翠月2
「私が翆月と出会ったのは二十歳の時だったけれど……もうすぐしーちゃんも、あの時の彼と同じ年になるのね……それにしても不思議よね、しーちゃんたら成長するにつれて、ますます翆月に似てくるんだもの」
単に顔や声が似てるだけならまだしも、二人は性格や能力から食べ物や服の趣味に至るまで、あまりにも似すぎていると春蘭は言う。
「本当に、二人とも腹が立つほど頭がいいくせに、傍から見てるとどこか抜けてるところまで、そっくりなんだから」
彼女がくすりと笑みをこぼすと、懐かしげな面持ちで白夜に続ける。
「私って昔から顔がいい男に弱かったのだけど、しーちゃんったら、あの人間離れした美貌の翆月に生き写しなんだもの。最近なんて、目の前でしーちゃんに名前を呼ばれると、一瞬、翆月に呼ばれたような気がしてドキリとするくらいよ」
ふふっ、しーちゃんには内緒だけれど、と笑う主に対して、白夜はあくまでも無言のまま軽く頷くだけだ。
そんな忠臣の顔を見上げながら、彼女がふと思いついたようにたずねた。
「そういえば……白夜はこの本家の屋敷にある『開かずの間』には、入ったことがある?」
「いいえ」
「古参の白夜ですら入ったことがないのなら、『あの部屋に何があるのか知っているのは、龍家の当主だけ』っていう噂は、やっぱり本当なのかしら……白夜は知らないけれど、実は私、結婚前に一度だけあの部屋に忍び込んだことがあるの」
白夜が微かに驚きの色を浮かべると答えた。
「それは……初耳です」
「今まで翆月以外は誰も知らなかったんだもの、当然よ。私は龍家の実質上の主だけれど、この百華国では今でも『女だから』っていう理由で公式の当主にはなれない身でしょ。周りにバレると厄介だから、ずっと黙っていたのよね」
「……過去にあの部屋に入ろうとした者には、女子供であろうと容赦なく厳罰が下されたと聞いています。春蘭様が見つからずに出て来られて何よりでした」
彼が心なしか安堵したようにそう言うと、彼女は首を傾げて言葉を濁した。
「う~ん、あれって本当に見つかってなかったのかしら……? 何しろ、『開かずの間』に忍び込んだら、部屋の長椅子で先客の翆月が気持ちよさそうに眠っていたんだもの……ほら、龍家としては、私のことを処罰するのなら、その当時はまだ『次期当主』だった翆月の侵入も、明るみに出さざるを得なくなるでしょう? だから、実は龍家のほうで見なかった振りを決めこんだっていうのが、真相なんじゃないかと思っているのだけど」
実はこの時初めて翆月に出会ったのだと告白すると、白夜が微かに眉をひそめた。
「……お二人の馴れ初めの場は、紫龍城の宴の席だったと伺っていましたが……」
「そんなの龍家と伯家のでっち上げに決まってるじゃない。だいたいあの物ぐさで偉そうな翆月が、自分が皇帝に三跪九叩頭する姿を見たくてうずうずしている輩が待ち構えている宮城になんて、のこのこ出かけて行くと思う?」
「……確かにその通りです」
そういえばしーちゃんたら、そんなところまで翆月にそっくりなのよねえ、と付け加えてから、春蘭は話を続ける。
「ところであの『開かずの間』なんだけど……実はあそこには、歴代の龍家の双子の肖像画が――つまり龍家の歴代当主と『龍の花嫁』の肖像画が、壁じゅうに飾られているの」
「肖像画の部屋だから、あの部屋は『開かずの間』なのですね」
ところが春蘭はここで首を横に振った。
「ううん、それは違うと思うわ。だって、それだけだったら別に、入った者に厳罰を下すほどのことはないでしょう? ここだけの話だけれど、歴代の龍家の双子は皆、代々同じ顔と言っていいほど瓜二つだったのよ。それこそ、龍家の双子は全て生まれ変わりなんじゃないかと想像してしまうくらいに」
きっとそれが、あの部屋が『開かずの間』である最大の理由なのだわ。そう断言した春蘭が、白夜の反応を窺うように、じっと彼の瞳を見つめる。
だが、大柄で逞しい忠臣はこの話に全く驚きもせず、代わりに少し前の話を蒸し返してきた。
「ところで、春蘭様が『開かずの間』に入られたというのは、もしや例のお見合いの日だったのではないですか?」
まるで肖像画の件など歯牙にもかけない彼の反応に、春蘭が心の中でふとつぶやく。
(まさか……白夜はとっくに龍家の双子の秘密を知っていたとか……?)
