↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歪んだ三日月 ―法務官エドガー・レイブンズと王都に棲む蛇―   作者: かも ねぎ
第三章 石畳の下 ―王立裁定院と治安監察局―
33/67

3-6 静かな忠告


 ウォルター・ケインは、調査書をめくった。


「ふぅん。よく働くねぇ。ヴェイル調査官てやつは……」


 ウォルターは、ルシアンが日頃使用している調査官室に臨時的に権限を与えられ、そこで仕事を進めることとなった。


「字は汚いが、無駄がなくて丁寧な調査をしてる。まとめ方も独特といえば独特だが……」


 彼のブーツが床に転がっている。


 机の上には、革表紙の調査書が何冊も重ねられ、そして、ウォルターの足も乗っている。

 彼は、ルシアンがまとめた調査書を読んでいた。

 

 ウォルターはそれを机に放る。

 乾いた音がして、ついでに彼のため息もこぼれた。


 椅子の背もたれに頭を預け、天井を見上げる。

 窓の外は薄曇り。ランプの明かりも、天井のすべてを照らしはしなかった。

 影が四隅に蹲るように溜まっている。


「あぁ……かったるいな」


 ウォルター・ケインは、特別調査官の中でも一、二を競うベテランだった。

 今回の臨時異動が無ければ、日頃は上級法務官についているほどの男である。


「エドガー・レイブンズなぁ……。

 有能だって噂では聞くけど、まだ三十にも満たないなんて、若すぎるだろう」


 体を少しだけ起こして、別の調査書を手に取る。

 また背もたれに体を預けると、ページをめくった。


「俺がつくほどの価値があるか?

 あの男に……」

 

 大きなため息が部屋の中に響く。


「調べ直せと一丁前に言われたが……。

 ヴェイル調査官の調査書をまとめ直せばいいか。

 わかりゃしないだろう。坊っちゃんには」


 ウォルターは机から足を下ろすと、必要な分の調査書だけ残して、他の物を書架に丁寧に戻す。


 ふと、書架の別の棚に目が留まる。

 

 ルシアンが過去にまとめた調査書がずらりと並ぶが、順番はばらばらに差し込まれていた。


 ウォルターは舌打ちをする。

 足先で床を小刻みに踏みながら、並べ直した。

 

「この……青二才どもが」





 窓ガラスを雨が打っている。


 エドガーは机に向き合いながら、前髪をかき上げた。


「ケイン調査官……」

「何か?」


 エドガーが顔をあげると、部屋の中央にすまして立つウォルターは、まっすぐに彼の瞳を見返す。


「……私は、あなたに調べ直して欲しいと申し上げたはずです」

「調べ直しましたよ」


 エドガーはちらとウォルターの持ってきた調査書に視線を落とした。


「ですが、これは……。

 ヴェイル調査官が調べたものと、何も変わらない」


 ウォルターは目を細める。


「おや……。そうでしたか。

 それは、ヴェイル調査官の調査が素晴らしかったということでしょう。

 私が調べ直してもそれ以上のことは分かりませんでしたよ」


 エドガーは小さく笑むと、引き出しから書類をいくつか取り出してまとめ、ウォルターに差し出した。


「……では、これもヴェイル調査官が以前調べたものです。

 こちらも、調べ直していただけますか?」


 ウォルターは書類を受け取ると、それをめくりながら簡単に目を通し、持っていた書類ケースに丁寧に差し込む。

 そして、エドガーに向かってわずかに口角をあげて見せた。


「かしこまりました。レイブンズ法務官殿」


 彼は一礼し、踵を返す。

 扉が閉まる。


「……エドガーさん」


 ずっと隣で様子を窺っていたピップは、眉を寄せて、静かにエドガーを見つめる。

 エドガーは机の上で指を組むと、ピップにやわらかく笑んだ。


「……まぁ、なんとかなるだろう」

「……あの人。なんか……」

「ピップ、いろんな人がいるよ。僕たちは僕たちがやれることをやろう」

「……はい」


 ペン先が紙を擦る音。

 雨がガラス窓に当たる音だけが、静かに法務官室に落ちていた。




 木床を踏む音が、廊下の先まで鈍く響く。

 すれ違う書記官たちに軽く頭を下げながら歩いていたウォルターは、ふと、眉を上げた。


 階段の入り口に立っていたのは、二人の法務官。

 柔和な顔立ちのオーランド・フェリスと、貴族的な鋭さを持つマーカス・ヘイル。


 ウォルターは会釈をしてその脇を通ろうとしたが、肘をマーカスに掴まれる。

 ウォルターは眼鏡の奥から、その手をじっと見つめ、顔をあげた。


「……私に何かご用ですか? ヘイル法務官殿」

「少しだけ雑談がしたいんだ。

 外部調査局が誇るベテラン調査官様と」


 ウォルターは眉をかすかに寄せる。


「申し訳ありませんが、レイブンズ法務官殿ご用命の調査がありまして……。あまり時間がないのです」

「すぐ終わる」


 マーカスは口端を歪めて笑った。


「エドガー・レイブンズって男は、なんなら私たちより優秀だよ」


 オーランドはウォルターに向かってにこりと笑う。


「あまり舐めたまねしない方がいい」

「……レイブンズ法務官殿がそう仰ってましたか?」

「いや?」


 マーカスは階段の手すりにもたれかかると腕を組んだ。

 オーランドもそれに並ぶ。


「君ほどじゃないかもしれないけど、私たちが抱える調査官だって優秀なんだよ。

 君が全く調査に出てないことなんて、すぐに分かる」


 オーランドはウォルターの肩を軽く叩いた。


「じゃあ、そういうことだから」

 

 オーランドとマーカスはウォルターをちらと見ると、それぞれの法務官室に戻っていった。


 その背を見送り、ウォルターは肩をすくめる。

 階段を下りながら口端を片方だけあげた。


「やれやれだな。……面倒くせぇ」


 階を下がるごとに人の気配が増す。

 人の行き交う一階玄関ホールの人波の中に、ウォルターの背は溶けるようにして滲んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。