何もないところでコケるのが流行ってるんだってよ
エトゥリー・ルスティカーナ男爵令嬢は、巷で「可愛らしい」と評判だった。
バラのような頬、さくらんぼの唇。金色の髪はウェーブを描き、振り返りざまに微笑めば誰もが魅了される。
だからこそ、エトゥリーは父から言われてきた。
「お前がこの学園で王太子殿下にお目通りが叶えば、きっと寵愛を一身に受けるに違いないのに」
と。
エトゥリーもそうに違いないと思っていた。
だって、王太子殿下がいつも一緒にいるのは平民の少年。特待生とはいえ、彼が王太子殿下のとなりにいつもいることを許されるのなら、エトゥリーだって許されるはずではないか。
そうすれば、いずれは婚約者のリリーナ嬢を差し置いて、自分が寵愛を受けることは間違いないはず。
もしかしたら、リリーナ嬢との婚約を解消して自分と結婚してくれるかもしれない。
エトゥリーは本気でそう思ってきた。
何しろ彼女は本当に美しかった。
誰もが彼女に魅了される。誰もが彼女の微笑みを求める。
王太子殿下だって、いずれはそうなる。
あとはきっかけ。
それがあれば。
そう思っていたとき、彼女は知った。
図書館で読んだ、恋愛小説の中のある一節。
出会い頭にぶつかり、転んでしまった主人公を助け起こす運命の人。
学園では、王族に対しても多少の無礼が許されている。
物語の中では、主人公はそのアクシデントをきっかけに運命の人と知り合い、結ばれる。
彼女は思った。「これだ」と。
王太子殿下との運命の出会いを、こんなふうに始めればいいのだと。
……エトゥリーは若干、夢と現実の区別がついていないのだが、それは彼女の可愛げの一つとして受け取っておいてもらいたいものである。
◆ ◆ ◆
「ですからエド様、ウィル様の村、ロシュトーク村とおっしゃいましたかしら。そちらは絶対に宝の山が隠されているに違いありませんの!」
かなりの口調でリリーナさんは主張している。
どうやら貴族は大声を上げるとか、そういうのを行儀が悪いと考えているらしい。リリーナさんはその最低限の節度を守りつつ、全力で俺とエドにうったえていた。
「聞けばウィル様のご実家はアイテムショップを営んでいらっしゃるとか。これは王都とロシュトーク村、いずれにとっても販路が広がる、大、大、大チャンス、ですわ!」
「と言われたって……」
エドは俺の方を見ながら、困った顔でため息を付く。
「父上からはウィルのポーションを売るのは禁止されたし、無理じゃないかなぁ」
「そーそー、あんなクズポーション、売り物になりませんって」
「……クズじゃないから売り物にならないんだけどね……」
「? なんか言いました?」
「うん、なんでもないよー」
めっちゃいい笑顔で返された。どういうこった。
「商材は何もポーションだけではありませんわ! あれだけの大きさのドラゴンを30分で解体しきったその技術! それだけでも商品価値になりますし、その技術で取り出された、これまで使われてこなかったドラゴン素材が取れるようになれば、王都はさらに技術発展が見込めます!」
「ドラゴン30分で解体なんて、うちの村じゃ遅いほうっすよ」
「ですから! その技術を王都に持ち込むことが大事なのですわ!」
そんなことを言い合いながら角を曲がったところで、どん、と衝撃。
「よしっ、きゃっ……!」
「おっと」
リリーナさんにぶつかったあと何故か一拍置いてその場に転びかけたその人影を、俺はひょいっと支えた。
「だいじょぶっすか」
「……ちがうぅぅぅぅ……」
なぜか泣かれる。なぜだ。
「あら、ルスティカーナ男爵令嬢」
「あ、え、エルヴァラッド公爵令嬢……」
慌てたように居住まいを正す人影。よく見ると人形みたいにきれいな人だった。
「紹介しますわ。こちらエトゥリー・ルスティカーナ男爵令嬢。わたくしのクラスメイトです」
