第100話:摩耗_閑話
ーーみずきフェーズ
ひとみの葬儀が終わった夜。
私は会社の代表室に残っていた。
社員は全員帰っている。
窓の外には、大阪の灯りが並んでいた。
昼間なら、車も人も絶えず動いている。
この時間になると、街は少しだけ静かに見える。
けれど、静かなのは外だけだった。
パソコンの画面には、未処理の仕事が並んでいる。
契約書。
経理資料。
社員からの申請。
久世くんが持ち帰った情報。
めぐみが市から回してきた確認事項。
法曹協会から移された記録。
かなを社員として迎えるための手続き。
一つ処理すれば、また次が出てくる。
私は最後の項目を保存し、パソコンを閉じた。
暗くなった画面に、自分の顔が映る。
疲れている。
当然だ。
めぐみが大阪市長になってから、会社の実務は私が引き受けている。
久世くんとめぐみは、今も取締役ではある。
それでも、社員の前で代表として判断するのは私だ。
会社を止めるわけにはいかない。
ここが止まれば、社員の生活が止まる。
久世くんたちの活動も止まる。
だから私は、忙しい方がいい。
仕事をしている間は、余計なことを考えずに済む。
夜だけは違う。
誰もいなくなると、思い出してしまう。
以前、私たちが使っていた事務所のビル。
二階堂。
播磨。
多数のデポル。
あのビルが崩れた日のことを。
老朽化はしていたが、事故ではない。
私たちが、意図的に仕組んだ。
計画を考えたのは、めぐみ。
実行したのは、久世くん。
そのために必要な準備をしたのは、私だ。
建物の情報。
人の出入り。
時間帯。
必要な資料。
デポルが来ることも分かっていた。
デポルではない人間が巻き込まれる可能性も、分かっていた。
それでも、私は手を止めなかった。
二階堂と播磨は、私たちの内情を知りすぎていた。
会社。
住んでいる場所。
久世くんやめぐみだけではない。
私たちの家族構成まで調べられていた。
祖父母のことも。
二人とも、もうかなり高齢だ。
施設で暮らしている。
以前より身体も弱くなった。
電話で話す声も、小さくなった。
できれば、そのまま天寿を全うしてほしい。
誰かに奪われずに。
私のせいで狙われることもなく。
だから、あの計画に進んで協力した。
後悔はない。
やらなければ、私たちの誰かが殺されていたかもしれない。
祖父母にまで手を伸ばされていたかもしれない。
私は、大切な人たちを守った。
自分を削ってでも守れたことを、誇りにすら思っている。
それなのに。
あの日から、胸の奥に穴が空いたような感覚が消えない。
人を殺したことが怖いのではない。
殺すために計画し、準備し、実行した。
その事実も、受け入れている。
怖かったのは、人があまりにも簡単に死んだことだった。
何日も考えた。
何度も確認した。
失敗しないように準備した。
そして、実行した。
それだけで、人は死んだ。
さっきまで動いていた人間が。
誰かと話し、何かを考え、明日の予定を持っていた人間が。
建物と一緒に潰れた。
人は、人を殺せる。
特別な力なんていらない。
計画して、準備して、実行すればいい。
その事実を、私は知ってしまった。
私は椅子の背に身体を預けた。
完全に空っぽになったわけではない。
悲しいことは悲しい。
怖いことは怖い。
社員が笑えば、私も笑える。
食事もできる。
眠れない日はあるけれど、仕事も続けられている。
それでも、以前とは違う。
心の中から、何か一つが抜け落ちたような感覚がある。
人が死んだと聞いた時。
事故のニュースを見た時。
以前よりも、驚かなくなった。
あの人も、簡単に死んだんだ。
最初にそう考えてしまう。
その考えが出るたびに、自分の中の何かが少しずつ摩耗している気がした。
久世くんとめぐみは、大丈夫なのだろうか。
二人は、私よりも多くのものを見てきた。
デポルを殺した数も。
傷ついた回数も。
誰かを失った痛みも。
私よりずっと多い。
それでも、二人は前へ進んでいる。
強いのだと思う。
でも、本当に強いだけなのだろうか。
二人は互いを支えている。
言葉にしなくても、相手が何をするか分かっている。
(めぐみが無茶をすれば、久世くんが止める……ことはないな)
久世くんが自分を捨てようとすれば、めぐみが隣に立つ。
衝突しても、最後には同じ方向を見る。
私はどうだろう。
会社では頼られている。
社員から相談される。
久世くんも、めぐみも、私に仕事を任せる。
必要とされていることは分かっている。
だからここにいる。
デポルを許せない。
二人を守りたい。
会社も、社員も、祖父母も守りたい。
自分で選んだ。
犯罪に手を染めることも。
人が死ぬ計画に加わることも。
全部、自分で決めた。
辞めるつもりはない。
デポルの根絶は、もう久世くんだけの目的ではない。
私の悲願でもある。
それでも、このまま続けて、私の心は持つのだろうか。
久世くんは、常に最前線にいる。
敵から恨まれている。
いつ死んでもおかしくない。
めぐみも一度、デポルに連れ去られた。
私も、石津に襲われた。
あの階段室で久世くんが来なければ、殺されていた。
その前に、何をされていたのか。
考えたくもない。
私も他人事ではない。
次に狙われるのが、私ではない保証なんてない。
次は助からないかもしれない。
怖い。
死ぬことも。
このまま誰かを殺し続け、何も感じなくなることも。
自分が守りたかったものまで、分からなくなることが怖い。
私は救われるのだろうか。
人間を殺した。
デポルも、何人も殺す手伝いをしてきた。
これからも続ける。
そんな私が、いつか普通に笑える日は来るのだろうか。
久世くんやめぐみのように、強くなりたい。
何があっても揺れず、目的を見失わない人になりたい。
それができるのは互いに寄りかかりながら、ぎりぎり立っているからなのかもしれない。
だとしたら、私にも支えが必要なのだろう。
誰かに助けてほしいわけではない。
全部投げ出したいわけでもない。
ただ、壊れそうになった時。
壊れていることに気づいてくれる人がいるだけでいい。
そんなことを考える自分が、少し情けなかった。
私は代表室の照明を落とした。
窓に映る自分の姿が、暗闇へ溶ける。
明日になれば、また会社を動かす。
かなも新しく加わる。
社員たちの前では、いつも通りにする。
久世くんとめぐみが前へ進めるように、必要なものを揃える。
デポルを根絶するまで、私は止まらない。
止まるつもりはない。
それでも。
私の心が削れきる前に。
誰かが、私を見つけてくれるのだろうか。
答えは出なかった。
私は代表室の扉を閉めた。
誰もいない廊下に、鍵の音だけが響いた。




