4-8 見覚えのある符号
ルシアンは、エドガーがコンラッドから預かった過去の裁定資料を調査局に持ち込んでいた。
三つ並んだ机に全てを並べて、とりあえず一冊を手に取り、読みはじめる。
窓の外では、調査局中庭に植えられた木の黄金の葉が揺れているのが見えた。風が吹くたび、手元の光がちらつく。
ノックの音。
ルシアンは資料を机に置くと、のんびりと席を立って扉を開けた。
「……こんにちは。ヴェイル調査官」
扉の向こうにいたのは、姿勢よく立つオリーブグリーンの制服を纏った墨色の髪の男。彼は無表情のまま、眼鏡の位置を指先で直した。
「……あなたは?」
「ウォルター・ケイン。君が離脱している間、レイブンズ法務官殿の担当調査官をやってた」
――あぁ、あのやたらきれいな文字を書く人か。
彼からは、引き継ぎとして報告書を預かっただけで、顔を合わせるのは初めてだった。
ルシアンは頷くと、にこやかに笑顔を作る。
「その節はありがとうございました」
ウォルターはルシアンの脇をすり抜けるようにして部屋に入ると、書架の前に立った。
そして、無言で調査書のファイルを並べ直し始める。
一通り終えると、彼は書架に向き合ったまま、腰に手を置いた。
「ヴェイル調査官。
君は、ヘインズ上級法務官殿の肝入りでここへ来た特殊な経歴の持ち主だね。
普通は補助員、調査官補を経て特別調査官になるもんだが、ろくな調査官につくことなくいきなり特別調査官になった」
ルシアンは背中で手を組み、ウォルターを不思議そうに眺めている。
「……はい。その通りです」
「調査は丁寧。それでいて無駄がない。レイブンズ法務官殿の意図もよく理解している。
調査官としては大変優秀だ。
レイブンズ法務官殿が上級法務官に昇格しても、君ならそのまま彼付きでいられるだろう」
「……ありがとうございます」
ウォルターはため息をつく。
そして、勢いよく振り返った。
「だがな! お前、字が汚え! 書架の資料フォルダも並びがバラバラ! 報告書のまとめ方もその時々の気分!
あれをクソほどに忙しい法務官に読ませる気か!」
「……え?」
「俺は日頃は上級法務官つきでお前より圧倒的に忙しい。
だが、罪滅ぼしだ。俺がお前を育ててやる」
ルシアンはへらりと笑う。
「え……別に……そんな」
ウォルターは人差し指をルシアンに向かって突き出し、唾を飛ばす勢いでまくし立てた。
「整理整頓を舐めるな!
きちんと整えときゃ、欲しいときに欲しい情報がぱっと出せて効率がいいんだよ。
整理作業中に頭ん中も整理される。
報告書の書き方も調査局として決められたもんは特にねぇ!
ねぇけど、毎度何枚も何枚も法務官は読むんだ! 整えたもんを渡してやれ!」
「……はい。すみません……」
ウォルターは満足げに頷くと、襟元を整えながら、机に並べられたフォルダに視線を落とす。そのうちの一冊を手に取った。
「お、これ、懐かしいな」
「ハーグリーヴズ上席法務官殿が過去に裁定した資料をお借りしたんです」
「これの調査には俺も関わった。あん時はまだ調査官補だったがな」
「へぇ……。
このカームライトが今回の案件に関わっているんです」
ウォルターが椅子の一つに腰を下ろすと、ルシアンも別の席に座る。
「カームライトな……。あれは怪しい薬だった。
だけど、当時は医者と患者間の未払い裁定だった。
薬の出元について調べるのは制度上無理だったんだ。余計なことに貴重な法務官と調査官の時間も労力も割けんからな」
革装丁のフォルダを開き、ウォルターは素早く過去の裁定資料に目を走らせた。
「ヴェイル調査官……。例のエドワード・ハリントンの調書は読んだか?」
「はい」
「これ……。……この並び……最近見たな。
当時もおかしいと思ったが、調査できなかった部分なんだ。
なぁ、調剤会社の住所、おかしいだろ?」
ウォルターがルシアンに開いてみせたのは、調剤業者から医師への納品書。
その中の調剤会社の住所部分を指で示す。
どう見てもそこに書かれているのは住所ではなかった。まるでメモ欄のように使用されている。
「この文字の羅列……」
「似てるよな。俺も今気づいた」
エドワード・ハリントン殺害事件の際に押収された証拠品の中に、それと似た文字列を彼らは見ていた。それは、旧地図と旧軍事コードを使用した特定の場所を示す暗号。
「解析してみないと正確には言えんが……。
もしかしたら、後ろにいるやつは、エドワード・ハリントンの事件の裏にいたやつと同じかもな」
ウォルターが顔をあげると、住所欄を見つめるルシアンの顔色がわずかに悪い。
ウォルターは再び視線をファイルに戻し、窓の外を一瞬だけ見た。
そうして、彼が、声を落とす。
「あぁ……もしかして“真の黒幕”ってやつか?」
ルシアンは視線を上げ、静かに頷いた。
互いの瞳が交わる。
「厄介なのに繋がったな」
ウォルターも、頷いて返した。
「俺もその存在は知ってる」
「ただ……。経験則として、俺とレイブンズ法務官は、このコードを使用するのが彼だと予測しているだけで、実際にこのコードが彼に繋がるという証拠にはならないんです」
ウォルターは静かにフォルダを開いたまま机に置くと、鼻で笑う。
「……だからこそ黒幕って呼ばれるんだろ」
ウォルターは別のフォルダを手に取った。
「他に何かないか」
「業者への支払い記録が全部現金ですね」
ルシアンはいくつかの支払い証明書や請求書を並べて、ウォルターに見せる。
「治療に使うのならある程度の数をまとめて医師は購入しているはずだ。
小切手を使わせないのは不自然だな」
「現金のほうが足がつかないから」
「だろうな。
やっぱり改めて見てもカームライトはまともな薬じゃない」
ルシアンは息を呑むと、ウォルターに見せていた資料を自分の方に引き寄せた。
「……ヴァレンティン家に、調査に行ってきます。二十年近く前の出来事ではあるが、ほとんど部屋は当時のままだそうなので」
「そうか。それは重畳」
ウォルターは机の上のまだ開かれていないフォルダを順番に並べ替えてから、立ち上がる。
「俺は自分の仕事に戻る」
彼は襟を整え、眼鏡の位置を直しながら扉へ向かった。
「いいか。ルシアン・ヴェイル。
整理整頓だ。
忘れるな。整理整頓は基本だ」
「はは……ご助言感謝します」
ウォルターは不敵に笑うと、部屋を出ていく。
ルシアンは苦笑いを浮かべなら、その背を見送った。




