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歪んだ三日月 ―法務官エドガー・レイブンズと王都に棲む蛇―   作者: かも ねぎ
第二章 赤猫の署名 ―遺された絵の行方―
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2-7 路地裏の紳士


 ◇◇◇


王立裁定院

裁定通達書


ブラムウェル伯爵家当主

リチャード・ブラムウェル殿


王立裁定院は、貴家より申請のありました絵画エドウィン・ハート作『猫と青年』の所有権確認裁定について、関係記録、売買記録、証言書類、並びに提出資料一式を精査した結果、下記の通り裁定いたします。


一、当該絵画は、伯爵家財産目録、先代伯爵遺産目録、公証記録等に記載が確認されており、現時点においてはブラムウェル伯爵家の所有物であることを認める。


一、ただし、当該絵画の取得経緯については、当時のブラムウェル伯爵家次男フレデリック・ブラムウェル氏の個人所蔵物であった可能性が高く、その後伯爵家財産として編入された経緯について、完全に明確であるとは認め難い。よって、取得経緯には疑義が残るものと判断する。


一、フレデリック・ブラムウェル氏の血統に連なる人物より、当該絵画に関する権利の請求があった場合、その請求権は正当なものとして認められる余地がある。


一、以上を踏まえ、当該絵画については、ブラムウェル伯爵家及びフレデリック・ブラムウェル氏血統の請求者との間で協議を行い、合意の上で譲渡または相応の解決を図ることが望ましい。


一、双方協議の結果、譲渡または和解が成立した場合、王立裁定院はその譲渡契約および合意内容を正式に認証し、法的効力を付与するものとする。


以上、ここに裁定を通達する。


アルストリア王国

王立裁定院 第七法務局

法務官 エドガー・レイブンズ


 ◇◇◇




「結局、どう裁定したんだ?」


 バー〈ハロウズ・エンド〉にて。

 いつものボックス席にエドガーとルシアンは向かい合って座っていた。


 エドガーが顔をあげると、群青の瞳に橙の明かりが差し込む。


「絵画の所有権自体は伯爵家のものであると認定。だけど、入手経路に疑義がある。

 だからフレデリック氏の末裔から請求があった場合は、協議の上で決定する、という裁定にした。


 ――結局、絵画は末裔のトーマス・レインに譲渡されたよ。

 裁定院としてそれを認める書面を改めて作って、先ほど急報便を出したところ」


 ルシアンは小さく頷くと、エドガーの持っていたグラスに自分のグラスを当てた。


「そうか。お疲れ様」


 一口だけブランデーを煽ってから、エドガーは指先でピスタチオの殻を剥く。

 それを口に入れた。


「伯爵夫人からも、十枚にも渡る感謝状を頂いた」


 ルシアンは声を上げて笑った。


「良かったじゃないか」

「……でも、僕は少し負けた気分だよ」


 ルシアンも口にナッツを一度に数個放り込むと、苦く笑う。


「法と理の法務官も、完璧じゃないってこったな」

「それはそうなんだけどさ……」


 ふと顔をあげたルシアンは、ぐっと眉を寄せた。


「エドガー……。お出ましだ」


 エドガーはゆっくりと振り返る。

 案の定、そこにいたのはヴィヴィアン・クロウフォード。

 今日は首まで詰まったドレスを纏い、化粧も控えめだった。彼女は当然のようにエドガーの隣に腰を下ろす。


「こんばんは。ダーリン」

「……もうあなたの仕事は終わりましたよね?」

「まだあなたを口説き落とせてないわ」


 エドガーは淡く笑みながら、グラスを彼女から遠ざけた。


「……ルシアン。僕はもう帰るよ」

「あぁ、そうだな」


 ルシアンがヴィヴィアンを見ると、彼女としっかりと目が合う。


「ほら、ヴィー。解散だってさ」

「なんであんたが“ヴィー”って呼ぶのよ」

「そう呼んでほしいんだろ?」

「あんたじゃないのよ」


 エドガーはグラスを空にすると立ち上がり、ヴィヴィアンを置いてルシアンと共にバーを後にした。

 




