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歪んだ三日月 ―法務官エドガー・レイブンズと王都に棲む蛇―   作者: かも ねぎ
第三章 石畳の下 ―王立裁定院と治安監察局―
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3-16 灰色の善意


 カーテンが揺れていた。

 雨が降っているが、エドガーは窓を開け、その湿った風を頬に浴びていた。


 殺されたエドワード・ハリントンが持っていた遺品から発見された書類やルシアンたちの調査。


 そこから導き出されたのは――


 サウス・ガース埠頭を拠点とした奴隷輸送は、紛争地域から運ばれてきていること。


 エドガーは机上に広げていた地図に一度視線を落とした。


 そしてそれは――

 ロウ・マーシュ街グリムロウ通り十二番地の倉庫を経由し、

 西北のグレイフォールド街ベルグレイブ通り七番地サロン・ベルヴェデーレ館へと運ばれる。

 

 エドワード・ハリントンが所属していた組織が、人身売買に関わっていることは、明確に示唆された。


 だが、その中でエドワード・ハリントンが何をし、なぜ殺されたのか。

 そして、婚約時に得た持参金はどこへ行ったのか。


 ――肝心なことは、分かっていない。


 ――こればかりは、聞き込み調査にでも出ないと、分からないかもしれないな……。


 エドガーは小さく息を吐き、窓を閉めた。


 その時、ノックの音が落ちる。


「……どうぞ」


 エドガーは扉に視線をやり、眉を寄せた。


「こんにちは。エドガーさん」


 彼女は後ろ手に扉を閉めると、ゆっくりとエドガーに歩み寄った。


 ――ヴィヴィアン・クロウフォード。

 国を越えて、個人で貴族間の仲立人をしている女だ。

 

 ジンジャーヘアの艶やかな彼女は、裁定院事務員の制服に身をつつみ、蠱惑的な笑みを浮かべる。


「ミス・クロウフォード……」


 エドガーの目の前に立ち、彼の胸に片手を置いた。


「困ってるんでしょ。特別に助けてあげるわ」

「あなたは……本当に懲りもせず。何が目的ですか」


 エドガーを上目遣いで見つめると、ヴィヴィアンはふっと笑った。


「エドガーさん。

 私はお金や権力で動くわけじゃないの。

 私はとても美しいけれど、男をたらし込んで遊んでいるわけでもないのよ。

 ――私はね、私なりの“美学”に従っているの」

「……つまり、どういうことです」

「今回は、あなたに正義があると思ったから、手を貸してあげたくなったの」


 ヴィヴィアンは脇に抱えていた書類ケースをエドガーの胸に押し当てる。


「……見返りは、何を求めるのです」


 エドガーの群青の瞳に、彼女はその水色の瞳を絡め、ウィンクをした。


「――あなた」


 エドガーは目を細める。

 ヴィヴィアンはそれを見ておかしそうに声を上げて笑った。


「本当にお硬いんだから! あっはは!」


 ひとしきり笑うと、彼女はエドガーから一歩離れ、もう一度、書類ケースを差し出した。


「慈善事業よ。受け取って」


 エドガーはそれに視線を落とす。

 ヴィヴィアンは淡く笑みながら、唇に指を当てた。


「うーん、そうね。じゃあ……」


 彼女は腰に手を当て、不敵に笑う。


「権力に物を言わせて弱いものいじめする男が、私は大嫌いなの。

 以前の絵画の件も、そうだったでしょ?

 ――それなら法務官様も納得いくかしら?」


 エドガーは小さく息を吐くと、書類ケースを手で指した。


「……頂いても?」

「もちろんよ」


 彼はケースを受け取ると、書類束を取り出し、目を走らせる。


「……これは」

「エドワード・ハリントンは、会計係だった。私が手に入れたのは、その取引額の一覧よ」


 ヴィヴィアンが持ってきた書類には、拠点を示すコードの横に、金額がいくつも明示されていた。


 エドガーは、机上に置いていた数字が羅列された文書を手に取る。

 アーサーから受け取った書類の中で、未だに解析できていなかった文書だ。

 

 ――一部の数字の並びが一致している。


「なるほど……。やはり、商品番号と金額の羅列だったんだ……。

 そしてあなたが持ってきてくれた書類は、それの販売記録ですね」

「使える?」

「えぇ……とても」


 ヴィヴィアンはにっこりと笑うと、エドガーの席に勝手に座り、脚を組んだ。


「もっと、いい情報をあげる。

 エドワード・ハリントンが相続する予定の土地。実在するけど、実際に引き継ぐのは彼じゃないわ。

 単純に配置換えのために彼を国外へ出したかった組織によるでっち上げよ」


 エドガーは腕を組み、静かに彼女を見つめる。


「一処にずっといると足がつくから、定期的にああいった組織は入れ替えるの」


 ヴィヴィアンは窓の外をちらと見た。

 雨は、先ほどよりも強くなっている。


「でも、商会長の娘の持参金は莫大だった。

 エドワード・ハリントンは目がくらみ、持ち逃げすることにした。

 だけど、そのせいで裁定院案件となって、エドワード・ハリントンは注目を浴びることになった。

 ――組織は焦った。

 組織がエドワード・ハリントンを問い詰めたところ、面倒になった彼は、組織を裏切って情報を売ることにしたのよ」


 エドガーは先を引き取った。


「それで、彼は組織の人間に殺された」

「多分ね」


 ヴィヴィアンは肩をすくめる。


「そんな情報……どうやって……」

「企業秘密」


 彼女は席を立つと、窓際に立つエドガーに並んだ。

 視線は壁に投げられる。


「法務官様が看過できる情報筋ではないかもね。

 これは私の独り言よ。

 証拠は自分で集めてね」


 エドガーはヴィヴィアンの整った横顔を静かに見つめた。


「本当に、見返りなしでこんな情報を与えてしまっていいのですか?」

「見返りはあるわ」


 彼女はぱっと振り返る。


「あなた、すでに私に恩を感じてるでしょ。あなたに貸しができた。それで十分よ」


 視線がまっすぐに交わった。


「申し訳ないと思うなら、一杯奢って」


 エドガーは視線も眉も下げる。


「一杯くらいだったら……」

「本当?」


 ヴィヴィアンの瞳に淡い光が差し込み、瞳が柔らかくほどけたように見えた。

 エドガーがそれにふっと優しく微笑むと、彼女はにっこりと笑う。


「媚薬を手に入れておかなくっちゃ」


 エドガーはうんざりと目を伏せた。

 

「ミス・クロウフォード……」

「あら、冗談よ」


 ヴィヴィアンが笑うと、エドガーも小さく笑う。


 視線を上げ、エドガーは彼女の水色の瞳を覗き込んだ。


「本当に助かりました。――ありがとう」

「どういたしまして」


 ヴィヴィアンは少しだけ、少女のようにあどけなく笑うと、さっさと踵を返した。


「じゃあね。ダーリン。

 落ち着いた頃、奢られに来るわ」


 振り返りもせず、そのまま扉を出ていく。


「……お待ちしてます」


 扉が閉まり、彼女の香水の香りがわずかに残される。


 エドガーは手元の書類に視線を落とした。


「……本当に。僕はみんなに助けられてばかりだ」


 窓ガラスを雨粒が打っている。

 その音は静かに、部屋を満たしていた。


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