3-6 静かな忠告
ウォルター・ケインは、調査書をめくった。
「ふぅん。よく働くねぇ。ヴェイル調査官てやつは……」
ウォルターは、ルシアンが日頃使用している調査官室に臨時的に権限を与えられ、そこで仕事を進めることとなった。
「字は汚いが、無駄がなくて丁寧な調査をしてる。まとめ方も独特といえば独特だが……」
彼のブーツが床に転がっている。
机の上には、革表紙の調査書が何冊も重ねられ、そして、ウォルターの足も乗っている。
彼は、ルシアンがまとめた調査書を読んでいた。
ウォルターはそれを机に放る。
乾いた音がして、ついでに彼のため息もこぼれた。
椅子の背もたれに頭を預け、天井を見上げる。
窓の外は薄曇り。ランプの明かりも、天井のすべてを照らしはしなかった。
影が四隅に蹲るように溜まっている。
「あぁ……かったるいな」
ウォルター・ケインは、特別調査官の中でも一、二を競うベテランだった。
今回の臨時異動が無ければ、日頃は上級法務官についているほどの男である。
「エドガー・レイブンズなぁ……。
有能だって噂では聞くけど、まだ三十にも満たないなんて、若すぎるだろう」
体を少しだけ起こして、別の調査書を手に取る。
また背もたれに体を預けると、ページをめくった。
「俺がつくほどの価値があるか?
あの男に……」
大きなため息が部屋の中に響く。
「調べ直せと一丁前に言われたが……。
ヴェイル調査官の調査書をまとめ直せばいいか。
わかりゃしないだろう。坊っちゃんには」
ウォルターは机から足を下ろすと、必要な分の調査書だけ残して、他の物を書架に丁寧に戻す。
ふと、書架の別の棚に目が留まる。
ルシアンが過去にまとめた調査書がずらりと並ぶが、順番はばらばらに差し込まれていた。
ウォルターは舌打ちをする。
足先で床を小刻みに踏みながら、並べ直した。
「この……青二才どもが」
窓ガラスを雨が打っている。
エドガーは机に向き合いながら、前髪をかき上げた。
「ケイン調査官……」
「何か?」
エドガーが顔をあげると、部屋の中央にすまして立つウォルターは、まっすぐに彼の瞳を見返す。
「……私は、あなたに調べ直して欲しいと申し上げたはずです」
「調べ直しましたよ」
エドガーはちらとウォルターの持ってきた調査書に視線を落とした。
「ですが、これは……。
ヴェイル調査官が調べたものと、何も変わらない」
ウォルターは目を細める。
「おや……。そうでしたか。
それは、ヴェイル調査官の調査が素晴らしかったということでしょう。
私が調べ直してもそれ以上のことは分かりませんでしたよ」
エドガーは小さく笑むと、引き出しから書類をいくつか取り出してまとめ、ウォルターに差し出した。
「……では、これもヴェイル調査官が以前調べたものです。
こちらも、調べ直していただけますか?」
ウォルターは書類を受け取ると、それをめくりながら簡単に目を通し、持っていた書類ケースに丁寧に差し込む。
そして、エドガーに向かってわずかに口角をあげて見せた。
「かしこまりました。レイブンズ法務官殿」
彼は一礼し、踵を返す。
扉が閉まる。
「……エドガーさん」
ずっと隣で様子を窺っていたピップは、眉を寄せて、静かにエドガーを見つめる。
エドガーは机の上で指を組むと、ピップにやわらかく笑んだ。
「……まぁ、なんとかなるだろう」
「……あの人。なんか……」
「ピップ、いろんな人がいるよ。僕たちは僕たちがやれることをやろう」
「……はい」
ペン先が紙を擦る音。
雨がガラス窓に当たる音だけが、静かに法務官室に落ちていた。
木床を踏む音が、廊下の先まで鈍く響く。
すれ違う書記官たちに軽く頭を下げながら歩いていたウォルターは、ふと、眉を上げた。
階段の入り口に立っていたのは、二人の法務官。
柔和な顔立ちのオーランド・フェリスと、貴族的な鋭さを持つマーカス・ヘイル。
ウォルターは会釈をしてその脇を通ろうとしたが、肘をマーカスに掴まれる。
ウォルターは眼鏡の奥から、その手をじっと見つめ、顔をあげた。
「……私に何かご用ですか? ヘイル法務官殿」
「少しだけ雑談がしたいんだ。
外部調査局が誇るベテラン調査官様と」
ウォルターは眉をかすかに寄せる。
「申し訳ありませんが、レイブンズ法務官殿ご用命の調査がありまして……。あまり時間がないのです」
「すぐ終わる」
マーカスは口端を歪めて笑った。
「エドガー・レイブンズって男は、なんなら私たちより優秀だよ」
オーランドはウォルターに向かってにこりと笑う。
「あまり舐めたまねしない方がいい」
「……レイブンズ法務官殿がそう仰ってましたか?」
「いや?」
マーカスは階段の手すりにもたれかかると腕を組んだ。
オーランドもそれに並ぶ。
「君ほどじゃないかもしれないけど、私たちが抱える調査官だって優秀なんだよ。
君が全く調査に出てないことなんて、すぐに分かる」
オーランドはウォルターの肩を軽く叩いた。
「じゃあ、そういうことだから」
オーランドとマーカスはウォルターをちらと見ると、それぞれの法務官室に戻っていった。
その背を見送り、ウォルターは肩をすくめる。
階段を下りながら口端を片方だけあげた。
「やれやれだな。……面倒くせぇ」
階を下がるごとに人の気配が増す。
人の行き交う一階玄関ホールの人波の中に、ウォルターの背は溶けるようにして滲んだ。




