第5話 理由のない衝動
合同演習の班分けが発表されたのは、講義棟の一室だった。
掲示板に並んでいた二人の名前を裏付けるように、教師が淡々と告げた班分けは、この一年で最も重苦しい沈黙を俺の中に運んできた。
魔法の属性を鑑みて教師が決めたそうだ。
ざわめく空気の中、教師が淡々と名前を読み上げていく。
視線を向ければ、人だかりから少し外れた講義棟の隅にその姿があった。
整いすぎた顔立ちも、隙のない立ち姿も相変わらずだ。
周囲の男たちが遠巻きに憧憬と畏怖の混じった視線を送っているが、彼女はそれを微塵も気にかける様子はない。
「やっぱり綺麗だな……」
「近寄りづらいけどな……」
そんな囁きが、あちこちから聞こえてくる。
男どもの視線が、あからさまに向けられているのが分かる。
——その孤高な姿が、なぜか以前からひどく気に入らなかった。
冷たくて、棘があって、誰も寄せ付けない。
そんな彼女の態度に触れるたび、俺の中で何かが引っかかる。
理由は分からない。
ただ——無視できない違和感だけが、残る。
正直、不快に思ってもおかしくないはずなのに。
なぜか——そうはならなかった。
むしろ、あの視線の奥に何かがある気がして、それを確かめたくなる。
「……最悪ね」
吐き捨てるような低い声で、ポツリとグレースが呟いた。
窓から差し込む冷ややかな光を背負って、俺を鋭く睨みつけていた。
「それはこちらの台詞だ」
即座に言い返しながら、俺は自分でも驚くほどの苛立ちを覚えていた。
しかし、そのやり取りすらどこか——初めてじゃない気がした。
「足、引っ張らないでちょうだい」
「そっちこそな」
交わした言葉は、たったそれだけ。
それだけなのに。
心臓が、妙にうるさい。
そして言葉とは裏腹に、俺の視線は彼女から逸らすことができない。
廊下で見かけるたびに目で追い、講義中も無意識にその後ろ姿を探してしまったこの一年。
関わればろくなことにならない。
頭では、そしてエドガーやソフィアからもそう教えられてきたはずなのに。
至近距離で対峙する今、彼女の瞳の奥に「何か」がある気がして。
拒絶されればされるほど、その奥に何かがある気がしてしまう。
……知るべきではない。
そう分かっているのに——目を逸らせなかった。
ふと、廊下を渡る風が彼女の銀髪を揺らした。
一瞬だけ花の香りが漂った。
「……っ」
その瞬間、心臓が強く跳ねた。
記憶の隅にあるはずのない感覚が、身体の芯を熱くさせる。
——最悪だ。
これ以上振り回されるつもりはないのに。
そう強く自分に言い聞かせても、掲示板の班分けを見たあの時から、俺の決意はもう揺らぎ始めていた。
歩き出す彼女の背中を見つめながら、俺は掌を強く握りしめた。
◇
学園の北部に広がる演習用の森に入ってしばらく。
本来ならあり得ない、王太子・公爵令嬢・公爵子息・侯爵令嬢という高位貴族ばかりの第四班は、異様な緊張感に包まれていた。
「……信じられませんわ。あのような『闇』の力を持つ方と同じ班になるなんて。レオナルド様、わたくし怖くてたまりませんの」
ソフィアが腕にすがりつき、潤んだ瞳で見上げる。
本来なら「大丈夫だ、何かあれば俺がすぐに対処するから」と返していたはずだが、無意識に、数歩背後を歩く存在を気にしていた。
「……レオナルド様?」
「あ、ああ……そうだな。だが、教師が決めたことだ」
生返事にもほどがある。
俺自身、自分がどうかしていると思う。
ソフィアがグレースを悪く言えば言うほど、なぜか胸の奥で「違う、そんな女じゃない」という正体不明の反論が突き上げてくるのだ。
「……レオナルド、あまりこちらは気にするな。ソフィアが不安がっているだろう」
エドガーがレオナルドの気もそぞろな様子にきづき、低く、どこか警告を含んだ声で割り込んできた。
彼はグレースの隣を歩き、彼女の無機質な横顔を時折、痛々しいものを見るような目で見つめている。
——なぜ、あいつの隣にいる。
「分かっている。……だがエドガー、お前こそ彼女と親しげじゃないか」
「……親しいわけじゃない。ただ、放っておけないだけだ」
エドガーの言葉に、眉間に不快な皺が寄る。
『放っておけない』? それは俺が抱くべき感情ではないのか?
