名札の部屋
その寄宿舎に勤めはじめたのは、梅雨に入る少し前だった。
女子校の古い寄宿舎で、校舎から渡り廊下を一本渡った先にある。建物は木造ではないが、廊下の床だけは古い板が残っていて、夜になるとどこかで乾いた音がした。部屋は二階建てで、東西に長く並んでいる。入口の脇には細い名札差しがあり、白い札に名字だけを書いて差し込むようになっていた。札の角はどれも少し丸くなっていて、長いこと使われてきたのが見てわかった。
私は舎監補助という立場で入った。仕事は、点呼の補助、簡単な事務、空いた部屋の確認、寮母の手伝い。思っていたより地味で、思っていたより細かな決まりが多かった。
その中のひとつを、最初の週に教えられた。
「退いた子の名札は、その日のうちに外さないで」
そう言ったのは寮母の江坂さんだった。五十を少し過ぎたくらいの人で、怒鳴ることも笑うこともあまりなく、いつも声が低かった。厳しいというより、長く同じ場所を回してきた人の落ち着きがあった。
私は台帳を閉じながら聞き返した。
「その日のうちに、ですか」
「そう。朝でいいの」
「何か手続きの都合があります?」
江坂さんは事務室の窓を閉めながら、
「外すのは朝でいいの。夜のうちに空いたことにすると、余計に面倒だから」
と言った。
少し変な言い方だった。
「面倒って、部屋移動とかですか」
「見回りのときに落ち着かないの」
それだけ言って、江坂さんは次の話に移った。
私はそのとき、それを深くは考えなかった。寄宿舎には、こういう説明の足りない決まりがいくつもあった。日曜の夜だけ談話室の時計を合わせないとか、二階の西端の窓は十時を過ぎたら開けないとか、雨の日の洗濯物は必ず東側から取り込むとか。どれも生活の癖の延長に見えたし、長くいる人にはそれなりの理由があるのだろうと思えた。
名札のことも、そのひとつにすぎなかった。
––
六月の終わり、二年の生徒がひとり退寮することになった。
雨宮という子だった。寮では目立たないほうで、話し方もおとなしかった。大きな問題を起こしたという話も聞かなかったが、ある週の半ばに数日学校を休み、そのまま保護者が迎えに来て、急に出ていくことになった。理由は「家庭の事情」とだけ伝えられた。
部屋は二階のいちばん奥から三つ手前、二一五号室だった。
私はその日の午後、空いた部屋の確認を頼まれた。机の中、クローゼットの棚、窓の鍵、貸与品の数。部屋にはまだ、そこに人がいた感じが残っていた。消し忘れた香りつきのハンドクリーム、結び方のゆるいカーテン、外したままのヘアゴム。荷物はほとんど持ち出されていたが、空室になったというより、急に薄くなった部屋のように見えた。
確認を終え、戸口へ出たところで、私は名札に手をかけた。
そこでちょうど、廊下の向こうから江坂さんが来た。
「札はそのままでいいから」
「今日のうちに外しておいたほうが早いですよね」
「明日の朝でいいの」
「でも、もう部屋は空いてますよ」
「そうだとしても」
江坂さんは、二一五号室の中を見なかった。
「今夜はつけたままにしといて」
その言い方は、念押しというより、見回りの順番を確認するみたいに自然だった。
私は手を離したが、正直なところ、やはり不思議だった。事務として考えれば、退いた部屋の札はその場で抜いたほうがわかりやすい。翌朝は出欠連絡や食数の確認で慌ただしい。できることは前日に済ませたほうがよかった。
その晩、江坂さんは夕食後に保護者からの電話対応でしばらく職員室へ行き、私は寄宿舎側の見回りをひとりで先に進めていた。二階へ上がり、二一五号室の前まで来る。廊下の明かりは白く、名札の字もはっきり見えた。雨宮。
私は少し迷って、それから札を抜いた。
誰かに見つかったから隠れてやった、というつもりはなかった。ただ、今やっておけば朝が楽になる、その程度の気持ちだった。札を抜いて事務室へ持っていき、退寮済みの箱へ入れる。それだけのことだった。
