第8話「断罪の法廷」
「これより、王妃陛下の勅命による特別併合審理を開廷いたします」
裁判長の厳粛な声が、王立最高裁判所の大法廷に響き渡った。
石造りの高い天窓から、曇天の鈍い光が法廷の中央へと差し込んでいる。
追放から六十日。
貴族院が管轄する王室への偽作献上・不敬・詐欺の罪と、平民法が管轄する窃盗・強盗・偽証の罪。
二つの異なる法規に跨がる異例の事案が、王妃の命により一つの法廷で同時に裁かれようとしていた。
原告側の証言席に、私はカイルの隣に並んで立っていた。
身に纏うのは、黒曜会の職人たちが仕立ててくれた、端正な濃紺のドレス。
かつての伯爵令嬢としてではなく、王室特許商人・黒曜会会頭夫人として、私は凛として前を見据えていた。
対する被告席には、見る影もなくやつれ果てた父クロフォード伯爵と、妹のリリアナ、そして憲兵に挟まれたアレン・ウォーレンが座らされていた。
「証人喚問を行います。証人、ミナ」
廷吏の声に呼ばれ、十四歳のミナが小さな体を強張らせて証言台へと進み出た。
大勢の貴族や法官たちの視線に晒され、ミナの足が小刻みに震えている。
「証人。六十日前の夜、クロフォード伯爵邸の大階段で何を見たか、話しなさい」
裁判長の促しに、ミナはごくりと唾を飲み込んだ。
緊張で息が詰まり、唇が白く強張る。
「……あ、あの……わ、わたし……」
言葉に詰まるミナに、被告席のリリアナが血走った目を向けた。
「嘘をおっしゃい! 下賎な使用人の言うことなど、誰が信じますものですか!」
「静粛に! 被告人は発言を控えよ!」
裁判官の小槌が激しく打ち鳴らされた。
私はミナの背中へ、静かに視線を送った。
大丈夫、恐れることは何もない。
私の視線に気づいたミナが、胸元で両手をぎゅっと握りしめた。
その手には、かつて私が編んで渡した、擦り切れた加護の手袋がはめられていた。
ミナは顔を上げ、震える声を振り絞った。
「……わたしは、見ました! 階段の、柱の影で……リリアナ様が、ご自分の手で絨毯の留め金を外して……それから、自ら階段を滑り落ちたのを、この目で見ました!」
法廷が大きくどよめいた。
「嘘よ! でたらめですわ! お姉様に買収されたのよ!」
リリアナが立ち上がって喚き散らす。
だが、カイルの手勢によって提出された物証が、その叫びを冷酷に圧殺した。
「裁判長。現場から回収された絨毯の留め金です」
廷吏が盆に乗せて掲げた真鍮の留め金には、内側から人為的にこじ開けられた微細な痕跡が残されていた。
さらに、書記官が別の帳簿を開く。
「クロフォード邸の侍女たちに資金を貸し付けていた金貸しより、正式に差し入れられた買収台帳です。リリアナ被告が侍女頭を通じ、エレナ氏への毒殺偽証の対価として金貨をばら撒いていた事実が、日付と金額入りで完全に記録されております」
「あわせて、貴族院財務官が債務の担保として差し入れた文書を、正規の商取引文書として受理いたします」
「また、リリアナ被告の自室から回収された鋼の刺繍針および刺繍枠は、エレナ氏の私物であると確認されました」
逃れようのない証拠の羅列。
偽証に加担した侍女たちの証言は、瞬く間に瓦解していった。
「ち、違う……わたくしは悪くありませんわ! お父様が、アレン様がやれとおっしゃったのです!」
追い詰められたリリアナが、見苦しく身内に責任を擦り付け始める。
「黙りなさい、リリアナ!」
父が蒼白になって怒鳴り声を上げた。
そして父は、すがるような目を私へと向けた。
「エレナ……! お前は私の実の娘だろう! 血を分けた家族ではないか! 頼む、訴えを取り下げてくれ!」
かつて私を無一文で雨の路地へ放り出した男が、今になって血縁の情を乞うている。
「クロフォード伯爵様」
私は冷淡に、氷のような礼法敬語で返した。
「あの日、私が署名した誓約書により、私の身分と実家の拘束は完全に消滅いたしました。私には、あなた方を庇う義理も義務もございません」
法廷の空気が、父の浅ましい叫びを完全に拒絶していた。
続いて、王室への偽作献上に関する審理が始まった。
「魔導鑑定院の報告を読み上げます」
鑑定官が進み出て、羊皮紙を広げた。
