↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歪んだ三日月 ―法務官エドガー・レイブンズと王都に棲む蛇―   作者: かも ねぎ
第二章 赤猫の署名 ―遺された絵の行方―
21/67

2-1 遺作のはじまり


 アルストリア王国アルデン暦八百年代。

 今から百年ほど前――



 石造りの小さな部屋。

 茶色の毛の猫が、陽射しの当たる木床の上で伸びをしている。

 出窓からは、少しだけ冷えた風が滑り込んできた。


 部屋にこもる、油と絵の具の匂い。


 画家の青年は筆を一度置くと、咳込んだ。

 ちょうど紅茶を運んできた彼の友人が、その背をそっとさする。


「無理するなよ」

「……悪いな」

「悪くなんかない。俺はこの絵が楽しみだ。のんびりやれ」


 カップをテーブルに置いた友人の男は、腕を組んで、画家の前のキャンバスを覗き込んだ。

 ――猫を抱いた男の絵。

 

 口角を上げて画家を見る。


「いつか、この絵はみんなが見てくれる」


 画家の青年は眉を下げて笑った。


「……そうだといいが」


 彼はまた、筆を手に取る。


「……でも、この絵は売れなくてもいい」

「なぜ」 

「これは、売れない画家から友人への手紙みたいなもんだ」

「それは……なんか照れくさいな」

「君とは言ってない」

「どうみてもこれは俺だろう」


 画家の青年は小さく笑うと、少しだけ咳き込み、また手を動かし始めた。

 友人は、彼の横で、静かにそれを見ている。


 筆を動かす音だけが、静かな部屋に落ちていた。

 


 ――この絵が、後に争いの種になる。

 それを、彼らが知ることはない。




 現代――



 エドガーが木製の扉を引いて開けると、澄んだベルの音が響いた。


 学院街ハートウェル区に静かに佇む“ミルフォード・ティールーム”。


 木の温もりが残る店内に入ると、エドガーは小さく手を上げた。

 テーブル席についていた小柄な老齢の男は席を立ち、エドガーに向かってそっと頭を下げる。


 ――エドマンド・フィンチ。

 王立裁定院御用達の芸術品鑑定士だ。


 彼は席でエドガーを迎えると、眼鏡の向こうの瞳をやわらげ、淡く笑った。


「こんにちは、レイブンズさん」

「フィンチ先生、こんにちは。

 お誘いいただき、ありがとうございます」


 低い天井の梁がやわらかい影を作り出し、店内は静かな空気で満ちていた。

 

 エドガーがフィンチの向かいに腰を下ろすと、給仕の青年を呼び、簡単に注文をする。


「それにしても、私はここに来るのは久しぶりでしてな」


 フィンチは静かに店内を見回した。


「フィンチ先生もこのカフェに?」

「このカフェ、昔は工業地区のミルフォード区にあったのですよ。いつも鉄と油のするカフェでしたな」

 

 エドガーは微笑み、小さく頷く。


「そうでしたか」

「……こうも静かで品の良いカフェになるとはね」


 フィンチがカウンターを見ると、マスターが少しだけ目元をやわらげて、小さく頭を下げた。

 フィンチも笑んで返すと、彼は再びエドガーを見る。


「実は……少し、レイブンズさんに相談したいことがありましてな」


 エドガーは小さく首を傾げた。


「ご相談ですか?」

「いや、個人的なことなんですが……」


 フィンチは小さく手を上げ、苦く笑う。


「知り合いの伯爵家のご夫人から、ちらと相談を受けましてな」

  

 彼は、眼鏡の奥の琥珀色の瞳を細めた。


「伯爵家が所有している絵画について、夫妻で意見が割れてしまっているそうなのです」


 エドガーのもとに注文していた紅茶が届く。

 カップから、湯気が静かに立ち上った。


「絵画ですか……」

「少し、話を聞いて差し上げてはもらえないでしょうか」

「私でお役に立てますでしょうか」

「あなたで役に立てなければ、他に頼れる人もおりますまい」

「なるほど……。そういうお話ですか」


 フィンチが静かに頷く。


「ぜひ、話を伺いたいと思います」


 エドガーが淡く微笑むと、フィンチはほっとしたように小さく息を吐いた。





 ブラムウェル伯爵邸。

 貴族邸宅が並ぶ一角に建つ、白い石造りの邸宅。

 