––
異変に気づいたのは、その夜の十時の見回りだった。
消灯後の二階廊下は、昼間より少しだけ長く感じられる。部屋の中の灯りが消え、廊下の非常灯だけになるせいだろう。私はいつもの順で西側から見ていき、最後に東側へ折れた。
二一七号室の前で、足が止まった。
名札が、二枚掛かっていた。
上は二一七の生徒、杉野。下にもう一枚、細く斜めに掛かっている。近づいて見ると、雨宮の札だった。
私は一瞬、それがどういう状態なのかわからなかった。差し込み口へ入っているのではなく、木枠の釘の出っ張りに引っかかるようにして、きちんと掛かっている。誰かの悪戯なら、もっと雑でもよさそうだった。
二一七の中は静かだった。杉野はもう寝ているはずだった。
私は雨宮の札を外し、しばらく手の中で見た。紙は乾いていて、曲がってもいない。退寮済みの箱から勝手に抜けてきてここへ掛かるわけはないし、誰かがわざわざ二階のこの位置へ運んだのだとしたら、それもそれで妙だった。
事務室へ戻ると、江坂さんが帳面をつけていた。
私は札を机へ置いた。
「二一七に掛かってました」
江坂さんは顔を上げ、札を見た。
「そう」
「そう、じゃなくて」
「見たんだね」
「誰かの悪戯だと思いますけど」
江坂さんは札を取ってもいじらず、そのまま机の隅へ寄せた。
「今夜はもう、そのままでいいから」
「そのままって」
「明日の朝、戻すから」
「前にもあったんですか」
江坂さんは少しだけ考えてから、
「外した晩だけ、別の部屋に掛かることがあるの」
と言った。
「だから、朝でいいって言ったの」
私はそれ以上聞けなかった。言い方があまりに静かだったからだ。冗談でもなければ、誰かを脅す口調でもなかった。ただ、自分が知っている範囲のことだけを言った、という調子だった。
その夜は、それで終わった。
少なくとも、そのときはそう思っていた。
––
翌朝、二一七の杉野がいなくなった。
点呼の時間になっても姿がなく、同室の子は「夜のうちはいた」と言った。ベッドは乱れていたが、制服も鞄も机の上もそのままだった。窓は閉まっていて、廊下側の戸も内鍵はかかっていなかった。
寄宿舎はすぐ騒ぎになった。
教頭が来て、学年主任が来て、保護者へ連絡が入った。まだ警察は呼ばず、まずは敷地と校内を探すという話になった。私は事務室と寄宿舎を何度も行き来し、そのたび二一七の戸口を見た。名札は、もう杉野の一枚だけに戻っていた。
戻っていた、ということ自体が、また少し嫌だった。
昼を過ぎても杉野は見つからなかった。表向きには「本人の意思で寮を出た可能性もある」とされ、騒ぎは少し抑えられた。だが、誰も本気でそう思っていないのはわかった。杉野は成績は普通だったが、最近教師と少し揉めていたらしいという話を、その日の午後になって初めて聞いた。
その日の夕方、私は退寮済みの箱を整理していて、少しおかしなことに気づいた。
雨宮の札が入っていない。
昨夜、自分でそこへ戻したはずだった。私は箱の中を二度見た。古い札、新しい札、転校済み、卒業済み。どこにもない。代わりに、一番上に置かれていたのは、黄ばんだ古い札だった。
杉野。
私はそれを見た瞬間、背中が冷たくなった。
杉野はまだ退寮していない。いなくなっているだけで、処理も何もされていない。箱の中へ入るはずがない。
私はその札を持って事務室を出た。江坂さんは不在で、教頭が電話をしていた。私は何も言えず、札をまた箱へ戻した。戻したあとも、ずっとそれが気になった。
杉野の札は、どうしてあの箱の一番上にあったのか。
その夜の見回りは、江坂さんと一緒だった。私は二一七の前を通るとき、意識して名札を見ないようにした。見たところで何かが変わるわけではないと思ったからだ。けれど、二階の端まで行って戻る途中、二一八号室の前に白いものが掛かっているのが見えた。
名札だった。