「やあルスティカーナ男爵令嬢」
「お、王太子殿下に置かれましては、ご機嫌麗しく……!」
「で、君を支えてくれたのは僕の友人のウィル」
「ウィルっす」
「は、はじめまして……」
いいながら、エトゥリーさんはじっとエドを見ている。エドはいつもと違って、表情の見えない笑顔を浮かべていた。
……なんだなんだ。エドの笑顔、全力で嫌そうだぞ。
「ところでルスティカーナ男爵令嬢、今転びかけましたけど、お怪我はなくて?」
「あ、ハイ! 考え事をしてたら前を見ていなくて……うっかりしてましたっ」
てへ、と舌を出し、拳で頭をコツンと叩くジェスチャーをして見せる。こんな事するやつ初めて見た。いるんだな。女の子の中に。本当に。
「……その割にさっき、『よしっ』という声が聞こえた気が……」
「ききききのせいですわっ! ヤダ私ったら、これで失礼いたしますぅ」
言いながら足早に去っていく。エトゥリーさんが見えなくなったところで、エドが深くため息を付いた。
「……ルスティカーナ男爵は野心の大きな人だと聞いていたけど。娘も似たりよったりだな」
「ただのうっかりさんじゃないんすか」
「……ウィル、ウィルは今のままでいてね」
なぜか、両手を包むように握られて懇願された。理由がわからん。
俺は首を傾げつつ、はあ、と頷くしかなかった。
その日は、それだけだった。
——その日は。
翌日。朝。
「きゃっ」
「おっと、あれ、昨日見た人っすね」
「ごごごごめんなさい失礼します!」
その日の昼。
「きゃあっ!」
「っと。朝もコケてませんでしたっけ」
「気のせいですわ失礼しますっ!」
放課後。
「きゃあぁっ!」
「……あの、いい加減足元見たほうがいいっすよ」
俺とエドの直ぐ側でアホほどコケそうになりまくるエトゥリーさんに、俺はその体を支えながらもたまらずそう言い含めることにした。
「……す、すみません……」
気まずそうに視線をそらしながら、エトゥリーさんは去っていく。
なんなんだろう、あれか。
「なんもないところでコケるのが最近の貴族の流行りとか?」
「そんなわけ無いと思うなぁ」
エドが苦笑しながら否定する。そっすよね。
「じゃ、あの人がとんでもなくうっかりなんすね」
「……ウィル、ほんとにわからない?」
信じられない、という顔をして、エドが問いかけてくる。なんだ。コケることに何か意味でもあるんだろうか。全く想像つかないけれども。
「うっかり以外にコケる理由なんてないっすよね」
「……うん、いいんだ。ホントに。ウィルはそのままでいてくれればそれでいい」
眩しいものを見るように、俺を見つけてくるエドの視線が若干居心地悪い。
「僕の見立てが正しいなら、そのうち諦めてやめてくれるんじゃないかな。それまでしばらく至近距離で転び続ける彼女を見ることになるかもしれないけど……」
「やめるやめないの話なんすね」
「うん、たぶんね」
苦笑を深くして、それからふうっと息を吐いたエドが振り返る。
「さあ、寮に帰ろう。今日もたくさん宿題があるしね」
そう言って歩き出したエドを追って、俺も歩く。
「そういや、もうじき夏休み前のテストっすね」
テストなんて初めての経験だ。緊張しちまう。
するとエドはクスクス笑いながら言い返して来た。
「君、教科書以上に詳しかったりするし、テスト勉強いらなくない?」
「いや、魔法学と剣術実習についてはからっきしっすよ。見てたでしょ。火を出せって言われてボヤ騒ぎ起こすわ、木剣で藁人形叩けって言われて藁人形ぶっ壊すわ」
「……あれが『できない』の部類に入ると思ってるんだから君って純朴だよ……」
そんなことを話しながら、ふと目を上げると。
階段の踊り場付近に、エトゥリーさんがいた。その手前にリリーナさん。
リリーナさんは階段を昇る
