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歪んだ三日月 ―法務官エドガー・レイブンズと王都に棲む蛇―   作者: かも ねぎ
第三章 石畳の下 ―王立裁定院と治安監察局―
31/67

3-4 霧の倉庫


 街は、薄暗がりに飲み込まれていた。

 沈みきらない太陽。

 湿気を含んだ妙に冷えた風が吹いている。

 並んだガス灯は、ちらちらと青白い明かりを道に落としていた。


 王都オルドン、ミルフォード区。

 鉄と油の匂いがこびりついた工業地区。


 ルシアンはその街の、割れた石畳を歩いていた。


 犬の鳴き声。

 貨物駅の方からは、軋んだ音が響いてくる。

 工場や、倉庫が立ち並ぶ一帯。

 だが、夜にもなれば、そのほとんどが明かりを落としてしまう。


 足音がいやに高く響いた。


 ルシアンはジャケットの内側に手を入れ、

調査局支給のリボルバーの冷たい金属を確かめた。


 ――何も起こらなければいいが……。


 ルシアンは足を止める。


 荷馬車の男が話していた倉庫の前。

 簡素な石造りの建物。

 窓は閉め切られ、濃い影を石畳に落としていた。


 灯りは落ち、人の気配もない。


 ――嘘の情報だったか。

 ――それとも……


 左の腰には、軍時代から使っているサーベル。

 

 コツッ――石畳を踏みしめる低い音。


 ルシアンは身を屈め、前に体を滑らせた。

 頭の上を過ぎる、鈍く光を返す刃。

 その切っ先は、髪を掠めることさえなかった。


 振り向きざまにサーベルを引き抜いた。


 男が、一人、二人……

 ――奥にもまだいる。


 目の前の男の獲物はダガーだった。

 男は低く構え――鋭く突き上げる。

 

 空気が裂かれる。

 

 ルシアンは咄嗟に後ろに跳んで躱した。


 ダガーの男の背後に視線をやれば、鈍い光を滑らせているのは、リボルバー。


 ――まずい。


 ダガーの男の脇を低くすり抜け、背後の男との間合いを詰める。


 相手の呼吸が、霧に滑っていく。

 

 サーベルを振り上げ、手を弾く。

 低いうめき声が薄闇に溶けた。


 だが、石畳を踏みしめる音が同時にいくつも落ちる。


 ――霧が濃い。数が把握できん。


 砂を踏む音。


 先ほどとは別の男がルシアンの正面から踏み込み、剣を横に薙いだ。

 力強い一撃にルシアンは奥歯を噛み、サーベルを合わせて受け流す。


 高い金属音が響く。


 砂を蹴り上げる。

 細かい砂粒が宙に舞い、霧に紛れ込んだ。


 霧の壁を突き抜け、ルシアンは踏み込む。


 低く沈み込み、斬り上げた。

 男の肩口を狙い、血が舞う。


 その時――背後から、脇腹を肘で突かれた。


「ぐっ……!」


 倒れそうになって、歯を食いしばり、かろうじて踏みとどまる。

 肘で突いてきた相手に視線を向け、眉を寄せた。

 

 男は切っ先を外へ返し、柄をルシアンへ向けていた。


 ――なぜだ?


 ルシアンのサーベルを握る手に汗が滲む。


 立ち上がろうとするルシアンの膝に、別の男が蹴りを入れた。


 ――今も、そうだ。


 膝が崩れ、冷えた石畳の感覚が触れる。

 短い呼吸が落ちる。


 ――刃なら、もっと簡単に俺を潰せた。

 ――銃を持っていた男だって、あれだけの間、一発も撃たなかった。


 立ち上がろうとするも、砂で足が滑る。


 ――なぜ。


 眼前、白刃が振り下ろされる。

 奥歯を強く噛み締めた。

 サーベルを脇に払って衝撃を殺し、地を蹴って転がる。


 呼吸が乱れ、喉が張り付く。


 ――こいつら……


「何が目的だ!」


 ――俺を殺そうとはしていない。

 ――だが、逃がす気もなさそうだ。


 立ち上がり、ジャケットの内側に手を入れる。


 背後。


 ルシアンは振り向きざまにリボルバーを抜いた。

 男の肩を打ち抜く。

 

 短い悲鳴。

 それは闇に吸われる。


 だが、横から剣を振られ、逆に体を反らせる。


 間を置かずに背を打たれ、体勢を崩した時、

 ――腕を取られた。


 両脇から男二人がかりで押さえつけられ、地面に縫い付けられる。

 割れた石畳の欠片が肌を裂いた。


「どこの所属だ! レンドールか!?」


 応える者はいない。


 どこかで、犬の遠吠え。

 いつの間にか闇に落ちた夜空に、白い月が浮かんでいるのが見える。


 ルシアンの上に跨るように立った男の刃が振り上げられる。


 月が、刃に映り込んだ。


 ――ここまでか!


「ぐっ………!」


 ダガーが太腿の外側を貫き、ルシアンを地面に縫い付ける。


 鋭い痛み。

 ルシアンは歯を噛み締める。

 脂汗が額を伝う。

 

 引き抜かれ、血が飛んだ。

 鈍い匂いが、あたりに漂う。


 男はもう一度、刃を振り上げた。

 

 先ほどとは反対の太腿。

 その外側へ、刃が深く突き立てられる。


 低い唸り声が、喉から漏れる。

 

 捻るようにして引き抜かれ、血が溢れる。


 男達は押さえつけていた手を離し、一斉に散った。


 ――……急所は外されている。


 ――何が……

 ――何が目的なんだ。


 足音が遠のく。


 遠くで、汽車の車輪の音が鳴っていた。

 自分の浅い呼吸の音が、石畳に落ちる。


 耳のそばで、鼓動が鳴る。


 上半身を無理やり起こし、ポケットからハンカチを取り出すと、足の付け根に強く結ぼうとする。


 指が、自分の汗で滑る。

 地面には血の滴が落ちていた。


 重い、血の気配。


 手が、震える。


 結び終え、倒れそうになる身体を叱咤した。

 呼吸が、いつまでも石畳に沈殿し、留まり続ける。


 冷えた石畳をつかみ、這うようにして、道の端へ寄った。


 胸が焼ける。

 

 石壁に背を預ける。


 石畳には、血の跡が点々と残っている。


「何だったんだ……」


 霧に滲んだ月。

 青白い月光が、地面を漂っていた。


 男達は、闇に紛れるような黒衣だったが、所属の目印になるような紋章も、何もかもが、取り外されていた。


 ――でも、あの動きは、軍関係者に違いない。


 ――何が目的で俺を襲った?

 ――俺を、歩かせないため?

 ――エドワード・ハリントンは一体何者なんだ。


 湿った風が、汗に濡れた髪をひやりと冷ましていく。


 息をつき、ルシアンはろくに動けないまま、空を見上げていた。



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