」
胸が熱くなる。
「綺麗な女だったな」
「見える場所には傷を付けるなと言われてる」
別の男が笑う。
全身の血液が沸騰した。
「そういう女ほど壊し甲斐がある」
笑い声。
また笑う。
耳障りだった。
「後が楽しみだ」
その一言で、何かが切れた。
「もういいよ、そういうのは」
俺は椅子ごと立ち上がる。
左腕へぶら下がる木製の椅子。
重い。
右腕がないだけで、身体の感覚がまるで違う。
それでも構わない。
「消さなければ」
男たちが笑った。
「その身体で?」
一人が突っ込んでくる。
椅子ごと身体を回転させる。
鈍い音。
椅子が男の肩へ直撃する。
「ぐっ!」
もう一人がバールを振り下ろす。
反射的に椅子を前へ出した。
激しい衝撃。
木が砕ける。
二撃目。
背もたれごと粉々になった。
左手首へ残っていた木片が外れる。
自由になった。
「やっとだ」
男が再びバールを振る。
その瞬間。
身体が勝手に動いた。
昔、めぐみに何度も投げ飛ばされた。
『ああ、違う違う』
『恒一、力で止めない』
『相手の力を使うの』
あの時は何度も転ばされた。
悔しかった。
今なら分かる。
一歩だけ外へずれる。
左手で男の腕を流す。
勢いのまま男は床へ倒れた。
バールが転がる。
拾う。
重い。
今は左手一本。
それでも十分だ。
男の頭へ叩き込む。
鈍い音。
動かない。
(まためぐみに助けられた)
残り三人。
一斉に飛びかかってくる。
左腕だけでは押し返せない。
一人に身体を押さえ込まれた。
首へ腕が回る。
息ができない。
右腕はない。
振り払えない。
なら。
俺は男の耳へ噛みついた。
肉が裂ける。
男が悲鳴を上げる。
口いっぱいへ広がる鉄臭さ。
血を吐き捨てる。
人間らしい戦い方を選べる身体ではない。
怯んだ男の腹へ膝蹴りを打ち込む。
片膝をついたと同時に、左胸にバールの先を突き刺す。
一瞬の叫び声。
残り二人。
(めぐみ……)
一人が背後から鉄パイプを振る。
避けきれない。
背中へ直撃した。
視界が白くなる。
倒れたら終わる。
めぐみを助けられない。
「今ので俺を殺し切れないようでは」
自分でも驚くほど低い声だった。
最後の二人は、一歩後ろへ下がった。
「お前らも、たかが知れてるな」
その隙を逃さない。
ドアに走り出したデポルに、バールを投げつけた。
いい具合に、首に刺さり倒れる。
残り一人は、短剣を手にしている。
「丁度良さそうだな。それ」
デポルが動く前に距離を詰める。
思ったより身体が流れる。
右手を使いそうになるのを必死に抑え、左の蹴りで牽制する。
怯んだ隙に髪の毛を掴み、顔面に膝を打ち続けた。
数秒か。
数十秒か。
デポルは動かなくなっていた。
静かになった。
俺も膝をつく。
右腕の切断面が脈打つ。
痛い。
息が苦しい。
眩暈。
嘔吐。
だが、立ち上がる。
バールを拾い、握り直した。
右腕はもう戻らない。
それでも左腕は残っている。
扉へ向かう。
その向こうから、何かがぶつかる音が聞こえた。
増援か。
違う誰かか。
「いいさ。殺してやるさ。何人でも。何度でも」
俺はゆっくりと扉へ手を掛けた。