今度は、まだ在室している別の子の部屋の前に、細く斜めに一枚だけ増えていた。廊下の明かりで字までは読めなかったが、私はそこで足を止めた。
江坂さんも止まった。
何も言わず、しばらく二人で見ていた。部屋の中は静かだった。中にいる子は、名札が増えていることに気づいていないようだった。
「外しますか」
と私は小声で聞いた。
江坂さんは少し間を置いてから、
「朝でいいよ」
と言った。
それは最初の日と同じ言葉だった。けれど今は、ただの決まりとしては聞こえなかった。
––
そのあと数日、杉野は見つからなかった。
学校は警察にも連絡し、表向きには捜索という形になった。寮では、あからさまにその話をすることは禁じられた。けれど皆が知っていたし、皆が知らないふりをしていた。
私は事務室の仕事で、古い部屋割り表や退寮記録を何度か出し入れした。見ようと思って見たわけではない。ただ、目に入ってしまった。
二一七、二一八、そしてもう一つ、名札の掛かる場所が決まっているように見える部屋だけ、毎年入る子の顔ぶれが似ていた。家庭の事情の多い子。教師と揉めた子。保健室へ通っていた子。寮で浮いていた子。記録には全部、別々の理由がついている。「療養」「一身上の都合」「保護者希望」「本人希望」。けれど写真と照らすと、不自然に退いている子がその部屋に集中していた。
偶然かもしれない、と何度も思った。
寮には長くいる子も短く出ていく子もいる。問題を抱えた子が空いている部屋へ入ることだってあるだろう。そう思えば説明はついた。つくはずだった。
けれど、一枚の集合写真で、私は手を止めた。
十年前の写真だった。二階の廊下で、部屋ごとに並んで撮っている。二一七の前に立っているのは、おとなしい顔の子ばかりだった。笑っているのに、どこか遠慮がちな顔つきの子たち。写真の端には、黒い喪章をつけた寮母が写っている。裏返すと、日付のほかに小さく、
「春転三名」
とだけ書いてあった。
その年の退寮簿を探した。二一七に入っていた子が、三人、半年のうちにいなくなっていた。理由はそれぞれ違う書き方だったが、どれも短かった。家庭の事情。療養。家族都合。
私は写真を戻した。
そのとき、事務室の戸口で、数学の藤崎先生が江坂さんに言うのが聞こえた。
「二一八なら、あの子でも静かに使えるでしょう」
江坂さんが何か答えたが、そこは聞き取れなかった。
藤崎先生は続けた。
「前みたいに騒がれるよりは、そのほうがましだと思うんです」
私は書類棚の影で動けなくなった。
その会話だけでは、何も決まらない。部屋を割り振る話をしているだけかもしれない。二一八が静かな部屋だという意味かもしれない。けれど、その言い方を聞いてから、二一八の戸口に掛かった名札の細い白さが、頭から離れなくなった。
その部屋へ入る子は、どうやって決められていたのか。
誰が決めていたのか。
そして、決める側はどこまで知っていたのか。
私は結局、そのことを誰にも聞けなかった。聞いたところで、たぶんはっきりした答えは返ってこないと思ったからだ。
杉野は、その週の終わりに見つかった。
駅から二つ離れた無人駅の待合室で、ぼんやり座っていたところを保護された。怪我はなく、靴も履いたままだった。けれど、どうしてそこへ行ったのかは自分でもよくわからないらしかった。夜の途中までは寮の廊下にいた気がするとだけ、何度も言ったと聞いた。
そのあと、二一八の子は別の部屋へ移された。
理由は、部屋の都合だった。
私はその日の夕方、誰もいない二階廊下を歩いて、二一七の前で立ち止まった。名札はそこに一枚だけ掛かっている。白い札に黒い字。何の変哲もない、見慣れた札だった。
それでも、私はその部屋の前を通るたび、目を上げずにはいられなくなった。
名札が移るのは本当らしかった。ただ、あの部屋へ入る子の顔ぶれまで、毎回よく似ていたことに気づいてからは、そちらのほうがずっと気になった。




