第5話「暴かれた偽」
かつてクロフォード伯爵邸にいた頃、社交界で称賛を浴びていた加護の刺繍は、すべて妹のリリアナの名で発表されていた。
私が前世の記憶を頼りに幾何学の結び目を編み込み、夜を徹して完成させた布地は、翌朝には妹の部屋へと運ばれた。
父はそれを「妹への慈しみ」と呼び、アレンは「リリアナの類稀なる才」と褒めそやした。
王妃陛下への献上レースもまた、一年前から伯爵家が妹の功績として宮内省へ約束を取り付けていた品だった。
私が追放されたあの日、アレンと父が何を考えていたのかは想像に難くない。
道具さえ奪えば、リリアナが同じものを作れると本気で信じ込んでいたのだ。
――追放から三十日。
私は王宮の一角にある公証院の広間に立っていた。
王室特許商人の認可審査会。
黒曜会の専属工房「レーヌ」の代表職人として、そしてカイルの伴侶として、私は正式に出頭していた。
広間の上座には、宮内省の官吏や貴族院の審査官たちが厳めしい顔で並んでいる。
「……裏街の商業ギルドが、王室特許の申請だと? 前代未聞の沙汰だ」
貴族院から派遣された中年の審査官が、侮蔑を隠そうともせずに書類を卓上に放り出した。
「クロフォード伯爵家から追放された罪人の女を看板に据えるなど、王室を愚弄しているとしか思えん。どうせ下層民を騙して粗悪品を売り捌いているのだろう」
露骨な横槍と蔑みの視線。
だが、私の隣に控えていたカイルが、静かに一歩前へ出た。
「お言葉が過ぎますね、審査官殿」
低く冷徹な声音が、広間の空気を一瞬で凍りつかせた。
カイルは薄い笑みを浮かべたまま、懐から一通の文書を取り出し、審査官の目の前へと滑らせた。
「黒曜会は王室への物資供給に関する正規の認可商人です。理由なき申請却下があれば、貴族院の資金管理に関する重大な疑義として、王室財務監査へ照会をかけますが……よろしいですか?」
「なっ……! き、貴様、脅す気か……!」
審査官が狼狽し、顔を引き攣らせて言葉を失った。
カイルの理知的な圧力に広間が静まり返る中、私は持参した木箱の蓋を静かに開けた。
「審査官の皆様。私どもの技術が本物であるか否かは、この布地をご自身の目でご確認いただければ十分かと存じます」
作業台の上に広げたのは、私が麻糸と魔力糸を交差させて編み上げた、最新の加護レースだった。
外光を浴びた瞬間、幾何学の結び目から、澄み渡るような青い燐光が立ち上った。
魔導鑑定具を翳すまでもなく、肉眼で明確に捉えられる純度の高い光。
精神を鎮静させ、疲労を拭い去る魔力の循環が、室内の空気を清らかに満たしていく。
「こ、これは……なんという魔力密度だ……」
「継ぎ目が一切乱れておらず、循環が途切れていない……」
宮内省の官吏たちが息を呑み、立ち上がって身を乗り出した。
先ほどまで難癖をつけていた貴族院の審査官も、青ざめたまま口を開くことができずにいた。
技術そのものが放つ真実の前に、悪意の言葉はあまりにも無力だった。
◇
認可審査の全会一致による可決を取り付け、私とカイルが王宮の中央回廊へと出た、その時だった。
「きゃあああああっ!」
張り詰めた空気を切り裂くような、甲高い悲鳴が響き渡った。
回廊の先、王妃陛下が主催されている園遊会のサロンから、何人もの貴婦人たちが慌てふためいて逃げ出してくる。
「息が、息ができないとおっしゃっているわ!」
「お顔やお首に、恐ろしい湿疹が……!」
サロンの開け放たれた大扉の奥から、怒声と混乱が押し寄せていた。
私はカイルとともに歩みを止め、遠巻きにその様子を視界に収めた。
大広間の中央で、高位の伯爵夫人が苦悶に顔を歪めて長椅子に倒れ伏していた。
その首元には、広げられたばかりの純白のレースが巻きつけられている。
リリアナが「王妃陛下への献上前の試作品」と称して持ち込み、披露していた模倣品だった。
布地の結び目は不揃いで、無理やり注ぎ込まれた魔力が循環を失って淀み、黒ずんだ魔力の残滓となって布から漏れ出していた。
