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歪んだ三日月 ―法務官エドガー・レイブンズと王都に棲む蛇―   作者: かも ねぎ
第三章 石畳の下 ―王立裁定院と治安監察局―
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3-14 影の会談


 灯りがほとんど落とされた捜査官室。

 手元を照らすガスランプの明かりを頼りにアーサーは報告書を書いていた。


 部屋の向こうでは、夜勤の職員達が酒を飲みながら笑い声を上げている。

 付き合いとして、あれにアーサーが混ざることもあるが、今は静かに一人で仕事を進めていたい気分だった。


 人の気配を感じて顔を上げると、上司であるダニエル・コートニーが机の脇に立った。


「主任……」


 ダニエルはその茶の瞳を、静かにアーサーに向けている。


「アーサー。……あまり派手に動くな」


 アーサーはかすかに眉を寄せた。

 ダニエルはさらに声を潜める。


「お前は前科持ちだ。ここは目が多い」


 アーサーが口を開こうとすると、ダニエルはバサリと音を立てて彼の前に書類を置いた。

 そして、少しだけ声を高める。


「新しい調査依頼だ。頼んだぞ」


 アーサーは目を落とし、また顔をあげた。

 ダニエルはすでにアーサーの机を離れ、自席へと戻ろうとしている。


 アーサーはその背を見送り、また手元に視線を戻す。


 調査依頼の紙束の一番上。

 千切られた紙に走り書きされた文字。


 “本日夜半。R。

 落とし物は第四会議室に”


 ――第四会議室?

 ――古い別棟にあって、今はほとんど使われていない部屋だ。


 アーサーは紙をさらに小さく千切って、灰皿に乗せた。

 ガスランプから煙草に火を移し、くわえもせず灰皿に押し付けた。

 紙ごと、ゆっくりとそれは燃え、指で灰を潰し、紛れ込ませた。


 アーサーの口角が上がる。


 彼はあえて髪をかきむしり、欠伸をした。

 背伸びをし、カップを手に取り立ち上がる。

 ジャケットの内側には鉛筆とメモ。そっとそれを確かめ、彼は疲れた男の振りをして部屋を出た。まるで仮眠室にでも赴くような足取りで。


 ――“落とし物”?

 ――背がぞくぞくする。


 ろくに明かりの灯らない廊下は、鈍い月明かりに、影ばかりを濃くしていた。





 別棟は遺構と言ってもいいほどに古い小さな建物だった。本館からは遠く離れ、若い職員には、存在さえ知らない者も多い。


 月光を滲ませる石壁はところどころが欠け、全ての窓は闇に沈み、人の気配はない。

 

 その影に、アーサーはじっと身を潜めていた。


 犬の鳴き声が遠くから聞こえてきた。

 滲んだ月がゆっくりと空をなぞる。

 

 やがて、かすかな車輪の音。


 土を踏む、複数人の足音が遅れて聞こえてくる。


 貴族の従者のような男が先頭に立ち、男が持つランプの明かりが、その後に続く二人の男の顔を淡く照らした。


 アーサーは息を呑む。


 軍人上がりのような厚い胸板。

 険しく歪められた太い眉。


 ――レジナルド・ハーカー。

 治安監察局長官の男。


 (隣にいる男は――誰だ?)


 金髪のすらりとした体格の男。一見柔和に見えるが、その瞳は鋭く辺りを警戒している。

 

 彼らは会話もせず、建物の中へと入っていった。





 第四会議室は一階にあった。

 家具の全てには白布が掛けられており、くすんだ傷だらけの木床には、うっすらと埃が積もっている。

 

 アーサーは建物の外、ぼんやりと明かりの漏れる窓の下に屈み込んだ。


 木床を踏む軋んだ音が聞こえてくる。


 長官と貴族の男は互いに距離を置き、向かい合って立っていた。


「閣下。進捗を伺いたい」

「子爵様……何事もつつがなく進んでいると思いますが」


 ――子爵?

