↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歪んだ三日月 ―法務官エドガー・レイブンズと王都に棲む蛇―   作者: かも ねぎ
第一章 青の三日月 ―名を持たぬ少年の初恋―
18/67

18 尻尾切り


 王立裁定院の別棟“お召しの棟”。


 上級法務官の部屋が並ぶその廊下は、歩くたびに床を踏む音がくぐもって響いた。

 床には上質な手織りの絨毯。

 壁には、淡い深紅のタペストリーが掛けられている。

 

 “上級法務官室 ― マルコム・ヘインズ”


 そう書かれた金文字のプレートが取り付けられた深色の扉。

 エドガーをそれをノックした。


「どうぞ」


 すぐに声が返り、彼は中へと足を踏み入れる。


「エドガー、新しい案件だ」


 大きな机に座ったエドガーの直属の上司であるマルコム・ヘインズ。

 彼は、その丸みのある手をあげた。


 彼の髪には、今日も見事に寝癖がついていた。

 マルコムは、エドガーの上司であり、師でもある。

 一目ではうだつが上がらない役人の男に見えるが、経験に裏打ちされた人を見る目と洞察力は、裁定院の中でも随一と謳われている。


 招かれるようにしてエドガーが彼のそばまで進むと、書類束を手渡された。

 素早く文字に目を走らせ、エドガーは眉をわずかに寄せる。


「……これは」


 顔をあげると、マルコムは小さく頷いた。


「そう、またベルテン侯爵がウォルフォード卿を訴えてる。同内容だ」

「しかしこれは」

「そうだ。私もそう思う。

 治安監察局もすでに捜査を進めている。 

 すぐに報告書は届くだろう」

「……そうですか」

「じゃ、任せたよ」

「はい」


 エドガーが礼をすると、マルコムは口角を上げて笑った。


「今週末、どうだ?」


 エドガーも書類を脇に抱えると、穏やかに笑む。


「またお邪魔してもよろしいですか?」

「あぁ、お前が食事を食べに来てくれると、妻も喜ぶ。ピップも連れてきなさい。

 彼の好物は、なんだったか」

「りんごです」

「アップルパイを用意したら、喜ぶかな」


 エドガーは、頬を綻ばせた。


「えぇ、とても喜ぶと思います」

「そうか。妻に伝えておこう」


 マルコムが手をあげると、エドガーはもう一度礼をして、踵を返した。

 




