2-6 手紙と印章
別日。
ノックの音に応えてエドガーが扉を開けると、そこには髪をきっちりとまとめたヴィヴィアンが立っていた。
バーで出会った時よりも、薄い化粧。
裁定院の事務員の制服。
知らない者が見れば、彼女が裁定院の事務員であることを誰も疑いはしないだろう。
エドガーが眉を寄せて見ると、彼女はにっこりと笑む。
ヴィヴィアンはエドガーの胸を押すようにしてするりと法務官室に入り込み、唖然としている彼を振り返って声を上げて笑った。
エドガーは小さく首を振って扉を閉める。
「その服はどうされたのです」
「友人から頂いたのよ。脅迫して奪ったのでも盗品でもないわ」
「その服装でうちの補助員も騙したんですね」
「お話しただけよ」
部屋の中央でにっこりとしているヴィヴィアンから距離をとるように、エドガーは書架の前に腕を組んで立った。
「……ご要件は?」
「いきなり本題から入るなんで不粋だわ」
「私はあなたにとっては“紳士”ではないようなので、問題ないでしょう」
ヴィヴィアンは脇に抱えていた革の封筒を持ち上げてみせる。
「お届け物よ」
エドガーがその場で手を伸ばすが、ヴィヴィアンは目を細めてその指先を見た。
「あなたが――取りに来るの。私のところに」
しばらくそうして見合うが、やがてエドガーは諦めて彼女に歩み寄る。
彼女の前に立ち、再び手を差し出すが――ヴィヴィアンは封筒を机に投げると、エドガーのクラヴァットを掴んで思い切り引いた。
エドガーは体勢を崩しかけ、わずかに目を見開く。
ヴィヴィアンは呼吸が触れるほどに顔を寄せた。
「ねぇ、キスしましょうよ」
エドガーは、彼女の唇に手のひらを当てて制した。
「しません」
ヴィヴィアンは舌打ちし、クラヴァットから手を離した。
「つまらない男」
「つまらなくて結構」
エドガーは彼女に背を向けると、机を回り、席に腰を下ろした。
彼女が投げた封筒を開ける。
差出人は異国の大貴族の男。
――ド・ロシュフォール侯爵。
中には何枚もの書類が入っていた。
「何ですか……。これは……」
「次男の血を継ぐ男の後見人よ。
立場がある人だわ。書類にも不備はないと思うけど?」
「……偽造ではありませんよね?」
「調べてみたら?」
一枚目は、次男の血筋の人物トーマス・レインを後見人として認めるというもの。
トーマス・レインはエドガーとルシアンの調査でも、次男の血統であると浮かびあがってきた男だ。
二枚目は、当時の次男フレデリック・ブラムウェルの遺産請求権をド・ロシュフォール侯爵が代理行使すると記述している。
三枚目。
その遺産請求に関して、王立裁定院に正式に請求を行うとするもの。
エドガーは書架の前に立ち、革表紙のフォルダを持ち出した。席に戻り、国外貴族の登録された印証一覧からド・ロシュフォール侯爵のものを探し出すと念入りに見比べる。
そして、彼は小さく息を吐き出す。
「少なくとも私には本物に見える……」
「だから本物だってば」
ヴィヴィアンは腕を組み、勝ち誇った顔でエドガーを見下ろした。
四枚目の書類は、ヴィヴィアンが所持する“エドウィン・ハートの私信”についての所有証明書だった。
ド・ロシュフォール侯爵がその手紙を彼女に正式に譲渡したと記されている。
「……この“私信”とは?」
ヴィヴィアンはジャケットの内ポケットから日に焼けた手紙を取り出し、エドガーの前に静かに置く。
エドガーはそれを開き、素早く目を走らせた。
「……本当にエドウィン・ハートがフレデリック氏に譲ったものだったのか」
エドガーは顔をあげると、ヴィヴィアンの水色の瞳をまっすぐに見つめる。
「もう一度確認しますが、偽造ではありませんよね」
「偽造じゃないわ。それに、今は“盗品”でもないわ」
「“今は”?」
ヴィヴィアンは妖艶に笑んでみせた。
エドガーは前髪をかき上げると、ため息をつきながら書類を丁寧にまとめる。
鍵付きの引き出しから別の書類を取り出し、それに静かに重ねた。
そして、机の上で指を組むと、ゆっくりとヴィヴィアンに視線を向ける。
「あなたは……どのような立場の方なのです」
彼女は机に片手をつくと、楽しそうに笑った。
「個人で仲立人をしているの。世界を股にかけてね。
あなたも法が役に立たない争いごとに直面したら、私を頼ればいいわ。ちょっぴり安くしてあげてもいいわよ」
「……そんな日は来ませんよ」
エドガーは首を振る。
「あら、人生何が起こるかわからないものよ。
気づいたらあなたは私を恋人にしているかもしれないし」
「それこそありえませんね」
ヴィヴィアンは声を上げて笑った。
「エドウィン・ハートの手紙。こちらでお預かりしてもよろしいですか?」
「託すわ」
エドガーが顔をあげた。
「トーマス・レインでしたっけ? フレデリックさんの末裔。彼に、『猫と青年』の絵画と一緒に渡してあげてほしいの」
彼女の水色の瞳は、エドガーの瞳をじっと見つめる。
「……いいのですか?」
「もちろんよ。もともとはフレデリックさんの持ち物だもの」
エドガーは引き出しから専用紙と印章を取り出して机に並べ始めた。
「では、“エドウィン・ハートの私信”を譲渡するという名目の書面を作りますので、署名をいただけますか?」
「……面倒ね」
「法とはそういうものです」
ペン先をインク壺に浸す。
「だが、この書面があなたを守ることもあります」
「……ま、そうね」
ヴィヴィアンは、エドガーの手元を静かに見つめていた。
「これで……エドウィンさんの思いは、守られるわよね」
エドガーは一度だけ、その手紙に視線を落とした。
「……えぇ」
エドガーが顔をあげてやわらかく笑むと、ヴィヴィアンは不思議そうにその顔を見つめる。
「ねぇ、いつデートする?」
「しませんよ」
ヴィヴィアンは目を細めた。
彼は書類に視線を向ける。
「つまらない男」
「つまらなくて結構」
ペン先が紙を擦る音が、静かに部屋に落ちた。




