3-9 管理下
「……国家安全保障案件?
治安監察局がそう言ってきているのですか?」
上司であるマルコム・ヘインズの机の前に立ったエドガーが静かにそう言うと、マルコムは右側頭部の寝癖をいじりながら頷いた。
彼の脇には、“処理済”“未処理”と書かれた木箱が整然と並び、机上にはどちらにも入れられない処理中の書類束がいくつも積み重ねられている。
マルコムはその中から、必要な書類を引き抜くと、文鎮を丁寧に置いた。
「そうだ。だから、エドワード・ハリントンの件からは手を引け、と」
マルコムがエドガーを見上げると、エドガーは表情を変えもせずに、マルコムの瞳を静かに見返す。
「お言葉ですが、治安監察局から引き継がれた彼の遺品は“商会事務員であった記録”しか見当たりません。……彼は一体何者なのでしょうか」
「国家安全保障案件のため、我々にも教えられないそうだ」
「……さようですか」
エドガーの視線がわずかに下がり、マルコムは頬を小さく指先で掻いた。
「エドガー」
「はい」
「……手を引くんだぞ。いいな?」
視線がしっかりと交わる。
マルコムは小さく首を振ると、ため息をついた。
「だが……エドガー。一つ、確認したい」
「はい」
「……ルシアン君の怪我の件だが、あれは不慮の事故だと聞いている。
――だが、まさか、襲撃されたわけではないだろうな?」
質問に応えない青年の視線を受けて、マルコムは片眉をあげる。
「……エドガー。心配するな。何かあればちゃんと言ってくれ。そうでないと私はお前を守れない」
上級法務官である彼は、背もたれに深く身を預けた。
「わざわざ治安局と揉めたいとは私だって思わない。だが、お前が手を引けない理由があるのなら、ちゃんと教えなさい。
我々は――“王立裁定院”の法務官だ。理があるのなら……戦う価値はある」
エドガーは視線を下げ、体の前で組んでいた自分の指先を見つめる。
やがて、ゆっくりと顔をあげた。
「……ルシアンは、襲撃されました。
――エドワード・ハリントンの死は、他殺です。
ですが、治安監察局は“自殺”と断定した。
治安監察局はエドワード・ハリントンについて、多くを隠しています。
ルシアンは他殺だとして調査を進めていました。彼が襲撃されたのは、我々に対する見せしめでしょう」
マルコムが大きく頷く。
「エドワード・ハリントンは密輸組織の中で、それなりの立場にあった男だと推察されます」
マルコムの眉が小さく歪む。
エドガーはそれを静かに見つめた。
「もしや、その密輸組織の背後には――」
「私はそう、考えています」
手元の紙を小さく弄びながら、マルコムは視線を落とす。
「なるほど……」
やがて書類から手を離すと、机の上で指を組み、口角を上げた。
「……極秘で進めなさい」
エドガーは小さく目を見開く。
「……いいのですか?」
マルコムは苦く笑った。
「お前は以前、声明文を出しただろう。
だから、あれからずっと目をつけられていたのだろうな。
――だが、私はあの時お前にこう言ったはずだ。“持てる力の限りを使って、お前を守る”とな」
エドガーの目を見返し、マルコムはいたずらっぽく口端を歪める。
「あと、あの時私は学んだ。お前を抑えつけてもろくなことにならないってな」
マルコムが声を立てて笑うと、エドガーは小さく息を吐いた。
そして、エドガーの上司は、書類をつかむと無造作に“処理済み”の木箱に放る。
紙束が小さく――カサリと、音を立てた。
翌日。
エドガーの法務官室に控えめなノックの音が落ちた。
ピップが扉まで駆け寄り、開く。
案内してきた事務員と共に扉の向こうにいた黒衣の男は深く頭を下げ、法務官室に一歩だけ足を踏み入れた。
「エドガー・レイブンズ法務官殿。
王立治安監察局より参りました。まずはこの書面をご確認いただきたい」
近くにいたピップに書類が手渡され、エドガーはピップからそれを受け取る。
素早く目を通した。
◇◇◇
王立治安監察局
通達書
王立裁定院
法務官 エドガー・レイブンズ殿
下記の件について通知する。
一、貴院において保全されていた証人関連遺品の一部に、国家機密に該当する文書が含まれていることを確認した。
一、当該文書の管理および精査は、国家安全保障上の理由により、王立治安監察局が管轄するものとする。
一、これに伴い、当該遺品の取り扱いに関与していた者、フィリップ・レーンについて、証拠保全係として一時的に当局管理下に置く。
なお、同人の身柄については保全対象として扱い、必要な範囲において業務に従事させるものとする。
貴院におかれては、本件に関する独自調査および接触を制限されたい。
以上
王立治安監察局長官
レジナルド・ハーカー(印)
◇◇◇
「……これは」
姿勢を正したまま、男はピップをまっすぐに見た。
少年の肩が小さく震える。
「フィリップ・レーン」
ピップはエドガーを見るが、エドガーは諦めたように小さく首を振るだけ。
「貴殿は、明日からはこちらへ登庁するように」
「……でも」
「ピップ」
言い募ろうとしたピップの肘に、小さくエドガーが触れた。
ピップの瞳が揺れ、彼は俯く。
「……はい」
男は、部屋の隅に置かれていた木箱に整えられた歩幅で近づくと、当然のようにそれを持ち上げた。
「……それでは。失礼いたします」
木箱を持ったまま頭を下げ、彼は踵を返す。
扉が、静かに閉まった。
時計の針がひとつだけ、時を刻む。
「……エドガーさん……俺、行きたくないです」
ピップが向けてくるその視線を、エドガーは返せなかった。
わずかに俯き、首を振る。
「正式に整えられた書面だ。逆らえはしない」
ピップが息を呑んだ。
エドガーは群青の瞳を、ゆっくりと少年に向ける。
「……すぐに終わらせるよ。
――それに、治安監察局の空気を知っておくことは、ピップにとっても……無駄にはならないだろう」
エドガーは淡く微笑むが、ピップは唇を噛んだ。
「俺は……エドガーさんのそばにいたいのに……」
「終わったら、治安監察局がどんな場所だったか。僕に教えてくれるかな」
エドガーが腕を伸ばして、その柔らかい髪に手を置く。
「楽しみにしてるよ」
「……はい」
ピップは眉を下げて、頷いた。
机上の書類フォルダに置いていたエドガーの指先は、わずかに白くなっていた。