エトゥリーさんは階段を下る。
「——まずい」
それを見たエドが低く囁いた。
何が、というより先に、エトゥリーさんが足を踏み外す。
「——えっ」
リリーナさんがとっさに振り返り、手を伸ばして助けようとしているのが見えた。
けれど……遅い。エトゥリーさんには届かない。
「——き……!」
叫びかけたんだろう、エトゥリーさんがひゅっと鋭く息を呑んだのが分かった。
「よっと」
俺はその体が階段を転がり落ちる前に肩を支えて止める。
「リリーナ!」
叫んだエドが俺とエトゥリーさんを追い抜いてリリーナさんの方へ向かう。
「ルスティカーナ男爵令嬢、あなた……!」
「ひどいですリリーナ様……!」
なにか言いかけたリリーナさんを、エトゥリーさんが遮る。俺に支えられたまま拳を胸の前で握って更になにか言いかけ……ひゅ、と声が止まった。
そういえば、聞いたことがある。
貴族の中でも上下関係が厳しくあって、位が上の人の言葉を遮ってはいけない、んだったか。今うっかりリリーナさんの言葉をエトゥリーさんが遮ってしまって、それでしまったと思ったんだろう。
確か公爵と男爵じゃ、公爵のほうが上だったもんな。
エドの表情もここからじゃ見えないけど、ちょっと苛ついているのがわかる。
こういうときはそういう上下関係の関係ない俺が出るべきだろうな。
「うっかりしすぎっすよ。階段でコケたら怪我じゃすまんっす」
「え、ええと」
エトゥリーさんは困惑した顔で俺を見上げてくる。
「エトゥリーさん、今あなた、うっかりではなくわざと転ぼうとしましたわね」
低い声で、リリーナさんがそう告げた。
振り返ると、エドも無表情で小さく頷いてくる。わざと?
「なんで?」
「……この状況で転んで、しかもリリーナにひどいとまで言ってのけた。理由は一つしかない」
理由。
うーん。
わからん。
いや、もしかして。
「よくコケるから、受け身の取り方の練習でもしようとしてたんすか」
ずる、とエドが転びかける。
「危ないっすよエドも」
「そそそ、そうです! う、受け身の取り方を練習しなくては、いつも支えていただいてばかりでは申し訳ないので……!」
「そっすか。でも階段でやるより前に平坦なとこでやったほうがいいっす。高いとこだと受け身とっても痛え時とか普通にあるんで」
「そ、それは、その……! ご、五点着地を、練習しようと……!」
「ずいぶん難易度上げたっすね。まあ木の上から落ちてもあれ習得しとけばそんなダメージも残らんし、頑張ってください」
「あ、……はい、ありがとうございます……」
エトゥリーさんは立ち上がると、バタバタと階段を駆け下りていく。そしてそのまま。
「きゃーぁぁぁぁ!!」
自分の足に自分の足を引っ掛けて見事にすっ転んだ。
「……コケるの、素なのかな、もしかして」
階段を下りてきたエドが、肩をすくめてぼやく。
「五点着地を習得するの、まだまだ先になりそうっすね」
なんとも言えない顔をしたエドを見返して、首を傾げたけれど、いい笑顔で首を横に振られた。なんだったんだ。
「ウィル様、ありがとうございます」
リリーナさんも下りてきて優雅にお辞儀。なんで俺がお礼を言われてるんだかよくわからんが。
「俺、なんかしました?」
「転びかけた令嬢を怪我をする前に支えるのは紳士としては満点の動きだろ?」
「そうなんすかね」
エドの言葉に首をひねる。俺としてはその前にコケないようにしてもらいたいところなんだけれども。
「彼女も、これにこりて少しでも転ばないようにしてほしいところですわね」
リリーナさんがそうつぶやいたので、俺も深く頷いた。
……ちなみに後日知ったことだけれども。
エトゥリー・ルスティカーナ男爵令嬢は、割と何もないところで転びまくる常習犯らしい。
いやはや、貴族ってのは色んな人がいるもんだな。