 少し欠けた月が、霧の向こうの夜空に、滲みながら浮かんでいる。

 湿った石畳には、靴音がよく響いた。


「なぁ、良かったのか?」

「何が?」

「バーに女性を一人で残してくるなんて……。紳士のお前なら普段はやらないだろう」

「バーで男二人で飲んでるときに、ちょっかいを出してくる淑女なんかいない」

「まぁ……そうか」


 ルシアンは小さく息を吐きながら頭をかく。

 四つ角に差し掛かると、目を合わせて互いにかすかに笑いあった。


「じゃ、エドガー。また明日な」

「うん。おやすみ。ルシアン」


 道を別れ、エドガーはガス灯の明かりの落ちる石畳を一人、歩く。

 霧が青白く足元に溜まっていた。


 ブーツが地面を打つ音。

 どこかのバーから男たちの笑い声がかすかに漏れ聞こえてくる。


 ふと、エドガーは足を止めた。

 追いかけてくるような足音。


 振り返ると、駆けてきたヴィヴィアンに腕を掴まれる。 

 勢いのままに、路地裏へ。


 背に触れる、冷たい石壁の感触。


 エドガーの逃げ場を塞ぐように、ヴィヴィアンは壁に手をついた。


「あなた、逃げてばっかりね」

 

 月明かりは、路地裏をかすかに照らすだけ。エドガーを見上げてくる大きな水色の瞳には、銀の月が小さく映り込んでいた。

 

「……まさかキスをしに来たんですか?」

「そうよ」

「しませんよ」

「あら、どうして?」

 

 ヴィヴィアンはエドガーの胸に手を置く。

 服越しに、熱が伝わってくる。


「僕は“紳士”じゃないってあなたが」

「やっと、“僕”って言ったわね」

 

 エドガーがかすかに目を見開くと、ヴィヴィアンは不敵に微笑んだ。


「あなたはルシアンて人の前では“僕”なのに、私の前ではずっと“私”だったわ。少しは仲良くなれたかしら?」

「そんなわけないでしょう」

「いいじゃない。一晩くらい。ね?」


 ヴィヴィアンは手を伸ばしてエドガーの頬に触れた。


 エドガーは瞳を一度伏せ、諦めたようにため息をつく。

 ゆっくりともう一度瞳を開けると、彼女の瞳をまっすぐに見つめた。


 彼は――淡く微笑む。


 エドガーは彼女の華奢な肩を両手で掴むと、立つ場所を強引に入れ替えた。

 そして彼は何も言わず、彼女の肩の横の壁に手をつく。

 そのまま、静かに彼女を見下ろした。

 

 ヴィヴィアンはエドガーを見つめ返す。 


 路地裏に沈黙が、そっと落ちる。

 彼は指先を彼女の頬に添えた。

 エドガーが顔を寄せ、ベルガモットベースのコロンの香りが緩やかに立ち上る。

 

 彼の唇が耳元をかすめる。

  次の瞬間、耳朶を甘く噛んだ。


 かすかに漏れる声。


 添えていた指先で弄ぶように彼女の片方のピアスを抜き取る。

 触れるのは吐息と、熱だけ。


 エドガーは彼女からゆっくり離れた。

 その瞳を、覗き込む。

 群青の瞳が、水色の瞳を静かに絡め取った。


「……ミス・クロウフォード。おいたがすぎる」


 彼女の手を取り、ピアスを握らせる。


 甘い微笑み。


 それだけを残して、エドガーは路地裏を離れた。


 



 ハッとしてヴィヴィアンが彼を追いかけたときには、その背は既に遠く、霧にのまれかけていた。


「……何よ。本気で欲しくなっちゃうじゃない」


 彼女は触れられた耳に、そっと手を触れる。

 甘い熱が、わずかに残されていた。





「お……お前」


 愕然としたようなルシアンが道端に突っ立っていた。


「あれ、ルシアン。帰ったんじゃなかったの?」


 エドガーが近づくと、ルシアンは気まずげに視線をそらす。


「ヴィヴィアンがお前を追いかけて行くのが見えたから……」

「そう」

「……お前、罪な男だな」


 エドガーは不思議そうにルシアンを見た。


「そうかな」

「お前とは数年の付き合いだが、お前の“男”の一面を初めて見た気がする」

「……どういうこと?」

「……なんでもない」


 欠けた月。

 オルドンの霧は鈍く、石畳を濡らしていた。



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