4-3 託された記録
午後。
エドガーは再び聴取室にいた。
部屋の中央にいたのは、アーネスト・ヴァレンティン子爵。
彼はエドガーを見るなり席を立ち、深く一礼をした。
きちんと仕立てられたウールのフロックコートは、わずかに年季を感じさせる。
整えられた白髪に白い眉。
その穏やかな瞳は、どこか彼女に似ていた。
アーネストは、エドガーをまっすぐに見つめると、目を細める。
「あぁ……。やっぱり君、エドガー君だね。立派になられて……」
エドガーはわずかに頬を緩め、軽く頭を下げた。隣りにいたピップは不思議そうに二人を見比べている。
「大変ご無沙汰しております」
改めて挨拶を交わしあい、それぞれが席に着いた。
「ヴァレンティン卿。
ドクター・ルーファス・モンティエを訴えることとなった経緯をお話して頂けますか」
法務官机からエドガーがそう言うと、アーネストは小さく頷き、話し始める。
視線を下げ、膝の上で組まれた指先は、わずかに白くなっていた。
「お恥ずかしながら……娘を亡くしてから我々夫婦は気力をなくしてしまってね。
娘の部屋を片付けることもできず、手つかずだったんだ。
使用人に任せきりで、ほとんどいじらずにこの年まできてしまった」
アーネストは小さく息を吐くと、少しだけ苦く笑う。
「娘は生きていればもう、三十五も過ぎてる。これはいかんと、やっと重い腰を上げたんだ。
そうしたら、机の引き出しは覚えのない二重底になっていた。娘が手ずから作ったのでしょうな。
――その中に、手記を見つけたのです」
エドガーがアーネストを見つめると、彼も視線を返した。
「娘は、聡明な子でした。彼女は薬の異常に気づいていた。
――だが、優しすぎる子だった。
我々に負担をかけたくないと、それを隠してしまった」
ゆっくりとアーネストの視線が下がる。
言葉を詰まらせ、子爵は口を引き結んだ。
誰も言葉を挟まず、彼の言葉を待つ。
時計の針の音だけが、室内に満ちていた。
やがて、子爵は顔を上げる。
「今になって……。こんな事実を知ることになるなんて……。情けない限りです」
彼は床に置いていた擦り切れた鞄を持ち上げると、その中から一冊のノートを取り出した。
「エドガー君……。いや、レイブンズ法務官殿。手記を……あなたに託します」
エドガーと書記官が視線を合わせ、書記官がアーネストの脇に立つ。だが、子爵はそれを手で制し、首を振った。
「実は、治安監察局にはこの手記の写しだけを、証拠品として提出させて貰ったのです。
どうしても……この手記を手放したくなくて」
アーネストがノートを手にしたまま、席を立つ。
「だが……君になら……」
「……よろしいのですか」
アーネストはゆっくりとエドガーの瞳を見つめ、頷いた。
「あぁ」
エドガーも席を立つが、机に手をつき、一度視線を手元に落とす。
「……ですが、私は……」
顔を上げた。
「法務官として、その手記を扱うことになります。
それでも……よろしいでしょうか」
ソフィアの父、アーネストは静かに頷く。
「……もちろんです」
エドガーは席を離れ、アーネストからそのノートを受け取った。
革装丁のノートは、装飾もなく、貴族令嬢が持つには、あまりにも簡素なものだった。
「珍しいな。お前がこんな時間に中庭にいるなんて」
ソーセージロールとりんごを持ったマルコム・ヘインズが裁定院中庭のベンチに近づくと、そこに座っていたエドガーは静かに顔を上げた。
「……マルコム卿」
何も持っていないエドガーの手元を見て、マルコムは眉を寄せる。
「ちゃんと飯食ってるか?」
「……食べてます」
「嘘をつくな」
「……今日はまだ食べてません」
マルコムは笑いながら彼の隣に腰を下ろし、無理やりりんごをエドガーに握らせた。
エドガーは苦く笑いながら前髪をかき上げる。
「マルコム卿にはかないませんね」
二人して声を立てて笑った。
マルコムがソーセージロールを齧っている横で、エドガーはりんごを見つめ、そのまま手の中で転がした。
「食べなさい。ピップにあげようなんて考えるなよ」
「……はい」
中庭には、シュウメイギクの白とピンクの花がゆったりと揺れていた。
噴水からは水が小さく流れ落ちている。
冬が来れば水が凍り、この噴水の流水は止められてしまうだろう。
「マルコム卿、つかぬことをお伺いしますが、カームライトという治療薬について、何かご存知ではありませんか?」
「……カームライト?」
マルコムは手を止め、雲の泳ぐ空を見上げる。
「……ある。昔、そんな薬が流行ったことがある。だがすぐに在庫がなくなったとかで出回らなくなったんだ」
「そうですか……」
「今回の案件、カームライトが関わっているのか?」
マルコムがエドガーを見ると、彼は小さく頷いた。
「はい。過去にそれを投与されていた女性の手記から、あの薬には麻薬が含まれているのではという記述が見つかったんです。
それを見た遺族が医師を訴えました」
「さらにそれに対して医師が訴え返したということか」
「そうです」
中庭の向こうで、小さく笑い声が上がる。あちらでは書記官たちが談笑しているようだった。
「コンラッドと、お前は面識があったよな。彼に聞いてみなさい。
当時、カームライトの関わる案件を担当していたのは彼だから。裁定資料を見せてもらうと役に立つかもしれん」
「コンラッド・ハーグリーヴス卿ですか?
――法廷の」
「そうそう。彼と私は実は同期でね」
エドガーは頷くと、りんごを齧った。それをマルコムは少しだけ目元を緩めて見つめていた。
「やぁ、エドガー君」
エドガーが、コンラッド・ハーグリーヴズの執務室に通されると、彼は黒い法衣をまだ肩に掛けたままだった。
「法廷帰りでしたか」
コンラッドはそれを脱ぎ、隣りにいた専属の書記官に渡す。
「ちょうど落ち着いたところだよ。どうしたんだい?」
彼はゆったりと自席につくと、エドガーには、その前に置かれた椅子に座るよう手で示した。エドガーは軽く頭を下げてから、腰を下ろす。
「現在扱っている案件には、治療薬カームライトが関わっているのです。ヘインズ上級法務官殿から、ハーグリーヴス卿に尋ねてみるといいと助言を頂いて……」
コンラッドは白髪の混ざる自身の髪に少し手を触れてから、「あぁ」と頷いた。
「……カームライトか。懐かしいな。
私が扱っていたのは、それに関する未払い請求の裁定ばかりだった」
「そうですか……」
「だが……何か見つかったのかな?」
彼は机に指を組み、柔らかい笑みを浮かべてエドガーを見る。エドガーは瞳をわずかに伏せ、小さく頷いた。
「あの薬の症状に、麻薬の試験薬なのではと考える法務官は当時少なくなかったよ。
突然現れて、出元も不明。
とにかく怪しい薬だった。
しかし、そんな声が大きくなる前に、薬はとんと出回らなくなり、裁定院としてはそれ以上は追えなかったんだ。
……カームライトは、そんな薬なんだよ」
エドガーは眉をかすかに寄せる。
コンラッドは法衣を整えていた書記官に向かって小さく手をあげた。
「君、エドガー君の部屋に当時の裁定資料を運んでもらえるか。悪いね」
書記官が一礼し、部屋を出ていく。
エドガーはそれを目で追う。扉が閉まると、改めてコンラッドに向かって頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「何かあれば、また来なさい」
「はい」
エドガーの体の前で組んだ指が、かすかに震えていた。