魔導の秩序を持たない者が、形だけを真似て魔力を押し込めた結果の暴走――魔力中毒による激しい拒絶反応だった。
「だ、騙したのね、クロフォード伯爵家!」
「王妃陛下にお怪我がなくて何よりでしたわ! このような毒布を持ち込むなど、国家への反逆です!」
サロンの中にいた貴婦人たちの怒声が、容赦なく浴びせかけられていた。
やがて、蒼白になったリリアナが、侍女たちに突き飛ばされるようにしてサロンの外へと追い出されてきた。
「違います……! わたくしは、わたくしは知らなかったのです……!」
リリアナは涙を流しながら叫んでいたが、回廊ですれ違う貴婦人たちは、一様に冷酷な表情で扇子を広げ、彼女から顔を背けた。
侮蔑と嫌悪に満ちた沈黙。
昨日の今日まで社交界の華ともてはやされていた令嬢が、一瞬にして害虫を見るような目で見下ろされている。
屈辱と恐怖に震えるリリアナの横顔が、私の視界をかすめた。
その栗色の髪には――あの日、アレンが私から乱暴に奪い去った、母の形見の銀の髪飾りが挿さっていた。
三枚の葉の透かし彫りが、妹の惨めな姿を嘲笑うかのように、冷たく光を反射している。
そして、サロンの扉脇には、近衛騎士団の制服を着たアレンの姿があった。
「アレン副隊長! この献上を取り次いだのは貴様だな!」
大股で歩み寄ってきた近衛騎士団長が、怒りに顔を紅潮させてアレンの胸ぐらを掴み上げた。
「め、滅相もございません! 僕はただ、伯爵家の技術を信じて……っ」
「言い訳は見苦しい! 王室への献上品にこのような危険物を紛れ込ませた責任は重いぞ! 直ちに詰所へ同行しろ、査問にかける!」
「そ、そんな……隊長、お待ちください! 僕は……!」
顔色を失い、情けなく狼狽するアレンの姿が、団長の手によって引きずられていく。
かつて私を冷酷に見下ろし、私が婚約指輪を屑籠へ捨てた夜、怒りに顔を歪めていた傲慢な男の面影は、そこには微塵も残っていなかった。
嘘の上に築かれた砂の城が、音を立てて崩壊していく。
私は眉ひとつ動かさず、その無様な光景を冷ややかに見届けた。
◇
王宮を出て、黒曜会の黒塗りの馬車に乗り込んだ後も、外の喧騒がかすかに耳に残っていた。
馬車が静かに石畳を走り出す。
車窓から差し込む夕暮れの光が、向かいに座るカイルの横顔を照らしていた。
「……エレナ様」
カイルが低く、柔らかな声で私の名を呼んだ。
彼の手が伸びてきて、私の膝の上にあった右手を、包み込むようにして強く握り締めた。
「カイル様……?」
革手袋を外した彼の素肌から、熱い体温がまっすぐに私の掌へと流れ込んでくる。
カイルは私の指先を自らの胸元へと引き寄せ、切れ長の瞳を私に絡ませた。
その瞳の奥には、先ほど王宮で見せた氷のような冷徹さはなく、切ないほどの情熱と、独占欲に似た強い光が宿っていた。
「認可審査は通りました。これで、あの者たちがあなたに手出しすることは二度とできません」
カイルの指が、私の指の隙間へと滑り込み、深く絡み合う。
「もう誰にも、あなたを奪わせない。あなたの技術も、あなたの誇りも……あなたの全てを、俺が守り抜きます」
至近距離で囁かれたその言葉に、胸の奥底が強く軋んだ。
呼吸が乱れ、カイルの瞳から視線を逸らすことができない。
彼の手から伝わる熱が、冷え切っていた私の過去の痛みを、ひとつずつ溶かしていくようだった。
「……ありがとうございます、カイル様」
私が小さく呟くと、カイルは愛おしそうに目を細め、握り締めた私の手にさらに力を込めた。
◇
その日の夜遅く、工房を訪れたロイから、王宮の決定に関する報告が入った。
「激怒された王妃陛下より、クロフォード伯爵家へ正式な最後通牒が下されたとのことです」
ロイは眼鏡の位置を直し、淡々と要旨を伝えた。
「半月後に行われる近衛選考御前試合の式典までに、完璧な真作の加護レースを納入せよ。もし能わなければ、王室に対する詐欺および不敬の罪として、クロフォード伯爵家を即時改易に処す、と」
逃げ道のない、絶対の勅命だった。
偽りの才を誇っていた者たちへの、崩壊の秒読みが始まった。