 開いたままの窓のカーテンは、風にゆったりと揺れていた。

 彼の手元は、白く照らされている。


 席につき、書類に視線を落としていたエドガーは、ふと、顔をあげた。


「よぉ、相棒」


 相変わらずノックもせずに部屋に入ってきたルシアンは、調査書を軽く掲げる。


「やぁ、ルシアン。どうだった?」

「治安局の捜査にも立ち会ったが、かねがねお前の想像通りだろうな」


 エドガーは立ち上がると、ルシアンから書類を受け取った。

 窓辺に立ち、書類をめくる。

 ルシアンは壁際に避けてあった椅子を引き寄せると、それに腰を下ろした。


「前回訴えられてから、ウォルフォード卿はインクを刷新してる。

 かなり青みの強い特殊なインクに変えた。

 治安局の捜査でくまなく邸宅内を探したが、それまで使用していたインクは全て処分されていた。

 業者に引き取らせた記録までわざわざ残していた」

「うん。徹底してる」


 エドガーがルシアンを見ると、ルシアンは頷く。


「さらに、ウォルフォード卿は代筆を一切禁止にしたんだ。

 だから、ある時を境に、執事の文字で書かれた書類はほとんど存在しない」

「ほとんど……とは?」

「荷物の受け取りのサイン。その程度のもの」

「なるほど」


 エドガーはルシアンの調査書類を机に置くと、別の書類を手に取った。


「僕からは、筆跡鑑定の結果を。

 今回新たに訴えが出された“偽造文書”の筆跡も“執事のベイカーの筆跡を真似たもの”だった」 


 エドガーは腕を軽く組む。


「しかし、前回よりかなり雑だ。

 以前の文書はベテラン筆跡鑑定士のマルブリー先生が悩むほどによく作られていた。

 だが、今回の文書は、前回の文書の丸写しだった。署名には揺らぎがなく、完全に一致している」


 エドガーは、小さく息を吐いた。


「つまり、すでに存在しないはずのインクで書かれた、代筆をしないはずの“執事の筆跡”による文書なんだ。

 明らかに“ウォルフォード卿を嵌めるために作られた文書”だった」


 群青の瞳が、わずかに細められる。

 ルシアンも髪を乱暴にかき上げた。


「これはもう……」 

「そうだね。

 おそらく、ガロウ商会は足切りされたんだろう。

 いきなり稚拙になったのは、貴族の情報を手に入れられるだけの立場の人間や、相当な偽造文書作製の腕を持つ人物が、商会から手を引いたんだ」


 ルシアンは腕を組んだ。


「……やられたな」

「うん。やられた。

 もう、ガロウ商会の背後にいた貴族との繋がりは切られているだろう」


 エドガーが苦く笑うと、ルシアンもつられるように口端をゆがめる。


「だけど、ウォルフォード卿は冤罪だったと、これではっきり裁定できる。

 ガロウ商会を抑えた後は、アリシア嬢も家に帰すことができるし、鑑定士のマルブリー先生にも、帰ってきていただける。

 そう悪いことばかりじゃないだろう」

「そうだな。あまり長引かせずに済んで、良かったかもな」

「……うん」


 エドガーは、筆跡鑑定結果の書類も机に置くと、静かに窓の外に視線を向けた。


「悔しいか?」

「……まぁね」


 彼の青みがかった黒髪が、背で小さく揺れた。

 ルシアンはそれを黙って見つめる。


 大通りを馬車が通り過ぎた。

 窓の向こうの王都は、やはり今日も、霧に包まれている。



 


 ハートウェル区。

 王立大学や研究所が並ぶ学院地区のバー〈古書と麦酒《ブック&エール》〉。


 よく磨かれた木の扉を開けると、店内には紙の匂いが漂っていた。

 壁一面に並んだ書架には、古書が惜しみなく詰め込まれている。


「エドガーさん」

 

 大きめの木製テーブルとベルベットの布地のソファが並べられたボックス席。

 そのひとつに腰を下ろしている男が手を上げた。


 ――アーサー・グレイ。  

 治安監察局の実務官である彼は、整った顔立ちに澄んだ灰色の瞳、きっちりとなでつけられた黒髪の男だった。若いが、治安監察局第六部を率いる現場指揮官でもある。


 エドガーが向かいに座ると、アーサーは嬉しそうに目元を和らげる。


「珍しいね。飲みに誘ってくれるなんて」

「珍しいですかね?

 度々お誘いしているつもりなんですが……。

 それはともかく、特に今回はエドガーさんにどうしてもお会いしたくなってしまって」


 エドガーはわずかに目を見開いた。

 卓上の燭台の火が、柔らかく揺れる。


「僕に? 何か伝えたい重要な事柄でも?」


 アーサーは苦く笑い、それから、小さく手をあげる。


「あぁ、いやいや。

 この案件をみていたら昔を思い出してしまって。貴方と飲みたくなってしまっただけです」

「あぁ、そうだったんだ」


 エドガーのもとに、注文しておいたウィスキーのグラスが届いた。

 エドガーがそれを持ち上げると、アーサーは自分のグラスを小さく当てる。


「あの……騎士爵の方の案件ですが……」


 アーサーは首元に手を添えて、ネクタイを少しだけ緩めた。


「私の事件を覚えていますか?」

「覚えているよ」


 エドガーが目を細めて頷くと、彼も小さく頷いた。


「……私も、過去に嵌められました。

 ――常套手段なのでしょうね」

「そうだろうね」

「いやぁ、でもあの時のエドガーさんは格好良かったなぁ……」


 うっとりと見つめてくるアーサーに、エドガーはため息をつく。


「……僕は仕事をしただけだよ」

「それが格好いいんですよ。

 席を失うところでしたが、エドガーさんのおかげで私は今も働けている。ありがたいことです」


 エドガーはグラスを口に運んだ。


「それで私はエドガーさんの信望者になったんですからね」

「全く……。僕はそんな大したもんじゃないよ」


 アーサーが笑うと、エドガーもつられるようにして小さく笑う。


「今度ルシアンさんも誘ってくださいよ。

 合同調査で会うたびに声をかけてるんですが、毎度断られるんです」

「ルシアンが断るの?

 君、相当嫌われてるんじゃない?」

「そんなはっきり言わないでくださいよ」

「あはは」

 

 卓上の燭台の明かりがゆらゆらと揺れ、グラスの中の氷が、カランと小さく鳴った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。