「かつてリリアナ名義で発表されていた加護刺繍の撚り癖および魔力結び目の構造は、本日原告側より提出されたエレナ氏の『習作帳』の設計理論と完全に一致いたしました。一方、先日の献上レースには加護の構造が一切存在せず、魔力暴走を引き起こした危険な模倣品であると断定されました」
リリアナが過去の称賛をすべて姉から盗んでいたことが、公の場で白日の下に晒されたのだ。
「そして――平民法違反に関する審理に移ります」
裁判長の鋭い視線が、被告席のアレン・ウォーレンへと向けられた。
「アレン被告。貴様は六十日前の夜、すでに平民籍となっていたエレナ氏から、母の形見である銀の髪飾りを力尽くで強奪した。これは明らかな動産強盗罪に該当する」
「なっ……! 僕は、慰謝料のつもりで……っ!」
「平民法の保護下にある個人の私物を、合意なく奪い取る権利など何者にもない! 廷吏、証拠品を確保せよ!」
裁判長の命を受けた廷吏が、被告席のリリアナへ詰め寄った。
「いやっ! 触らないで、離しなさい!」
狂乱して暴れるリリアナの頭部から、廷吏の手によって銀細工の髪飾りが容赦なく引き抜かれた。
三枚の葉の透かし彫りが施された、母の形見の櫛。
それが証拠品として裁判長の前へ差し出され、アレンとリリアナの横領が確定した。
「……判決を言い渡す」
裁判長が厳かに立ち上がった。
息を呑むような沈黙が法廷を支配する。
「主文。原告エレナ氏に対する毒殺未遂の嫌疑は、事実無根の冤罪であると認定する」
「被告人リリアナ・クロフォードを、国家的詐欺罪、不敬罪、偽証教唆、および窃盗罪により、貴族籍の永久剥奪ならびに王都追放に処す。身柄は直ちに辺境修道院の工房へ移送され、生涯にわたる贖罪の強制労働を科す」
「偽証に加担したクロフォード家の侍女ら全員を偽証罪に処し、即時解雇の上、全貴族家への再雇用を永久に禁止、王都より追放とする」
「被告人クロフォード伯爵は、王室詐欺の連帯責任および領地統治能力の著しい欠如により、伯爵位剥奪ならびに全領地の没収、クロフォード家は即時改易とする」
「ああ……っ、我が家が、我が領地が……!」
父は法廷の床に膝から崩れ落ち、頭を抱えて呻き声を漏らした。
「被告人アレン・ウォーレンは、偽作献上の取り次ぎ責任、および平民に対する強盗罪により、近衛騎士団からの除名、ならびに平民への降格処分とする」
「そ、そんな……平民に……僕が平民に落ちるなど……っ!」
アレンの前に、平民降格の処分書が突きつけられた。
彼は血の気の引いた手でペンを握り、がくがくと全身を震わせながら、自らの破滅を決定づける書類に署名した。
「いやあああっ! 離しなさい、わたくしは伯爵令嬢よ! お姉様! エレナお姉様あああっ!」
狂乱したリリアナが二人の衛兵に両脇を抱えられ、床に足を擦りながら法廷の外へと引きずられていく。
絶叫はやがて重い扉の向こうへと遠ざかり、虚しい余韻だけが法廷内に残された。
かつて私を見下ろし、嘲笑っていた者たちのすべてが、法と真実の前に完膚なきまでに叩き潰された瞬間だった。
◇
閉廷後。
廷吏長が私の元へと歩み寄ってきた。
「エレナ様。法廷で回収された、あなたの私物です」
差し出された盆の上には、あの銀の髪飾りがあった。
私は震える指先でそれを持ち上げ、裏側に刻まれた『セシリア』の文字をそっとなぞった。
母の温もりが、長い旅路を経て、ようやく私の手の中に戻ってきた。
私はその場では髪に挿さず、胸元で両手を使って固く握りしめた。
「……終わりましたね、エレナ様」
人目を避けた静かな回廊へ出た時、隣を歩いていたカイルが足を止めた。
カイルは私に向き直ると、長い腕を伸ばし、私の身体を優しく、力強く抱きしめた。
「カイル様……」
「もう、あなたを脅かすものは何もありません。あなたは自由で、誰よりも誇り高い俺の妻です」
耳元で囁かれた低く温かな声。
張り詰めていた心の糸が、音を立てて解けていくのが分かった。
実家で虐げられ、理不尽に捨てられ、それでも歯を食いしばって前だけを向いて歩んできた。
そのすべての緊張が解き放たれ、私の瞳から、大粒の涙がとめどなく溢れ出した。
悲しみの涙ではない。
守られ、愛されているのだという、生まれて初めて知る安堵の涙だった。
カイルは何も言わず、私の背中を大きな手で静かに撫で続け、私の涙を受け止めてくれた。




