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悪女と呼ばれる公爵令嬢のことだけ、なぜか王太子は思い出せない〜忘れているはずなのに、いつだって君だけが特別だった〜  作者: はな
第三部:追想の王太子──ときどき幼馴染

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第41話 残された証



 夜の王宮書庫。

 静寂だけが支配する空間に、紙をめくる音だけが響いていた。

 公務を終えた深夜、俺は禁書の山に囲まれながら、闇魔術と存在干渉に関する文献を片端から読み漁っていた。


 視界の端が滲むほどの疲労があっても、手は止まらない。


「……違う、これでもない……っ」


 苛立ちのまま本を閉じ、次の一冊を引き寄せる。そのときだった。


「——そこまでやるとは思わなかったな」


 背後から、低い声が落ちる。

 振り返ると、そこにいたのはエドガーだった。


「帰れと言ったはずだ」

「言われたな。だがお前の顔はもう“見過ごせる範囲”を超えている。公務は完璧にこなしているようだが、その目は完全に死人のそれだぞ」


 淡々とした声の奥に、わずかな苛立ちが混じっていた。

 エドガーは机の上の闇魔術の書物を一瞥する。


「ここまで一心不乱に……一体何を調べている」

「どうでもいい。お前には関係のないことだ」

「関係ない、か」


 エドガーの声が、わずかに低くなる。


「なら、なぜ俺の胸の奥にも、お前と同じような“空白”が空いている? 何かが欠けているんだ、ずっと前から。理由も分からないまま、大切な何かを失った感覚だけが残っている」


 エドガーは机に手を置く。

 その指先は、わずかに震えていた。


「お前はあの丘で、毎日その『何か』に会っているんだろう。……お前一人でやるより効率がいい。無駄に死にかけている頭より、まだまともな頭を使った方がいいだろう」


 しばらくの沈黙のあと、俺は短く息を吐いた。


「……好きにしろ。だが、見つけても俺の女だ。お前には少しも譲らない」

「は? 何を寝惚けたことを……いや、今はどうでもいい。早くその資料の山を分けろ」


 エドガーはそう言って隣の椅子を引き、躊躇なく書物の山へ手を伸ばした。

 こうして、二人の夜が始まった。



 それから数日。

 俺たちは死に物狂いで真実へ近づいていった。

 そしてある夜。


「これだ」


 エドガーは一冊の薄い本を見つめていた。


 他の本と違って、表紙には題名すらない。

 その黒い革装丁は触れるだけで嫌な冷たさが伝わってくる。


「貸せ」


 掠れた声で言うと、エドガーは無言で本を渡した。

 頁を開き、そこに書かれていた文字を見た瞬間、呼吸が止まった。


 闇属性には、人の心へ触れる魔法が多い。

 その中でも一際目を引くものがあった。


『最愛記憶消去』


 対象者にとって“最愛の人物”に関する記憶だけを消し去る禁術。


 記憶は完全に失われる。

 しかし、もし失われた記憶を取り戻した場合、術者には重い代償があるとだけ記されていた。


「これだ……」


 おそらく、グレースが俺にかけた魔法は。

 そう確信した瞬間、背筋に冷たいものが走った。


(俺だ。……俺が、思い出したせいで)


 視界が一瞬だけ歪む。

 禁術の文字列が、やけに遠く感じた。


(グレースは……)


 そこまで考えた瞬間、呼吸が止まる。


(俺が“思い出してしまった”から——あいつは)


 消えた。

 俺が、消した。


 その事実だけが、やけに静かに胸に落ちてきた。

 助けようとしていたはずの手が、実は引きずり落としていた。


 そう気づいた瞬間、指先から力が抜ける。


 さっきまで読んでいた『魔法の対価と代償』と言う名の本の内容が頭をよぎる。


『完全消失ではない。

 存在の座標そのものが現世から切り離され、因果の届かない断絶された空間へ堕ちる。

 だが、極稀に、特定の魔力や執念が“一時的な魔法的接続”を生むことがある』と。


 再び本に視線を戻す。


「……これは」


 ページの余白に、滲むような追記があった。


『※本術は“記憶”を媒体として対象を世界から切り離す。

 記憶の強度が高いほど座標の固定力は増し、逆に強すぎる執着は干渉点となる。

 そのため術式は、対象と術者双方に“共通する記憶の残滓”を媒体として必要とすることがある。』


「……ハンカチ」


 ふと、上着の内側へと手を差し入れた。

 ポケットの奥、そこにある布の感触を確かめるように。


 白い布。

 向かい合う二つの三日月の刺繍。


 それはただの記憶の品ではない。


 グレースの存在が消えても残っていたもの。

 肌身離さず持っていて、理由も分からないまま絶対に手放したくないと思っていたもの。

 記憶を失ってなお、本能だけが守り続けていたもの。


 これは、残されただけの物じゃない。


 ——“繋ぎ止めるために残されたもの”だ。


 これはグレースのものだ。

 そしておそらく自分で刺繍したものだろう。


(俺に作ってくれていたものなのか……?)


 そしてあの丘は——


「……あの丘は、大切な場所だ。でもあいつが消えた場所でもある」


 エドガーが静かに頷いた。


「あの丘は、断絶された存在と唯一繋がれる場所になっている。お前の『光』の魔力と、向こう側にいる『闇』が互いを求めて、黄昏の時間だけ共鳴を起こしているんだ」


 胸の奥で、何かが確かに繋がった音がした。


 ——グレースは、そこにいる。


 そして、俺に会いたいと思ってくれている。


 俺は上着の内ポケットにあるハンカチを、服の上から強く握りしめた。


 その布だけが、唯一この現実に残された彼女の証。

 確かに、そこへ辿り着く道は存在している。


「……つまり、お前は“呼び戻した側”だ」

「そういうことになるな……」


 それにしても。

 そもそも、何故グレースは俺の記憶を消したのか。


 疑問は尽きない。


 俺を試そうとした?

 いや、グレースはそんな女じゃない。


 しかしわざわざ俺の記憶を消して、俺から離れようとしていた。

 今思えば可愛いが、あんないっぱいいっぱいになりながら変な悪女の演技なんかして。


 もしかして心変わり……?

 まさかエドガーのことを……?


 記憶がなくなっている間、エドガーと中庭にいたことや、森に行った時に2人でこそこそしていたことを思い出す。


 胸にどす黒い嫉妬が広がる。


 しかしつい先ほど切実に俺に会いたいと想ってくれているとわかったのだった。


 魔力が共鳴するほどに。

 それは間違いない。


 しかし一度湧き上がった嫉妬心はなかなか治らない。

 殺意を込めた目でエドガーを睨みつけてしまう。


「っ!な、なんだその目は」

「ちっ……」

「なんで舌打ち……」


 今は記憶がないこいつに聞いても、俺の欲しい答えは返ってこないだろう。


 ただグレースが俺に会いたいと想っている。

 それだけが今わかる俺にとって唯一の真実だ。






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