3-22 静かな帰結
一斉捜査及び検挙から数日後――
「大変お世話になりました。
ヴェイル調査官も無事戻られるそうですので、私は元の配属に戻ります」
エドガーの法務官室。
ウォルター・ケインは深く頭を下げてから、顔をあげた。
眼鏡の位置を直し、口角だけをあげて笑んでみせる。
エドガーは机を回り、穏やかに微笑みながら彼に手を差し出した。
「あなたの調査は丁寧で助かりました。
ありがとうございました」
ウォルターが、エドガーの手を取る。
「……そうですか」
調査官の口端に、嘲りがわずかに浮かんだ。
「えぇ。特に旧地図とコードの一覧表なんて、暗号解析に大変役立ちました」
「……はぁ」
エドガーはにっこりと、どこか艶を帯びた笑みを浮かべ、ウォルターの手を両手で包み込む。
「ヴェイル調査官の調書の調べ直しをお願いしたのは実は初回だけでしたが、私とヴェイル調査官の調査の癖をすぐに掴まれたのですね。足りない情報もすぐに調べてくださって……。これが経験値の差なのだとお見逸れしました」
きょとんと、ウォルターはエドガーの瞳を見つめた。
「ずっと……調べ直しだと、そう仰っていませんでしたか?」
「……そうでしたか?」
「えぇ」
「私も若輩者で、間違えてばかりですね」
ウォルターが眉を歪める。
そして、ゆっくりと目が見開かれる。
「……まさか」
エドガーは笑みながら小さく首を傾げた。
「調査させられていた……だと? この俺が……?」
エドガーは穏やかに笑むだけ。
“多分、君、エドガーに“あっ”と言わされるよ”
ウォルターはマルコムの言葉を、不意に思い出した。
彼は、片手を額に当て、天を仰ぐ。
そして、笑い出した。
「あっはっはっは! やられた! なるほど。これが“有能”と呼ばれる正体か」
ウォルターはため息をつきながら、首を振った。
「レイブンズ法務官殿。私こそ、まだまだだ。若いというだけで、全く何も見えていなかった。自分がすごく恥ずかしい」
ウォルターはエドガーをまっすぐに見返すと、にっこりと笑んだ。
いつもの作り笑顔ではない、本当の笑顔で。
「今回は、大変失礼な真似をしてしまった。申し訳ない。心から謝罪したい。
だが、次があるなら……」
握った手に、力が込められる。
「本気を出した俺は、字が汚くて書類整理が苦手なヴェイル調査官より、有能だ。
彼に飽きたら、俺を呼べ。今度こそ、いい仕事をしてやる」
エドガーはふわりと笑った。
「心強いです」
手を離し、ウォルターはエドガーの肩を叩いた。
「……世話になった」
ウォルター・ケインが背を向け、部屋を出ていく。
扉が閉まる。
エドガーが振り返ると、机に向かっていたピップが愕然とエドガーを見つめていた。
一瞬視線が彷徨い、またエドガーを見る。
「エドガーさん……本当に?」
「なんとかなるって言ったでしょ?
さすが日頃は上級法務官付きだけあって、すごい速さで調べ上げてくるから、僕も驚いたよ。これが“有能調査官”なのかって」
エドガーも自席に戻る。
「まぁ、僕がルシアンに飽きることはないだろうけどね。でも頼れる人の存在は、素晴らしい財産だよ。素直に嬉しい」
「そ……そうですか」
彼は、引き出しから新しい書類束を取り出すと机に置き、ホルダーにペン先を差し込む。
「さ、仕事だ。明日からルシアンが戻ってくる」
エドガーが視線を書類に落として文字を書き始めると、ピップもペンを握り直した。
「はい……。また、騒がしくなりますね」
「そうだね」
ペン先が紙を擦る音が落ちる。
窓の外では、黒い尖塔群が変わらずに佇み、どこかの官僚の馬車が通りを過ぎていった。
◇
氷のような灰の瞳が、新聞の文字をなぞった。
「へぇ……」
軍務省の一室。
薄く敷かれた鈍い青灰色の敷物に、小さな声は沈殿していく。
エドガーが行った裁定は、その日の朝刊を賑わせていた。
「……アルジャーノンまで動かすとはね。あの若造」
エイドリアン・レンドールは、その朝刊を無造作に屑籠に放り投げる。
彼の口角が楽しげに上がった。




