第102話:瓦解
ーー三橋フェーズ
『久世恒一と加藤めぐみ、両名を確保しました』
「そうですか。ご苦労さまです」
受話器の向こうから、周囲を動き回る複数の足音が聞こえる。
久世は議員会館。
加藤めぐみは大阪市役所。
ほぼ同時刻に身柄を押さえた。
片方が異変に気づき、逃げる時間を与えないためだ。
「予定どおり、例の場所へ。警察施設には入れないように」
『承知しました』
通話を切る。
机の上へスマートフォンを置き、正面へ目を向けた。
「さて」
向かいのソファに、一人の女が座っている。
黒瀬麗奈。
テレビ局では相応の権限を持ち、報道番組の顔としても知られている。
先ほどまで画面の中で、久世と加藤の疑惑を読み上げていた女だ。
「あなたのおかげで、余計な手間をかけずに済みましたよ。黒瀬さん」
黒瀬は何も答えない。
膝の上で組まれた両手に、わずかに力が入った。
元は山本の使い走りだった。
山本が消えれば、久世へ接近した。
今度は、私の目の前に座っている。
勝ち馬を見極めているつもりなのだろう。
だが、駒のくせに盤面を自由に渡り歩く人間ほど信用できないものはない。
黒瀬は久世を裏切った。
しかし、こちらへ忠誠を誓ったわけでもない。
脅したから従っただけだ。
過去に山本へ流した情報。
久世側へ接触した記録。
報道前に得ていた未公開情報。
公表されれば、報道人としての信用は終わる。
場合によっては、情報漏洩や犯罪への加担まで疑われる。
黒瀬が守りたいものは、正義ではない。
今の立場だ。
だから扱いやすい。
「三橋さん」
黒瀬が、ようやく口を開いた。
声は普段の放送より低い。
「久世恒一と加藤めぐみを、どうするつもりですか?」
「全ての騒動について、責任を取ってもらいます」
「責任とは?」
「ずいぶんと彼らが気になるようですね」
「そういうわけではありません」
黒瀬はすぐに視線を逸らした。
嘘をつくなら、もう少し間を空ければいい。
「安心してください。今すぐ殺したりはしませんよ」
黒瀬の肩が、少し揺れた。
「今すぐは」
再び強張る。
分かりやすい女だ。
久世恒一には、積み上げれば十分すぎるほどの罪がある。
行政の監視カメラ網への不正侵入。
映像データの持ち出しと改竄。
警察や公安の通信傍受。
戸籍情報への不正アクセス。
証拠の隠蔽。
政治家、法曹関係者への工作。
民間企業を利用した情報収集。
ビル倒壊に関与し、死者が出ると分かった上で工作を進めた疑いもある。
そして何より、十六歳の頃から大阪でデポルを殺し続けていた。
よくもここまで積み上げたものだ。
敵ながら感心する。
デポルを憎む人間は多い。
家族を殺された者。
財産を奪われた者。
人生を壊された者。
だが、自ら探し出し、何年にもわたって殺し続ける人間はそういない。
(末恐ろしい男だ)
久世を法廷で完全に有罪にできるかは問題ではない。
有罪を立証する必要はない。
国民に、有罪だと思わせればいい。
若くして弁護士となり、会社を成功させ、大阪市長を経て衆議院議員となった男。
古い政治を変える若き指導者。
久世が作り上げてきた像を、順番に塗り潰す。
正義の政治家ではない。
違法な監視を続けてきた犯罪者。
デポルを理由に殺人を繰り返してきた私刑執行人。
自分へ都合の悪い人間を消してきた独裁者。
そう信じ込ませる。
久世を殺せば、支持者にとっては殉教者になる。
だから、すぐには殺さない。
金を止める。
住居を失わせる。
仲間を切り離す。
過去を暴く。
久世を支持していた人間に、自分の判断を恥じさせる。
久世恒一という名前そのものを、口にすることすらためらうものへ変える。
その後なら、どう処理しても問題はない。
「黒瀬さん」
「はい」
「次の放送では、久世の経歴を詳しく取り上げてください」
「経歴を?」
「弁護士、会社経営者、大阪市長、衆議院議員。そして十六歳から続けてきた殺人です」
黒瀬の目がわずかに見開かれた。
「十六歳からという証拠があるんですか?」
「報道に必要なのは、証拠だけではないでしょう」
「裏付けのない内容を、事実としては読めません」
