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悪女と呼ばれる公爵令嬢のことだけ、なぜか王太子は思い出せない〜忘れているはずなのに、いつだって君だけが特別だった〜  作者: はな
第二部:追憶の公爵令嬢──ときどき公爵令息

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第28話 思い出さないで



 ——最悪の班分けだった。


 二年生になって初めての合同演習を前に、掲示板へ貼り出された班分け表を見上げた私は、そこに並ぶ名前に思わず息を呑んだ。


 レオナルド、エドガー、ソフィア、そして私。


 よりにもよって、同じ第四班だった。


 これまで一年かけて、私はレオナルドから距離を取り続けてきた。それなのに、合同演習となれば嫌でも一緒に行動しなければならない。しかも、班の一員として協力することまで求められるのだ。


(……本当に、最悪だわ)


 これからどうしたものかと考えていると、ふいに周囲の空気が変わった。顔を上げれば、人だかりの向こうからレオナルドがこちらへ歩いてくる。


 ……どうして、わざわざ近づいてくるのよ。


 私は咄嗟に顔をしかめた。


「……最悪ね」

「それはこちらの台詞だ」


 即座に返された言葉に、胸の奥が小さく痛んだ。


 分かっている。これは私が望んだ関係だ。それでも、レオナルドとこんなふうに言い合うたび、昔のことを思い出してしまう。


 私が憎まれ口を叩けば、あの人はいつも楽しそうに笑っていた。


 けれど、今は違う。


「足、引っ張らないでちょうだい」

「そっちこそな」


 私は鼻で笑い、視線を逸らした。


 よし。今のやり取りは、なかなか悪女らしかったのではないかしら。


 そう思った直後、廊下を渡る風が私の髪を揺らした。その瞬間、レオナルドがわずかに息を詰める。


 ……何?


 問いかけそうになったものの、私は慌てて口を閉じた。気にする必要なんてない。彼が私をどう思っていようと、もう関係ないのだから。


 私はエドガーへ目を向けた。彼もまた、私とレオナルドを見比べながら、ひどく複雑そうな顔をしている。


 まったく。この班分けを決めた先生には、ぜひとも理由を聞いてみたいものだわ。


◇


 学園北部にある演習用の森へ入ってからも、第四班の空気は重いままだった。


 先頭を歩くレオナルドのすぐ隣にはソフィアがいて、少し後ろを私とエドガーが進んでいる。


「……信じられませんわ。あのような『闇』の力を持つ方と同じ班になるなんて。レオナルド様、わたくし怖くてたまりませんの」


 そう言いながら、ソフィアはレオナルドの腕にすがりついた。潤んだ瞳に、わずかに震える声。まるで庇ってほしいと訴えるような仕草だった。


(……本当に、お上手ですこと)


 私は内心で感心する。


 なるほど。こういうふうに振る舞えば、人は守ってあげたくなるのね。私なんて、冷たい顔をして睨むことと、小説で覚えた台詞を言うことくらいしかできないというのに。


 ……やはり、実践経験の差かしら。


「……レオナルド様?」

「あ、ああ……そうだな。だが、教師が決めたことだ」


 返事をしたものの、レオナルドの声はどこか上の空だった。


 私は眉をひそめる。さっきから、彼の視線が妙にこちらへ向いているのだ。


 ……そんなに嫌なら、見なければいいのに。


 私が顔を背けたところで、エドガーが口を開いた。


「……レオナルド、あまりこちらは気にするな。ソフィアが不安がっているだろう」


 低く、少し突き放すような声だった。


 レオナルドが眉を寄せる。


「分かっている。……だがエドガー、お前こそ彼女と親しげじゃないか」

「……親しいわけじゃない。ただ、放っておけないだけだ」


 エドガーは、何でもないことのように答えた。


 ……ちょっと。


 私は思わず彼を見上げる。放っておけないって、どういう意味よ。私、一人でも立派に悪女を務めているでしょう?


 抗議しようとしたそのとき、エドガーがわずかに身を寄せてきた。


「……昨年の魔獣事件のことだ」


 レオナルドには聞こえないほどの小さな声だった。


 私は口を閉じる。エドガーは前を向いたまま、さらに続けた。


「原因はまだ正式に特定されてない。だが、学園へ妙な薬品が持ち込まれていた形跡がある」

「……薬品?」

「ああ。マルクス侯爵家に繋がる可能性も出てきた。まだ確証はないがな」


 私は思わず、前を歩くソフィアへ視線を向けた。彼女は相変わらずレオナルドの腕に寄り添い、楽しそうに何かを話している。


 昨年の事件では、魔獣の魔力が異常に乱れていた。確かに、普通の暴走とはどこか違っていた。


 けれど、あれが誰かの仕業だったなんて。


「……まさか」

「決めつけるなよ。だからこそ、今日は周囲をよく見ておけ」


 エドガーはほんの少しだけ、私の方へ顔を傾けた。


「特に、ソフィアだ」


 私は無言で頷き、指先を握りしめた。


 そのとき、前方でレオナルドがこちらを振り返る気配がした。私は慌てて、いつもの無表情へ戻る。


 ……危ない。


 今は、あなたに知られるわけにはいかないのよ。


◇


 演習の目的地である『癒やしの泉』までは、あと少しだった。


 森の奥へ進むにつれて、空気は次第に重くなっていく。風もないのに木々がざわめき、私の闇の魔力は、地面の下を流れる魔力の乱れを感じ取っていた。


(……嫌な感じ)


 それは、昨年の演習で感じたものとどこか似ていた。


 そのとき、視界の端でソフィアの指先が動いた。何かを払うような小さな仕草とともに、足元へわずかな粉が落ちる。


 次の瞬間、甘ったるい匂いが鼻を掠めた。


(……これ)


 覚えている。昨年、魔獣が暴れ出す直前に感じた、あの不快な気配だ。


 胸の奥が冷たくなった。


 ソフィアは何事もなかったかのように微笑んでいる。私は彼女の足元へ視線を落とした。落とされた粉はすでに風へ紛れ、森の魔力へ溶け込んでいく。


 ——まさか。


 昨年の事件も、彼女が?