そのとき——すぐ傍で、かすかな声が交わされた気がした。
反射的に視線を向けると、エドガーがほんのわずかに顔を寄せている。
隣にいるグレースへ、何かを告げるように耳打ちしている。
だが、距離が近すぎるせいか——あるいは意図的に抑えられているのか。
内容までは、まったく聞き取れない。
ただ——グレースの指先が、わずかに強く握られたのだけが見えた。
……怯えた、のか?
いや——違う。
あれは、何かを堪えている手だった。
次の瞬間には、何事もなかったかのように二人とも前を向いている。
——今のは、何だ。
どこから湧いてきたのかわからない独占欲が、心をかき乱す。
……らしくない。
そう自分に言い聞かせ、意識を無理やり前へ戻す。
足音だけが、やけに大きく響いていた。
誰も口を開かないまま進む中、森の空気が妙に重いことに気づく。
風もないのに、木々がざわついていた。
そのとき——視界の端で、ソフィアの手がわずかに動いた気がした。
何かを払うような、あるいは落とすような仕草だった。
だが次の瞬間には、何事もなかったかのように微笑んでいる。
——気のせいか。
そう思った直後だった。
演習の目的地である「癒やしの泉」まであと一息というところで、事件は起きた。
「きゃああっ! 魔物が……グレース様の魔力に引き寄せられて……!」
ソフィアの叫びと共に、森の奥から凶暴なハウンドが数体飛び出してきた。
グレースは即座に掌に黒い霧を凝縮させる。
「どいて」
冷徹に聞こえるが、それとは裏腹に覚悟を決めたような声だった。
「ダメだ、グレース! 出力が強すぎる、術が……っ!」
エドガーが叫び、彼女を止めようと手を伸ばす。
だが、それよりも早く——考えるより先に、体が動いていた。
「——下がっていろ!」
無意識に、グレースを背後に庇うようにして前に出た。
光魔法の剣を抜き放ち、ハウンドを一閃する。
「なっ……レオナルド様!? なぜそちらを助けるのですか!?」
ソフィアの驚愕の声を無視して、レオナルドは後ろを振り返る。
そこには、目を見開いて呆然とするグレースがいた。
「……なぜ」
グレースの唇が震える。
しかしハッとしたように、キツく睨みつけるような表情とは逆の、泣きそうな声で怒鳴った。
「近寄らないでと言ったでしょう!あなたは——っ!」
——そんな悲鳴のような問いが、言葉にならずに漏れていた。
その瞳には、助けられた安堵など微塵もなく、ただ——底の見えない色だけが、静かに沈んでいた。
「……分からない。だが」
レオナルドは、自分の手が微かに震えていることに気づく。
恐怖ではない。
彼女を背にした瞬間、かつてないほどの『しっくりくる感覚』が全身を支配したからだ。
「……君を傷つかせてはいけないと、身体が勝手に動いたんだ」
その瞬間、レオナルドの脳裏に、断片的な映像がフラッシュバックする。
暗い通路、見知らぬ庭、そして——
『レオナルド!こっちよ!』
鈴が転がるような笑い声と、甘い花の香りが脳を掻き回す。
小さな手を引いて「明日も、来るの?」とはにかむ、幼い少女が見えた気がした。
「ぐっ……あ……っ!」
激しい頭痛にレオナルドが膝をつく。
「レオナルド様!」
「レオナルド!」
ソフィアとエドガーが駆け寄る中、グレースだけが、伸ばしかけた手を血が出るほど強く握りしめて、その場に立ち尽くしていた。
駆け寄るソフィアたちの声が遠く感じる中、俺は、ただ一人動けない彼女を見つめる。
激しい頭痛に苛まれる俺よりも—— 何かを押し殺すように立ち尽くすその姿が、ずっと辛そうだった。
ほんの一瞬だけ、視線が重なる。
——だがその瞬間、俺は確かに思ってしまった。
「この感情を、俺は知っている」
——あり得ないはずなのに。