まだ報道人としての矜持が残っているらしい。
「事実だと断定する必要はありません」
私は机の上に置いていた資料を、黒瀬の前へ滑らせた。
久世の顔写真。
過去に大阪で失踪したデポル。
監視映像。
関係者の証言。
断片ばかりだ。
だが、並べれば一本の物語になる。
「疑いがある。関係者が証言している。捜査機関が調べている」
「それだけで十分です」
「判断するのは視聴者だと?」
「ええ。視聴者は、自分で判断したと思いたがる」
実際には、こちらが用意した順番で情報を見せるだけだ。
黒瀬は資料へ目を落としたまま、しばらく黙っていた。
「断れば?」
「それを聞く胆力をお持ちとは」
私は静かに笑う。
「あなたが山本へ情報を流していた記録があります。久世側へ接触した記録も、法曹協会の情報を報道前に取得していたことも」
黒瀬の指が止まる。
「脅迫ですよ」
「いいえ。ただの情報提供ですよ」
黒瀬は私を睨んだ。
それでも、資料を突き返しはしなかった。
机の上へ、新しい資料を並べる。
加藤めぐみ。
立花みずき。
真壁。
鷹宮。
山上。
さらに、久世の会社、法曹協会、特別行政省、公安の関係資料。
加藤めぐみは、女性初の大阪市長であり、現在は法曹協会会長も兼任している。
久世以上に、若い世代や女性から支持を集めている。
大阪市長。
法曹協会会長。
久世の最側近。
加藤めぐみを久世から切り離し、こちらへ引き込めれば価値は高い。
だが、久世と心中するつもりなら同じ場所へ沈める。
「次は立花みずきと久世の会社です」
「その次に、特別行政省と公安との関係を報じてもらいます」
鷹宮は、高宮総理の息子だ。
しかし、親子であろうと関係ない。
総理が必要だと判断したものを残す。
不要だと判断したものを切る。
それが国家だ。
「一度に全員を報道するんですか?」
「いいえ」
私は資料を一枚ずつ伏せた。
「情報は小出しにします」
今日は久世と加藤。
次は会社。
次は公安。
次は特別行政省。
一つの疑惑へ世間が飽きる前に、次を与える。
否定する時間は作らない。
説明すれば言い訳と呼ばれる。
黙れば認めたと扱われる。
どちらを選んでも沈むようにする。
久世の会社については、犯罪収益の疑いを理由に口座を凍結する。
自宅と事務所には捜索を入れる。
関係企業には税務調査。
協力者の口座も、資金洗浄の疑いがあれば凍結する。
ここまでして、久世恒一を潰す。
「そこまでして、何を守るんですか?」
黒瀬が尋ねた。
「国ですよ」
「久世さんたちも、そのつもりで動いてきたはずです」
「彼らが守ろうとしているのは、自分たちの正義です」
国家は、個人の正義で動いてはいけない。
たとえ国民が苦しもうと。
たとえ一部が犠牲になろうと。
国家が残れば、やり直せる。
高宮総理は、デポルを必要だと判断した。
ならば私は、それに従う。
デポルがどれほど日本人を傷つけてきたかは関係ない。
使えるなら使う。
国家の敵になるなら、人間でも排除する。
それだけだ。
「次の放送は、今日の夕方で」
黒瀬は資料を抱え、立ち上がった。
「私が全部話したら、どうするつもりですか?」
「誰にです?」
「久世恒一に」
思わず笑いそうになった。
「話せるものなら、どうぞ」
久世と加藤はすでに拘束した。
通信手段もない。
外部には居場所すら分からない。
「もっとも」
黒瀬が扉へ手を伸ばしたところで、声をかける。
「あなたがこちらに協力した記録も、全て残っています」
黒瀬の背中が止まる。
「久世ともし接触できたとして、あなたを味方だと思うでしょうか」
黒瀬は振り返らなかった。
そのまま部屋を出ていく。
扉が閉じた。
私は机に残った一枚の資料を見る。
黒瀬麗奈。
駒のくせに、自分だけは盤外へ逃げられると思っているのか。
用が済んだら、速やかに消す。
それに限る。
机の端に置かれた固定電話が鳴った。
受話器を取る。
『両名を例の場所へ搬送しました。尋問を始めますか?』
「いいえ」
私は久世恒一の写真を伏せた。
「まずは、全てを失っていくところを見せましょう」
久世恒一を壊すのは、最後でいい。




