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歪んだ三日月 ―法務官エドガー・レイブンズと王都に棲む蛇―   作者: かも ねぎ
第二章 赤猫の署名 ―遺された絵の行方―
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2-3 奇妙な再会


 法務官室にノックの音が落ちた。

 一人で作業していたピップは顔をあげる。


「レイブンズ法務官殿。ご在室ですか?」


 ピップは椅子から立ち、扉まで駆け寄った。静かに戸を開けてみると、そこには事務員の制服を着た女性。

 見事なジンジャーヘアの職員は、ピップと目が合うとにこっと笑った。


「……申し訳ありません。

 レイブンズは今、席を外しています」


 ピップがそう言うと、彼女の柳眉が下がる。


「それは……困りましたね。こちら、急ぎの書類なのです」

「では、俺が責任を持って預かります」


 彼女は首を振った。


「いえ……これは、どうしてもレイブンズ法務官殿に直接お渡しするようにと言われているのです。

 ――今、彼はどちらに?」


 ピップは眉を寄せて職員が腕に抱えている物を見る。

 革の封筒。

 裁定院や貴族院などの急報便ならそれに赤い線がつくが、見たことのない青の線が描かれている。


 (どこからの書類だろう?

 俺の知らないところからの物みたいだけど……。もしかして、国外? 困ったな……)


「レイブンズは一時間もすれば戻ると思いますが……」


 女性職員は水色の瞳を細めた。


「一刻を争います」


 ピップは自分の髪に触れながら逡巡する。

 

 (……裁定院の事務員さんなら、いいか)


「……レイブンズは、ハートウェル区のミルフォード・ティールームで、遅めの昼食を取っているはずです」


 彼女はほっとしたように息を吐くと、ピップに深く頭を下げた。


「感謝いたします」


 そして、踵を返し、足早に廊下を去っていく。


 (本当に急いでたんだ。変な要件じゃないといいな)


 ピップは扉を閉めると、自分の作業に戻った。

 壁時計が、ひとつ、時を刻む。





 ミルフォード・ティールーム。

 エドガーは、読んでいた本から顔をあげる。

 彼が座っていた席の向かいに、女性が断りもなく腰を下ろしたからだ。


「ねぇ、食事をしてるの? それとも、本を読んでいるの?」


 見事なジンジャーヘア。

 淡くそばかすの散った白い肌。

 大きな水色の瞳に長いまつげ。

 シンプルなアフタヌーンドレスに包まれた体は、スタイルの良さを隠しきれていない。

 ――彼女は先日、バーでエドガーの隣に座ってきた女性だった。


 彼女は、妖艶に微笑んだ。

 

「……レディ。どなたかとお間違えでは?」

「間違えるわけないわ。あなたのために早着替えまでしてきたんですもの。褒めてほしいくらいだわ」

「……早着替え?」

「エドガー・レイブンズ法務官様。

 あなた、目立たないけど端正な顔立ちしてるのね。いい男じゃない」


 エドガーは、かすかに眉を寄せると、静かに席を立った。


「失礼。私は仕事に戻らなければ」

「ヴィヴィアン・クロウフォードよ。ヴィーって呼んで。

 エ・ド・ガーさん」


 エドガーはその群青の瞳を細めると、小さく笑んだ。

 そのまま木床を踏んでカウンターに向かい、店主と一言二言話して喫茶店を出ていく。


 ヴィヴィアンはその背を微笑みながら見送っていた。


「ま、そんなに簡単には行かないか」


 彼女は給仕の青年を呼ぶと、紅茶を注文し、そのままその席に座り続けた。





 就業後。

 エドガーは学院街の一角にある書店〈リヴァース&サンズ〉にいた。


 大きな窓から差し込む夕方の金色の光が、店内をやわらかく染めている。

 天井まで届く書架。

 木床を踏むと、その音が鈍く響いた。


 エドガーはひとつの棚の前に立つと、視線で本の背表紙をなぞる。

 手を伸ばしかけるが、隣に人が立った気配を感じて手を引こうとしたとき――

 華奢な白い指に手首を掴まれた。


 彼の眉がかすかに寄る。

 隣に立ってエドガーの手首をつかんだ女性、ヴィヴィアン・クロウフォードはにっこりと笑んだ。


「あら、奇遇ね。エドガーさん」

「……本をお探しですか? 取って差し上げましょう。どちらです?」

「ありがとう。でも、もう欲しいものは手に取ったから結構よ」


 エドガーの手首をつかんだまま、彼女はその赤い唇の口角をきゅっとあげる。


「あっ」


 エドガーと共に書店に来ていたピップは、二人を見つけて声を上げた。


「あら、少年」


 ヴィヴィアンがにっこり笑むも、ピップは二人の間に体をねじ込み、エドガーを背に庇うようにする。


「エドガーさん。この人不審者です。近づいちゃだめです」

 

 エドガーは苦く笑う。

 ヴィヴィアンは目を細めてピップを見据えた。


「ひどい言い方。騙されたあなたが悪いんじゃない」

「やっぱり騙したんですね」

 

 ピップはくるりと体の向きを変えると、エドガーを押した。

 癖のある少年の髪が震えるように揺れる。


「エドガーさん。今日は帰りましょう」


 エドガーはピップの肩を優しく叩き、静かにヴィヴィアンに視線を向けた。


「ミス・クロウフォード。何か私に話したいことでも?」


 目を見開いたピップに、ヴィヴィアンは勝ち誇った顔を向ける。

 エドガーは小さく首を傾げ、彼女をまっすぐに見つめた。


「ほら、エドガーさんは話のわかる方だわ」


 ヴィヴィアンはピップを押しのけてエドガーの前に立つと、腕を伸ばしてエドガーの顎にそっと指先を添える。

 ふわりと立ち上る香水の香り。

 彼女の空色の瞳と、群青の瞳が交わった。


「バーにでも行きましょうよ。あなたと二人で話したいの」


 エドガーは片眉を上げる。

 彼女の手に自分の手を添え、静かに顎から指を外させた。

 瞳を細めて、淡く微笑む。


「……やはり人違いではありませんか?」


 彼は踵を返すと、ピップの肘に手を添えた。


「ピップ、帰ろう」

「はい」


 歩き出したエドガーにピップも続く。

 ピップは振り返り、ヴィヴィアンに向かって舌を出した。

 そしてまたエドガーの後を追う。


「くそガキ」


 ヴィヴィアンは小さく舌打ちをした。

 彼の背に揺れる青みがかった黒髪。

 それをじっと見つめ、やがて彼女も踵を返した。


 書店の外は既に陽が落ちかけ、夜の帳が下り始めていた。


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