でも、あの『開かずの間』に入ったことがないというのなら、いったい彼はどこで、どうやってそれを知ったというのだろう。
彼に問い質してみたかったが、どうせ真実など口に出すはずもないので思いとどまった。
白夜には昔から謎が多い。ただでさえ寡黙な彼は、己に関しても多くを語ろうとはしない。
それでも春蘭は、彼のことがとても好きだった。勘の良い彼女は、彼が何を措いても彼女のことを守り抜こうとすることを、本能で察知していたから。
子供の頃からの忠臣に、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、彼女は答えた。
「勘がいいわね、その通りよ。あの時は『開かずの間』にさえ居れば、たとえ龍家が総力を挙げて私を探したとしても、絶対に見つからないと思ったの。それに……」
途中で口をつぐんだ主の瞳を、今度は白夜が物問いたげに見つめてきた。
ただでさえ『開かずの間』は、本家の屋敷の母屋にある。しかも、そこに通ずる廊下はたったの一本。龍家当主の部屋から出ているものだけなのだ。
春蘭の結婚前の名前は『伯春蘭』。龍家の傍流の家に生まれたのだが、伯家から龍家に嫁いでいた母は、夫が他界すると春蘭を連れて実家へと戻っていた。
あまり巷間に知られてはいないが、龍家には本家の双子の他にも、もう一人の『龍の花嫁』の言い伝えがある。それは、龍家の傍系の家庭に時おり生まれてくる、『春蘭』という名の娘のことだ。
春蘭の母が他界した後、彼女の後見人となった叔父は、言い伝えの通りに一生独身かもしれない春蘭の面倒を看ることを厭い、早々に龍家の遠縁と結婚させようと試みた。
それがあの日の見合いだったのだが、春蘭の意思に反してお膳立てされた相手は、チビ、ハゲ、デブ、と三拍子揃った中年の醜男で、どう控え目に言っても自由恋愛市場では見向きもされない、最後の売れ残りだった。
事前にこっそり相手を偵察しに行った彼女が、彼を見た瞬間、巨大な甕で頭を殴られたような衝撃を受けたのも無理はない。
見合いの当日。彼女は当主不在の龍家の屋敷に、単身で忍び込んだ――――。
「あれは、私の人生最大の賭けだったわ……」
先ほどから責めるような視線を向けてくる白夜に、彼女がぽつりと吐露する。
もちろん、『開かずの間』で見合いの日をやり過ごせれば、縁談がお流れになるかもしれない、という淡い期待は心のどこかにあったかもしれない。
けれども、春蘭はそんな非現実的な妄想に自分の人生をゆだねるほど、甘ちゃんではなかった。
彼女は既に厳罰を受ける覚悟を決めていたのだ。白夜が先ほどから察していたように。
巷の噂によれば、『開かずの間』で見つかった者は、問答無用で手打ちにされるという――――。彼女がいくら元々は龍家の出だといっても、本家と傍流の末端では身分が違いすぎるし、泥棒まがいの振る舞いをして家名を汚した彼女は、手打ちにされなくとも龍家からは永久追放されていたに違いない。
だがそれは同時に、彼女が見合い相手から解放されることをも意味していた。
十華の令嬢としての全てを捨てようとしていた、あの日。結果として春蘭は、崖っぷちでの賭けに勝利した。
けれどもそれは、翆月が登場したことから、彼女には思いもよらなかった方法によって――――。




