14 霧の倉庫
夜半。
月明かりが石畳を照らしていた。
小さな影が、滑るように蠢く。
王都の街外れ。グレイブ川を越えた先。
王都を訪れた者たちのための街である、宿屋、雑貨屋、娼館が雑多に立ち並ぶ、“外国人街”。
そこは王都の中心街よりガス灯の数が少なく、建物の下には濃い影が街を這っていた。
低く立ち込める霧。
ミストラッツの少年少女たちが走るたび、かすかに揺らめく。
建物の影に身を隠していた黒い外套の男、ルシアンは息を潜めたまま、小さく手を上げた。
子どもたちが、それぞれに身を隠す。
夜空。
雲が風に押されている。
月が、隠れた。
途端に、子どもたちが一斉に走り出す。
ルシアンは流れるようにひとつの小さな倉庫に近づき、指先で簡単に錠を外した。
静かに扉が開くと、幾人かは中へ滑り込み、幾人かはそのまま外に残った。
ここは、登記簿に載っていたガロウ商会の倉庫。“軍需物資”の運搬を担う商会の倉庫だとは信じがたいほどに、小規模な建物だった。
ルシアンがランプに火を灯すと、雑然と並んだ木箱がいくつも照らし出される。
「兄貴。あったよ」
木床を踏む音が、闇に溶ける。
ルシアンが近づくと、ミストラッツの少年が指さした箇所に、彼も指を添えた。
木箱にあったのは、青い三日月のような刻印。
「……ビンゴだな」
少年はさらに倉庫の奥を歩き回る。
ルシアンは木箱を開け、中を覗き込んだ。
中に入っていたのは、書類束。
「紙だけ……?」
数字の羅列。
琥珀の瞳がそれをなぞるが、やがて彼は首を振ると、数枚の紙を懐に忍ばせた。
「精査は帰ってからだ」
彼のそばに少女が寄ってくる。
「ルシアン、ほとんど物がないよ。同じような木箱だけ」
ルシアンは静かに頷くと、ランプの火を消した。
「助かった。解散だ。気をつけて帰れ」
倉庫を出ると、外にいた子どもたちがルシアンを見る。
彼が笑んで手をあげれば、頷き合い、そのまま散っていった。
小さな足音が霧に溶けていく。
ルシアンは外套の襟を高くあげると、息を吐いた。
紙が、小さく鳴る。
昼過ぎ。
ミストラッツの子どもたちは、楽しげに街を歩いていた。子どもらしい笑い声を上げながら、視線だけは忙しく街を漁っている。
外国人街は、貧民街にも近い。
彼らのような子どもたちが歩いていても、目を留める大人はいなかった。
二人、三人。
数人ずつに分かれ、街を歩く。
昨晩訪れた倉庫の前。
荷馬車が停まっていた。
御者台に座る男。
少年たちは、ちらと視線を投げただけで、そのままゆっくり通り過ぎる。
角を曲がり、彼らは声を潜めた。
「三日月の荷を乗せてる」
「髪色は?」
「鳶色だった。目の横に傷もあった」
「間違いなさそうね」
「兄貴に報告だ」
「走れ」
ミストラッツ一番の俊足のトビーが駆け出す。
その背を見送り、他の少年たちは、また、バラバラに散って歩き出した。
机に向かっていたエドガーが顔を上げると、金の短髪に霧の雫をつけたルシアンが法務官室に入ってきたところだった。
「進展はあった?」
エドガーの問いかけに、ルシアンは紙束を差し出して答える。
窓から差し込む淡い光。
書類がそれを白く弾いている。
エドガーはそれを受け取ると、群青の瞳を素早く滑らせた。
「……地名と、数字の羅列」
「荷の木箱に収められていたものは、そんな書類ばかりだった」
ルシアンは腕を組み、エドガーの持つ書類を見下ろす。
エドガーは顎に手を当て、しばらく考えてから指先を書類に置いた。
「これが……例の“青い三日月の刻印”?」
「そうだ。木箱にも同じものがあった」
ルシアンが深く頷くのを見て、エドガーは鍵付きの引き出しから一枚の紙を取り出す。
「ここにもある……。ごくわずかだけど」
ローワン・ウォルフォードが偽造したとされている文書。
それには、うっすらと刻印の跡があった。
「ガロウ商会が関わっているのは確実だな」
「そうだね」
――だが、この規模の商会だけで”侯爵家”を名乗るのはリスクが高すぎる。
「背後に大物がいる」
「レンドールか?」
エドガーがその瞳を持ち上げて、ルシアンを見ると、視線が静かに交わる。
「彼は……もっと後ろにいる気がする」
「なぜそう思う」
エドガーはふっと笑うと、視線を書類に戻した。
ルシアンは答えない彼に諦め、窓の外に目をやる。
薄いカーテンの向こう。
王都の尖塔群は今日も霧に飲まれていた。
エドガーは書類の海の中にいた。
彼が与えられている法務官のための机は大きなものだが、それでも乗り切らないほどの書類が積まれていた。
――青い三日月の刻印。
――ガロウ商会。
――外国人街にある小さな倉庫。
資金の流れを追い、倉庫を行き来する荷馬車の後を書類から追う。
いくつもの名前を辿り、消し、また辿る。
そして、ぼんやりと浮かんできた、ある貴族の名。
――新興貴族、ラドクリフ子爵。
――あまり聞いたことがない。
エドガーは書類を丁寧に重ね、腕を組んだ。
黒髪がその背を撫でる。
――ほとんどの社交行事でも名が上がらない貴族。
彼は手帳を開く。
文字に指を添わせ、それをまた閉じた。
口角がわずかに上がる。
書類をまとめ、彼は席を立った。
木床を踏んで扉脇に掛けてあったフロックコートに袖を通し、帽子を被る。
最後に杖を持って、彼は部屋を出た。
扉の閉まる音。
重ねられた紙が一枚、かすかに揺れた。




