16 紳士倶楽部
セント・アークライト大聖堂の近くに、貴族邸宅のような趣の白い石造りの建物があった。
その窓からは、夜になってもかすかな明かりが漏れている。
前庭に整えられた白薔薇は、競い合うように月光の下で咲き誇り、鉄製の門にはランプが煌々と灯っていた。
“グレイヴェル倶楽部”。
王都最古とされる紳士倶楽部だ。
議会と裁定院の上級官僚が多く所属している。
その春季紳士会合が、この日、この場所で行われているのだ。
カードルームでは、燭台の明かりが部屋の隅に鈍い影を作り出していた。
中央には深色の木製卓が並び、壁際には青革のソファ。
敷かれた厚い絨毯。
話し声は柔らかく吸われ、紳士たちはみな、声を低くしている。
「あぁ、エドガーじゃないか。珍しいな」
エドガーが静かに近づくと、法務官仲間であるオーランド・フェリスはにっこりと彼を迎えた。
すぐ隣のソファをトンと軽く叩く。
「フェリス卿。こんばんは。皆さんお揃いで」
席に腰掛けながらまわりを見ると、王立裁定院に勤める法務官があと二人いた。
「レイブンズ。お前以外は日頃よく集まってるからな。お前が異物なんだ」
マーカス・ヘイル。中堅法務官である彼は皮肉屋だが、最も貴族的な男でもある。
「はは。それは手厳しい」
老紳士が笑う。
「私が君くらいの頃はよく遊び回っていたものさ。エドガー君は真面目だからね」
彼はコンラッド・ハーグリーヴス。裁定院の上席法務官という立場の古参の男。
「エドガーの年の頃、私はまだ書記官だった」
オーランドが朗らかに笑うと、マーカスは片眉を上げる。
「みんなそうだ。
未だに“史上最年少”だからな。全くよくやるよ」
エドガーが淡く笑むと、オーランドはその肩を叩いた。
「なぁ、カード卓に移動しよう。ホイストだ」
「あぁ、いいですね」
四人は連れ立ってカード卓に移動すると、それぞれ席につく。カードが手元に配られると、慣れた手つきでゲームを始めた。
「最近、軍務局の補給命令書の偽造が流行っているらしいな」
「……そうですか」
卓上の燭台がゆらゆらと小さく揺れている。
「エドガー、君が扱ってる案件もその類いだろう?」
「えぇ、まぁ」
マーカスが壁際でグラスを傾けている男をちらと見た。
エドガーは少しだけマーカスに顔を寄せ、声を低くする。
「……お知り合いですか?」
「いや」
マーカスは口端を歪めて小さく笑った。エドガーもそれに応えるように口角をあげる。
「エドガー。だが、霧に手を突っ込むのは良くない」
「エドガー君はすでに突っ込んでるだろう」
コンラッドも壁の男にちらと視線を向けた。
その男は帽子を目深にかぶったまま。
彼の手元の燭台の火がその頬を照らすが、顔はほとんど見えなかった。肩幅は広く、軍人を思わせるほどにどっしりとした体格をしている。
彼は、視線を静かに室内に向けた。
だが、何を見ているのかは、誰にも分からなかった。
「レイブンズは一番度胸があるからな」
「なぁ、エドガーは長官には会ったことがあるか?」
「僕ですか? 無いですよ」
「あぁ、エドガー君なら、彼のお眼鏡にかなうかもしれないな」
オーランドとコンラッドが軽く笑うと、マーカスは眉を歪めて息を吐く。
「全く可愛げがない」
「ヘイル卿はひどいな」
エドガーが笑うと、マーカスは手のひらをぺらと見せて不敵に笑った。
「お前のことが嫌いなわけじゃないぞ。俺は素直に感想を述べているだけだ」
マーカス以外は声を上げて笑う。
カードの擦れる音。
マーカスが卓にカードを投げた。
「あぁ、負けた」
「ハーグリーヴズ卿とエドガーがペアになったら勝てるわけがない」
「運が良かったんです」
「はっはっは。そうだよ」
エドガーとコンラッドが目を合わせて笑うと、オーランドはマーカスの肩に手を置いてため息をつく。
「ホイストは運のゲームじゃないでしょうよ」
「これだからレイブンズは可愛げがないんだ」
燭台の火が、鈍く揺れた。
オーランドがマーカスの肩を強く叩く。
「あっはは。
マーカスさんは素直じゃないな。なんだかんだ気に掛けてるくせに」
「フェリス……。よしてくれよ。全く」
別の卓では、ウォルフォードを訴えたベルテン侯爵家の若い親族がゲームに興じていた。
杯が早いペースで空になっている。
「伯父のところにも“同じ内容の文書”が届いたらしい」
「同じ内容って?」
「上手い話ってやつだろ?」
大きな笑い声がカードルームに響き、エドガー達はちらと視線を向けた。
壁際の男もベルテン侯爵家の若者を見据える。両者の視線が絡み、若造は思い出したように口をつぐむ。
壁際の男は、どこの卓にも座らず、会話にも入ろうとしなかった。
ふいに、彼はエドガーを見る。
射抜くような視線だった。
エドガーも視線に気づき、静かに顔を向けた。
男の射るような視線。
燭台の明かりは乏しく、瞳の色さえ分からない。
彼は立ち上がると、エドガーに向かって一礼し、退室していく。
「……ラドクリフ子爵家の者だな」
その様子を眺めていたコンラッドが、つぶやいた。
「……だが、何もつかめない」
老紳士の視線は卓のカードに向けたまま。
エドガーはゆっくりと、卓に向き直った。
「そうとうやり手だ」
「大きな仕事をしているようだ。かなり儲けてる」
マーカスとオーランドも静かに言葉を落とす。
みな、目を伏せた。
「おそらく……。例の男の子飼いだ」
コンラッドの言葉に、オーランドが息を呑む。
「エドガー……手を出すなよ」
エドガーは苦く笑った。
「今はまだ……」
「全く……。
そのうち出すつもりか。
気が多い男は女に嫌われる」
マーカスが口を歪めて笑うと、オーランドも小さく笑った。
「そう言えばエドガー、結婚は」
空気を変えたオーランドが朗らかに言うと、エドガーも顔を上げて首を振る。
手元にまたカードが配られる。
「しませんよ」
「なぜ? お前くらいの男なら向こうから寄ってくるだろう?」
「寄ってこられたことはありませんね。残念ながら」
エドガーがカードに視線を落とすと、マーカスがオーランドの肘に触れた。
「鈍感なんだよ」
「あぁ……仕事以外は鈍感なんだな。この手の男はみんなそうだ」
「やめてくださいよ」
笑い声。
卓の燭台の明かりが、ぼんやりと壁に男たちの影を作り出している。
アルコールと蝋燭の香り。
カードをめくる音と、低い話し声。
紳士たちの社交の夜は、
まだしばらく続きそうだった。




