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悪女と呼ばれる公爵令嬢のことだけ、なぜか王太子は思い出せない〜忘れているはずなのに、いつだって君だけが特別だった〜  作者: はな
第四部:追還の王太子──ときどき公爵令嬢

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第49話 本当の願い

グレース視点です。



「……戻ったとして」


 声が、情けないほど震えた。

 言葉にしてしまえば、きっと自分を支えていた全部が崩れてしまう。


 だから今まで言えなかった。

 言ってはいけない、絶対に隠し通さなければいけないと思っていた。

 けれど、目の前の男の真っ直ぐな瞳を見ていたら、もう何も隠しきれなかった。


「私が……もし、魔力をすべて失ったら、どうなるの?」


 掠れた声が零れ落ちる。

 レオナルドは何も言わない。ただ静かに、私の言葉の続きを待っていた。

 黄昏の風が、容赦なく私の頬を撫でていく。


「王太子妃には、なれないかもしれない。……ううん、王妃にだってなれないわ」


 自嘲するように笑ってみせる。

 けれど、視界が歪んでうまく笑えているか分からない。


 この国において、王族に魔力は絶対だ。

 国を守るために、民を守るために、そして何より——


「私は、あなたを傷つける。近くにいるだけで、あなたの命を蝕む……。なのに魔力まで失ったら、今度はあなたを守ることさえできなくなるのよ!?」


 何度も考えた。

 何度も夜中に一人で悩んだ。

 何度も、方法を探した。


 レオナルドを傷つけずに済む未来を。

 二人とも失わずに済む、都合のいい未来を。


 けれど、どこを探してもそんな答えは見つからなかった。


 だから諦めるしかなかったのに。

 悪女のフリをしてあなたに嫌われるしかなかったのに。


 どうしてこの人は、こんなにも諦めてくれないのだろう。


「……私は」


 唇が震える。

 声が震えないように、必死に歯を食いしばる。


「私は、何のために生きればいいの……?」


 それでも気づけば、堰を切ったように涙が溢れていた。


「あなたを守れない。あなたの隣にも立てない。そんな私があなたの世界に戻ったところで、一体何になるっていうのよ……っ!」


 ずっと怖かった。

 本当はずっと。


 魔力を失うことが怖かったわけじゃない。

 王妃になれない高慢な女だと指を差されるのが怖かったわけでもない。 


 本当に怖かったのは——


「また、一人になるのが怖いの……っ」


 違う。

 それだけじゃない。

 私は激しく首を振る。


 涙がぽたぽたとスイートピーの花びらに落ちていく。


「違う……違うの……っ」


 叫びながら、自分でも気づいてしまった。

 認めたくなかった、私の本当の気持ちに。


「あなたの隣に、いられなくなるのが嫌なの……!!」


 ついに、声が完全に崩れてしまった。


 孤独だった。

 生まれてからずっと。

 私の周りには誰もいなかった。

 誰も私に手を伸ばしてなんてくれなかった。


「せっかく……せっかく見つけたのに……っ!」


 けれど、あなただけは違ったの。


 何度冷たく追い返しても、次の日にはまた来てくれた。

 何度酷い言葉で傷つけても、絶対に私の手を離さなかった。


 知ってしまったのだ。

 この世界に存在する、温かい場所を。

 自分が生まれて初めて、帰りたいと思えた場所を。


「もう一度、あなたを失って一人になるくらいなら……。そんな未来なら、私はいらない……っ」


 涙で視界が滲む。


 言ってしまった。

 ずっと隠していた本音を。


 守りたいとか。

 王妃になれないとか。

 そんなものじゃなかった。


 私はただ、レオナルドの傍にいたかった。

 それなのに、また自分から離れなければならないなんて嫌だった。


「私は……っ」


 息が詰まる。

 視界は涙で滲み、声もうまく出ない。


 それでも、もう誤魔化せなかった。


 今まで必死に押し殺してきた本音が、堰を切ったように溢れ出していく。