 夫人のサロンは、縦長の窓から落ちる白い光が、部屋の空気を静かに満たしていた。


 エドガーとフィンチが並んでソファに腰を下ろすと、セシリア・ブラムウェル伯爵夫人も小さく頭を下げてから向かいに座った。


 壁に飾られた大小様々な絵画。

 マントルピースの上に並ぶ陶器。

 天井を飾る小ぶりのシャンデリアは鈍く光を散らしていた。


 夫人はやわらかく瞳を細める。


「ようこそおいでくださいました。

 フィンチ先生、レイブンズ法務官様」


 フィンチとエドガーが揃って頭を下げると、彼らの前に、侍女が静かにカップを置いた。


「お忙しい先生方ですもの。

 不躾かもしれませんが、さっそくお話させていただいてもよろしいかしら」


 セシリアがおっとりとそう言うと、エドガーは淡く笑んで頷く。


 老齢の執事が彼らの机の脇に立つと、一礼し、赤い布で包まれた絵画を夫人の横に丁寧に置いた。そして、布を外す。


 現れたのは、猫を抱いた青年の絵。


「こちら、我が伯爵家が所有しているエドウィン・ハートの遺作です」


 エドガーがフィンチを見ると、老齢の鑑定士は深く頷いた。


「エドウィン・ハートは在命中は売れない画家でしてな。彼は若くして病気で亡くなってしまった。

 しかし、彼の作品は彼の死後、評価を上げたのです。

 この遺作は間違いなく彼の作品です。

 彼が遺した作品は、あまり多くない。

 これは、とんでもない価値のものですよ」


 エドガーが頷くと、夫人はわずかに瞳を伏せた。


「……この作品について、最近脅迫状が届くようになったのです」

「……脅迫状ですか」


 セシリアが執事から数枚の紙を受け取り、一枚ずつテーブルに並べる。


「……見て頂けますか?」

「拝見します」


 エドガーはポケットから薄い白手袋を取り出すと、紙を一枚ずつ手に取った。

 脅迫状は四通あり、それは全て、新聞の文字を切り取って制作されたもの。


『猫は家を間違えない』


『百年前の贈り物を返せ』


『絵は血を覚えている』


『エドウィン・ハート作「猫と青年」を、正しき血を持つものに返却せよ』


 エドガーが顔をあげる。


「『エドウィン・ハート作「猫と青年」を、正しき血を持つものに返却せよ』。

 それが一番最近のものです」

「初めは抽象的だったのに、急に変わりましたね」

「こちらが……応えないからでしょうか」


 エドガーは紙をテーブルに戻すと、手袋を取り、手を顎に添えた。


「それも勿論ですが……。

 知的で、計画的ですね。決して衝動的なものではありません。……この絵画についても、よく理解している人物のようだ。

 ……治安監察局に相談はされましたか?」


 群青の瞳を細めて夫人を見ると、彼女は小さく首を振る。


「大事にはしたくないのです」

「……そうですか」

「わたくしとしては……」


 彼女は小さく息を吐いた。


「本当の持ち主がいるのなら、お返ししたいと考えています。

 でも主人は……」

 

 エドガーは視線を下げる。


「伯爵家所有のものであるのなら、もちろん権限は当主にあります。

 その辺りについては、こちらでお調べすることはできますが……」


 フィンチはカップに口をつけてから、言葉を引き取った。


「逆に“伯爵家所有”であるという証明がきっちりとされたならば、当主が認めない限り、伯爵家からは動かせないということでもありますな」

「えぇ、そういうことです」


 夫人は小さく笑むと、頭を下げた。


「……今はできることが無さそうですわね。

 せっかくご足労いただいたのに、申し訳ないわ。

 ――でも、話を聞いてもらえて、少し安心できました。

 何かありましたら、正式にご相談させていただくかもしれませんわ」


 エドガーも淡く微笑んだ。


 若くして亡くなってしまった画家が遺した絵画。

 そこに描かれた青年は、とても優しい顔をしていた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。