 ――主任のメモの“R”とは名前かな。


「私にはそうは思えませんね。あの若い法務官はまだ調査を進めているようですが」

「しかし、これ以上こちらから圧力をかけるわけには……」

「裁定院がそんなに怖いですか?」


 レジナルドの眉がかすかに歪む。


「変人の集まりですからねぇ。手に負えないのは分かります。

 治安監察局はそれに比べて足並みを揃えるのがお上手だ。爪の垢を煎じて飲ませたいくらいですね」

「……そうですか」

「安心なさい。我々の後ろにはあの方がついてる」


 ――あの方?


「存分に働いてください。長官。

 我々は従順なあなた方を好ましく思っていますよ」


 アーサーは顎に手を添えた。


 ――……どこで見た……いや。

 レンドール副卿の配下の貴族。

 最近妙な勢いで力を伸ばしているにも関わらず、社交界にはあまり出てこないと言われている男。


 ――そうか。彼が、ラドクリフ子爵か。


 アーサーの瞳に、月光がにわかに差し込んだ。


 ――人身売買の後ろにいるのも……

 ――エドガーさんに圧力をかけているのも、間違いない。

 この男だ。


 床を踏む音が鳴った。二人が部屋を出ていく。


 アーサーは湿った雑草を踏み、音を立てないようにして窓から離れた。





 同じ頃。

 エドガーの下宿部屋の扉が叩かれる。


 エドガーは読んでいた本をサイドテーブルに置くと、扉に駆け寄った。


 ルシアンかと思い視線を上げたが、あるのは廊下の壁だけ。視線をゆっくり下げると、そこには襤褸切れを頭から被った裸足の子どもがいた。


「……ミストラッツの子?」

「……エドガーさん」


 か細い声にエドガーは目を見開く。

 その子どもの肩に手を添え、部屋に招き入れた。





 部屋に入るなり、子どもは襤褸切れを取って腕に抱えると、エドガーを見上げる。

 エドガーは、ふっと瞳をやわらげた。


「……ピップ」


 ピップは目を潤ませる。


「……たぶん、撒けたと思います」


 エドガーは小さく頷いた。


「官舎を普通に出て、貧民街の友達に会うふりをして……着替えてここに。

 監視はついてたけど、貧民街で撒けたと思うんです……」

「さすが、ミストラッツを率いてただけある」


 エドガーが淡く笑うと、ピップは顔をくしゃりと歪める。

 ポケットから、パンの包み紙を取り出し、エドガーに開いてみせた。


「……机を借ります」


 エドガーが頷くと、少年は机の上に包み紙を置き、鉛筆で軽くこすった。

 

 ――文字が浮かび上がる。


「治安監察局で、アーサーさんに会いました。

 それで、エドワード・ハリントンの遺品の書類を見せてもらえたんです。

 アーサーさんにも……監視がついてるみたいでした。……彼は、エドガーさんに会いに来れないみたいです」


 包み紙一面を塗り終わると、ピップは振り返った。

 震える手で、それをエドガーに渡す。


「……エドガーさん。使ってください」


 エドガーは、包み紙の文字に視線を落とした。しっかりと深く刻まれた文字の一つひとつ。


「……やっぱり読みにくいところもありますね」


 ピップがため息をつく。


「これで、十分だよ」


 エドガーは腕を伸ばし、少年を抱き寄せた。

 柔らかいくるくるとしたくせ毛に、頬を押し付ける。


「……こんな危険な真似を」


 ピップはエドガーの腕の中で首を振った。


「怖い思いをさせてしまったね」


 ピップは先ほどよりも大きく首を振った。


「……ありがとう。君の機転には救われた。

 この遺品の写しも、決して無駄にはしない」


 腕を解くと、エドガーはピップの栗色の瞳を見つめた。


「早く終わらせてみせる」

「はい」

「そうしたら、また一緒に仕事をしよう」

「……はい!」


 ピップが笑い、エドガーはその頭にそっと手を置いた。


 窓の外では、馬車が通り過ぎる音がした。


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