「私は、あなたの傍にいたいの……っ」


 みっともない声だった。

 こんなこと、本当は言うつもりなんてなかったのに。


 守れなくてもいいわけじゃない。

 王妃になれなくてもいいわけじゃない。


 私は守りたかった。

 あなたの隣に立ちたかった。

 一緒に未来を歩きたかった。


 できることなら、その全部が欲しかった。

 そんな簡単に割り切れるなら、こんなに苦しんでいない。


 けれど——


 唇が震え、胸の奥に抱え続けていた本当の気持ちが、涙と一緒に零れ落ちた。


「それでも……それでも一番嫌なのは、あなたがいなくなることなの……っ」


 レオナルドは、ゆっくりと目を閉じた。


 まるで、私の吐き出した絶望をすべて、自分の痛みとして耐え切るように。


 そして深く、ゆっくりと息を吐き出し、目を開けた。


「……お前は本当に、何も分かってないな」


 静かな声だった。

 けれど、心臓が跳ねるほど優しかった。


「どうしてそんな結論になる」

「だって……!」

「グレース。俺は一度でも、お前に『守ってほしい』と言ったか?」


 息が詰まった。

 答えようとして、言葉が出ない。


 そんなこと、一度も言われたことはなかった。


「お前に、俺の代わりに戦えと言ったか?」

「それは……」

「お前に、完璧な王妃になれと言ったか?」


 何も、返せなかった。

 レオナルドは小さく笑った。

 呆れたように、それでいてどうしようもないほど愛おしそうに。


「お前は根本的な勘違いをしている。……俺は、王太子になりたかったわけじゃない。周囲から完璧だなんて賞賛されたかったわけでもない——全部、お前のために決まっているだろう」


 理解したくなかった。

 そんな言葉、今更聞いてしまったら私は——。


「お前のことを誰にも否定されたくなかった。誰にも反対させないくらい、圧倒的な力を手に入れる必要があった。……だから俺は強くなった。だから死ぬ気で努力した。だから、王太子であり続けたんだ」


 胸が苦しくて、涙が止まらない。


「俺が死に物狂いで頑張ってきた理由は、お前だ。お前を俺の隣に置くためだ」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが軋んだ。

 必死に押し込めていた感情が、もう抑えきれない。


「お前は、自分なんかじゃ俺の隣に立つ資格がないと思っているんだろう。……違うんだ、グレース。俺が、お前の隣に立つ資格が欲しかったんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが崩れた気がした。


「王太子の座も。王冠も。俺が積み上げてきたもの全部。……お前がいないなら意味がない。お前がいない世界なんて、俺にとっては何もかも意味がないんだ」


 彼の言葉が、拒絶していたはずの胸の奥底へ、すとんと落ちてくる。


 温かくて、優しくて、そしてどうしようもなく残酷な。


 ——そんなことを、そんな顔をして言われたら。


 もう、諦めることなんてできなかった。


 嫌われることで終わらせることも。

 自分だけが離れることで守ったつもりになることも。


 もうできない。


 胸の奥がぐちゃぐちゃだった。

 苦しくて、痛くて、どうしようもないのに。


 それでも、少しだけ嬉しいと思ってしまう自分がいた。


 こんなの、ずるい。


 そんな顔で。

 そんな声で。


 そんなふうに何もかも捨ててもいいと言うような目で見つめられたら、私が今まで必死に積み上げてきた覚悟なんて、簡単に壊れてしまう。


 守るために離れたはずだった。

 忘れてもらうために、自分を嫌わせたはずだった。


 それなのにそんなふうに、自分の人生の全てを懸ける価値があるのだと告げられたら。


 私が積み上げてきた覚悟も、諦めも、全部意味を失ってしまう。


 ——ずるい。


 こんなにも大切にされていたと知ってしまったら、これ以上どうやって離れればいいの。


 私の覚悟は、もう限界だった。



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