 疑問が浮かんだ直後、森の奥からソフィアの叫び声が響いた。


「きゃああっ! 魔物が……グレース様の魔力に引き寄せられて……!」


 その声に呼応するように、凶暴なハウンドが数体、森の奥から飛び出してくる。血走った目に、荒い呼吸。正常な魔獣とは思えないほど、魔力が昂ぶっていた。


 私は即座に掌へ闇を凝縮した。


 原因が何であろうと、今は止めなければならない。レオナルドに、また無茶をさせるわけにはいかないのだから。


「どいて」


 できるだけ冷たく言い放つと、黒い霧が掌の上で渦を巻いた。


 多少、出力は強くなる。それでも、私なら押さえ込める。


 そう思った瞬間、エドガーが声を上げた。


「ダメだ、グレース! 出力が強すぎる、術が……っ!」


 彼が私へ手を伸ばす。けれど、もう止めるつもりはなかった。ここで迷っている間に、レオナルドが前へ出てしまったら——。


「——下がっていろ!」


 次の瞬間、眩い光が視界を切り裂いた。


「……え?」


 私の前に、誰かが立っている。


 金色の髪。見慣れた背中。光の剣が一閃し、飛びかかってきたハウンドを斬り伏せた。


 ——レオナルド。


 どうして。


 あなたは、私を嫌っているのでしょう? 関わりたくないと思っているのでしょう?


 なのに、どうして私の前に立つの。


「なっ……レオナルド様!? なぜそちらを助けるのですか!?」


 ソフィアの声が、ひどく遠くに聞こえた。


 私は、目の前に立つ背中から視線を外せなかった。


 ずっと昔。初めて出会った頃から、この人は何度も私の前に立ってくれた。闇属性だと恐れられても、私が魔法を向けても、何度拒絶しても、手を伸ばしてきた。


 忘れてしまったはずなのに。


 どうして、また。


 やがてレオナルドが振り返る。その深海色の瞳が、まっすぐ私を映した。


「……なぜ」


 声が震えた。


 ……やめて。そんなところに立たないで。私に近づかないで。


 また、あなたの身体が壊れてしまうかもしれない。


「近寄らないでと言ったでしょう! あなたは——っ!」


 言いかけたところで、喉が詰まった。


 ——あなたは、私のせいで死にかけたのよ。


 そんなこと、言えるはずがなかった。


 レオナルドは、私が医師との会話を聞いていたことさえ知らない。私を忘れた理由も知らない。


 だから、これ以上は。


 私は強く唇を噛んだ。


「……分からない。だが」


 彼は、私から目を逸らさなかった。


「……君を傷つけさせてはいけないと、身体が勝手に動いたんだ」


 心臓が止まりそうになった。


 ——ああ。


 そんなことを、言わないで。


 あの頃と同じことをしないで。私を忘れてもなお、守ろうとしないで。


 嬉しくて、泣きたくて、怖かった。


 あなたは私のことを何も知らない。それなのに、どうしてまた私を見つけてしまうの。


 私は無意識に胸元へ手を当てた。鼓動が、やけに速い。胸の奥で何かが不規則に揺れた気がした。


 それがただの動揺なのか、禁術の影響なのか、私には分からない。


 けれど、嫌な予感だけは消えなかった。


 ——思い出さないで。


 お願いだから。


 私を思い出さないで。


 そのときだった。


「ぐっ……あ……っ!」


 レオナルドが頭を押さえ、膝をついた。


 私は息を呑む。


 ——レオ!


 名前を呼びかけて、寸前で飲み込んだ。


「レオナルド様!」

「レオナルド!」


 ソフィアとエドガーが駆け寄る。私も手を伸ばしかけたが、その手は途中で止まった。


 指先を強く握り込むと、爪が掌へ食い込み、鋭い痛みが走った。それでも、動けなかった。


 今すぐ駆け寄りたい。抱きしめて、大丈夫かと尋ねたい。以前のように、その名前を呼びたい。


 けれど、私が触れれば、また光と闇の干渉が起きるかもしれない。


 何より、もし今の頭痛が、失われた記憶に触れたためなのだとしたら。


 禁書庫で読んだ、あの一文が脳裏をよぎる。


 ——失われた記憶を対象者が取り戻した場合、術者には重い代償が生じる。


 代償が何なのかは、今も分からない。


 けれど、私に何が起きるのかよりも怖いことがあった。


 思い出したレオナルドが、再び私を追いかけてしまうこと。 また自分の命を顧みず、私を選んでしまうこと。そして、あの日の別れが、すべて無駄になってしまうこと。


 ——お願い。


 忘れたままでいて。


 私なんか、嫌いなままでいい。


 どうか、無事でいて。


 やがてレオナルドが、苦しそうに顔を上げた。一瞬だけ、視線が重なる。


 その瞳には、さっきまでの冷たさとは違う何かが浮かんでいた。私を探しているような、何かを思い出そうとしているような、そんな目だった。


 そんなふうに、見ないで。


 私は悪女の仮面を貼り直そうとした。けれど、うまく笑えなかった。あの人の名前を呼びたくて、堪らなかった。


 それでも私は、ただその場に立ち尽くしていた。


 ——思い出さないで、レオ。


 あなたが生きていてくれるなら、私のことなんて、永遠に忘れたままでいいのだから。





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