3-11 負傷の調査官
少し、時は遡る――
襲撃を受けた後、ルシアンは数日だけ入院した。
それからは、外部調査局の官舎の自室に戻り、管理人や使用人たちからの世話と、医師の巡回を受けながら、一週間程は大人しくしていた。
いや――
“大人しくしていた”などというのは、あまり正確ではない。
朝食より少し遅い時間になると、管理人と看護係が、彼の部屋にノックの返事を待たずに入ってくる。
「おはようございます。ヴェイル調査官」
「……おはようございます」
ベッドで横になっていたルシアンが胡乱げに顔を上げると、彼らは慣れた手つきで血と消毒液で固まった包帯を剥がし、消毒を施す。
激痛に奥歯を噛み締めながら息を止めているルシアンに、管理人の老人が痛み止めのモルヒネを勧めるが、ルシアンはいつも首を横に振った。
新しく包帯が巻かれ、パンとスープだけの簡素な朝食がベッド脇に置かれる。
使用人が食事の介助を申し出ても、ルシアンはこれにもいつも首を振った。
彼らが去ると、ルシアンは「ちくしょう」と声を上げながら上半身を持ち上げ、「食事がつまらん」と文句を言いながら残さず食べる。
――彼は、とにかく無力感に苛まれていた。
そんな日々を幾日か過ごしたある日。
夜は包帯交換と食事の上げ下げに加え、清拭も行われるのだが、その屈辱と羞恥に苛立ちが頂点に達していたその時刻。
扉が叩かれた。
ルシアンは黙って扉が勝手に開くのを待ったが、開けられる様子は無かった。
しばらくして、もう一度扉が叩かれる。
――誰だ?
医者や管理人なら、ルシアンに「絶対安静」を言い渡しているので、勝手に入ってくるはずだ。
「開いてるよ。どうぞ」
そう声をかけると、扉が勢いよく開かれ、転がるようにピップが駆け込んできた。
少年はベッドにいたルシアンに飛び込むように抱きついてくる。
「痛っ……!!」
両腕でピップを受け止めるも、ルシアンはつい、声を上げてしまった。
ピップはハッとして顔を上げる。
「兄貴、ごめん!」
顔を上げたピップの顔は、涙と鼻水でべとべとだった。
ルシアンは近くにあった布巾でピップの顔を雑に拭うと、眉を寄せる。
「ピップ……。何があった」
「兄貴……。まだ痛いの?
ごめんなさい……。俺、やっぱり帰る」
立ち上がろうとしたピップの肩掛け鞄のベルトをルシアンが掴み、乱暴に引き寄せると、ピップはルシアンに倒れ込んだ。
「いってぇ………!」
「ごめん! 兄貴」
ピップが慌てて起き上がるが、鞄は掴まれたまま。
「話せ。何があった」
蒼白になってルシアンを見つめるピップだが、やがて、彼の顔がくしゃりと歪む。
ピップは、ベッド脇に置いてあった椅子に力なく腰掛けると、両手で涙を拭った。
「兄貴……俺……、なんにもできなくて……。
エドガーさんが……」
「あいつに何かあったのか?」
ピップのしゃくりあげる音が、部屋にかすかに響く。
「エドワード・ハリントンの件は国家安全保障案件だから手を引けって圧力がかかって……」
「うん」
「それで……その遺品に触ってた俺も、治安監察局の管理下に入れって言われて、明日からあっちに行かなくちゃいけなくなったんだ」
ピップは先程の布巾で鼻をかんだ。
「エドガーさんとも、接触するなと言われて……」
「エドガーはなんて言ってる」
「断れないって……」
「そうか」
ルシアンは視線をわずかに下げた。
「兄貴の代わりに来た調査官……。あの人、エドガーさんのこと若いからって見下してて、全然働かないんだ」
「敵の目的はエドガーを孤立させることか?」
ピップは鼻をすすりながら「わからない」と小さく答える。
「治安監察局のアーサーっていう人が、エドガーさんにエドワード・ハリントンの遺品をいくつか融通してくれたんだ」
ルシアンが顔をわずかに上げた。
「アーサーが……」
「その解析を、今、進めてたんだ……」
「どこまで進んでる?」
「サウス・ガース埠頭が密輸拠点なんじゃないかって……エドガーさんは言ってた」
――……なるほどな。
――記録に残らない港、か。
ルシアンが口端を歪めて、鋭く笑う。
「……そこに行って、何が運ばれてるのか調べれて来ればいいんだな?」
「……え」
ピップが視線を上げる。
ルシアンの琥珀の瞳の奥は、まるで刃のように研ぎ澄まされていた。
「任せろ。ピップ」
ピップは顔色を悪くして、首を振る。
「で……でも、まだ動けないんでしょ?
ごめんなさい。俺、兄貴にこんな話しちゃいけなかった」
「馬鹿言うな。俺たちの仕事は何だ?」
不敵に笑うルシアンに、ピップは眉を寄せた。
「……え?」
「……エドガーの犬だろ?」
「犬って……」
ルシアンは手で脚を持ち上げると、ベッドから下ろす。
「ピップ。お前まだ子どもなのに、俺がいない間、よくエドガーを一人で守ったな。
――お前は治安監察局に行って従順な振りしてろ。目眩ましになる」
「兄貴……」
ベッド脇に置かれていた杖を掴み、体重をかけながら立ち上がった。
呼吸が詰まり、彼の額にわずかに汗が滲む。
「……あとは俺に任せろ。ピップ、お前は最高の番犬だ」
ピップがルシアンを支えようとするが、その手は払われた。
「……俺、犬になりたいわけじゃないよ」
「エドガーは賢いが生活力はからっきしだし、甘えるのが下手だ。俺たちがいないとあいつは何もできないんだよ」
足を引きずりながら、クローゼットへ一歩、一歩と向かう。
「エドガーさんはすごい人だよ!」
ルシアンはゆっくりとピップを振り返った。
「俺がそれを知らないと思うか?
――あいつはすごい。
でも人間だ。完璧じゃない」
クローゼットを開く。
「お前も、俺も完璧じゃない。やれることを、やろう」
「エドガーさんも、そう言ってた……」
「だろ?」
歯を剥き出しにして笑むルシアン。
ピップは、それを見て大きく頷いた。
「着替えを手伝ってくれ。黒い服を着る。闇に紛れるような、そんなやつ」
「……わかったよ。兄貴」
衣擦れの音。
窓の向こうは闇に溶けていく。
だが、王都の灯りは、決して消えはしない。




