4-6 遠い家
前庭を抜け、邸宅正面の車止めに辻馬車が停車した。
石造りの邸宅。三階建ての横長の建物の向こうには、広い庭園と芝の簡易馬場が広がっている。
エドガーは、フロックコートの裾を揺らし、静かに馬車から降り立った。
レイブンズ男爵家は、王都西区の中でも丘寄りにあった。
爵位は男爵にすぎなくとも、代々宮廷に近い実務を担ってきた家柄であり、広大な敷地の邸宅を持っていた。
駆けつけてきた使用人達は整然と列をなし、彼を迎える。
「坊ちゃま。お帰りなさいませ」
執事がエドガーから杖と帽子を受け取りながらそう言うと、エドガーは小さく笑った。
「……ただいま」
使用人によって開け放たれた玄関扉をくぐり、エドガーは邸宅に足を踏み入れる。
裁定院に入ってから、ほとんど近づかなかった実家。
貴族邸宅らしい、高い天井の広い玄関ホール。シャンデリアが天井中央で品よく灯り、奥にはオークの重厚な階段が静かに待つ。その脇には大きな壺に花が活けられていた。
エドガーは昔からさほど変わっていない空間に、小さく息を吐いた。
足音が近づいてくる。
そちらへ目を向けると、黒髪に群青の瞳の男が少し足早に、エドガーに向かって歩いて来ていた。
「エドガー」
「……アレク兄さん」
「なぜお前は手紙に返事を出さない。変人ジュリアンの方がまだ返事をよこすときた。本当に信じられない」
エドガーが笑うと、長兄アレクサンダーも、切れ長の瞳を細め、口端を少しだけ持ち上げて笑った。
「父上が応接室でお待ちだ」
「家族なんだから、居間でいいじゃない」
「……そういう人だ。早く行こう」
並んで歩き出す。
玄関ホールの出口で、女性がエドガーに向かって静かに一礼していた。
アレクサンダーの妻クラリッサ。
エドガーも軽く頭を下げて返す。
「ヘンリーとフレデリックは?」
「寄宿学校に入ってる」
「……二人とも?」
「そうだ」
廊下の木床はよく磨かれ、壁に飾られた絵画は、レイブンズ男爵家にしては華やかなものが並んでいた。
「……クラリッサ義姉さん、少しお腹が目立っていた気がした」
「……妊娠中だ。来月には生まれてくるだろう」
「なぜ教えてくれなかったの? そうしたら何か持ってきたのに」
「手紙に書いた」
「……ごめんなさい」
エドガーが素直に謝ると、アレクサンダーは小さく笑う。
先回りしていた執事が応接室の扉脇で待っていた。
扉が開き、二人は中へ。
落ち着いた藍の絹壁。
大窓から淡い金の光が部屋全体に差し込み、深色のオーク材の家具を包むように照らし出している。
同じく深い色味のマントルピースの上には、控えめに飾られた金杯。
大きな革張りのソファに、父セバスチャンは静かに座っていた。
王立財務院監督官を勤める彼は、まさに堅物を具現化したような男だった。
「……座りなさい」
エドガーとアレクサンダーは父の正面のソファに並んで座る。
「……エドガー、いつぶりだ」
アレクサンダーがちらとエドガーを見た。
「三年か? 法務官になってからは一度も帰っていなかっただろう」
「……そうだっけ」
「もう少し顔を出しなさい」
「……はい」
アレクサンダーとセバスチャンは黒髪に群青の切れ長の瞳と、彼らは生き写しのようにそっくりだった。
エドガーだけ、アーモンドアイ。彼らより少し柔和な雰囲気。
アレクサンダーも父の跡を継ぐため、王立財務院に勤めている。
「結婚はいつするんだ」
「まだ……予定はありません」
「お前ももうすぐ三十だろう。真面目に考えなさい」
「はい……申し訳ありません」
「母さんに顔を見せてやりなさい」
「……はい」
セバスチャンは席を立ち、二人を残して部屋を出ていった。
「……父さん、僕と会話する気ないんじゃないかな」
兄が隣でふっと笑う。
「私も昔はそう思ってたよ。
ヒントを二つほどあげよう。
一つ、父上はお前の裁定記事を切り抜いて手帳に挟んでる。
二つ、お前、ブランデーが好きだろう?
父上は報せも出さずに突然来たお前のために、使用人を走らせたよ。いいブランデーを買ってこいって」
アレクサンダーがソファから立ち上がる。エドガーはそれを見上げた。
「父上は、昔私たちが思っていたほど大きな男ではなかったということだ。
……もっと顔を見せてやれ」
アレクサンダーも、エドガーを置いて部屋の扉に向かう。
「母上はサロンだ。行ってやれ」
扉が閉まる。
エドガーはそれをしばらく見つめてから、ソファから立ち上がった。
深い色味の家具が多い邸宅の中で、サロンだけは、どこか華やかだった。
淡い色の布張り家具。
花が至るところに飾られている。
メイド長の後をついてエドガーが中へ入ると、母エレノアは窓際の肘掛け椅子に腰掛けていた。
小柄なエレノアは、エドガーを見るとさっと立ち上がる。
「まぁ、エドガー! 大きくなって」
「母さん……。以前お会いしたときから身長は変わってないと思いますが」
「貫禄の話よ。貫禄」
エレノアは軽やかに笑いながらエドガーの両腕に触れる。次兄ジュリアンに似たキャラメル色の髪に、榛色の丸い瞳。
「ほら座って。裁定院のお話、聞かせてよ」
「そんなに話せることはないんですが……」
「嘘よ。レイブンズ家の男達はそうやってすぐ逃げるんだから。
裁定院なんてお話の種の宝庫じゃないの。
何でもいいのよ。
食堂のどのメニューが美味しいとか、中庭の花の種類や、階段の段数。なんでも!」
「階段の段数なんか知ってどうするんです……」
「あなたが十五段だと言ったら、私は“まぁ、十五段なのね”って応えて会話が生まれるじゃないの」
「……それで会話は終わりますよね」
「そんなことないわ。
では、我が家の階段の段数は何段かしらという話になって、私は答えられないから、じゃあ一緒に数えに行きましょうかってなるでしょう?」
「……なりませんよ」
「あなたは本当に、ああ言えばこう言う」
エレノアが声を立てて笑い出し、エドガーもつられて笑った。
二人はやっと椅子に向かいあって座ると、しばらくは他愛もない話に花を咲かせる。
「あぁ……笑ったわ。
セバスチャンもアレクサンダーもお硬いから、こんなに笑えないのよ。
クラリッサちゃんは付き合ってくれるけど、大事な時期ですもの。無理はさせられないわ」
エドガーが苦く笑う。
「付き合ってもらったから、あなたのお話にも付き合ってあげる」
エレノアはふっと瞳を細め、エドガーをまっすぐに見た。
「ただ帰省したわけではないのでしょう?」
部屋に飾られた花の香りが、一瞬だけ強く香る。
「……聞きたいことでもあるの?
私? それとも、セバスチャン?」
「母さんに……」
エドガーは視線を下げ、膝の上でこぶしを握った。
「教えてください」
もう一度視線を上げて、エレノアの榛色の瞳を見つめる。
「ソフィアについて……」
エレノアは小さく息を呑んだ。
そして、瞳を伏せる。
「そう……。
わかったわ。お庭に出ましょう」
エレノアは椅子から立ち上がると、エドガーに向かって指先を差し出す。
「そこで話すわ」
エドガーはその指先を自分の手のひらの上にのせる。
母をエスコートしながら、庭園へと、向かった。




