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悪女と呼ばれる公爵令嬢のことだけ、なぜか王太子は思い出せない  作者: はな
第二部:追憶の公爵令嬢──ときどき公爵令息

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第28話 黄金の指輪



 学園の創立記念祭。


 華やかに賑わう展示室の片隅で、私は冷や汗が止まらなくなっていた。


 王家に代々伝わる宝具『黄金の指輪』。


 展示ケースに収められたそれを見た瞬間、私の闇の魔力が、指輪の奥に潜むドス黒い『呪い』を察知して激しく警戒を告げた。


(嘘……あれは魔力増幅の宝具なんかじゃない。王家を呪う、最悪の呪具だわ……!)


 それを知らずに、光属性を持つレオナルドが、吸い寄せられるように指輪へ手を伸ばそうとしている。


(だめ、触らないで……!!)


 もし純粋な光の魔力を持つ彼がこの呪いに触れれば、二度と魔法が使えない身体になってしまうかもしれない。


 そんなことになれば、彼が積み上げてきたものも、その未来も、すべて理不尽に奪われてしまう。


 そんなこと、絶対に許せない。


『──汚い手で触らないでくださる?』


 私は思考よりも先に身体を割り込ませ、レオナルドの手を弾くようにして、指輪をひったくった。


『グレース・アシュフォード……』


 呆然と私の名前を呼ぶレオナルドの目の前で、私はすぐに自分の闇の魔力を指輪の内部へと流し込んだ。


 王家の呪いと私の闇がぶつかり合い、ぱちり、と黒い火花が散る。


 指輪を嵌めた指先から、凍りつくような冷気と、神経を逆撫でするような劇痛が腕を駆け上がっていく。


 身体の芯がガチガチと震えそうになるのを、私は必死に悪女の仮面で押さえつけた。


『気に入ったわ。……私の方が、この輝きに相応しいと思いませんこと?』


 痛みを隠すために、精一杯の不遜な笑みを浮かべる。


 レオナルドは酷く冷たい、私を拒絶するような瞳で言った。


『……お前が触れていいものじゃない。……軽々しく扱うな』


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が、指輪の呪いよりも何倍も鋭く抉られた気がした。


 分かっている。

 記憶を失っている彼は、私がただの強欲な悪女に見えているのだから、その言葉は正しい。


 けれど、呪いの激痛の中で向けられる大好きな人の拒絶は、あまりにも残酷で。


 私は一瞬だけ、諦めに似た乾いた笑みを浮かべてしまった。


『ええ、そうですわね』


 私はあっさりと肯定し、彼に背を向けた。


 一刻も早く、彼にこの呪いの影響が及ばない場所へ行かなければ、私の魔力が保たない。


 凍りつくように冷たくなった指先をローブの袖に隠し、私は這うようにして展示室を後にした。


 廊下の角を曲がり、レオナルドの視界から完全に消え、人気のないところまできた瞬間。


 私は耐えきれず、壁に激しく身体を打ち付けた。


「あ、……つ……っ、冷た、い……ッ!」


 指輪を嵌めた左手から、ドス黒い痣が生き物のように腕を侵食していく。

 魔力回路が内側からズタズタに引き裂かれるような激痛に、視界がチカチカと明滅した。


 けれど、私は奥歯を噛み締め、自分の闇の魔力を限界まで指輪へと流し込み続けた。

 王家の怨念を、私の闇で力尽くで捩じ伏せ、相殺していく。


「……グレース! 何て無茶を……!」


 血相を変えたエドガーが駆け寄ってくる。


 彼は私のボロボロの腕を見て、息を呑んだ。

 光属性を持たないエドガーには、王家の呪具に干渉して助ける術はない。

 ただ私の闇魔法が呪いを相殺しきるのを、祈るように見守ることしかできなかった。


 私の闇が完全に呪いを喰らい尽くし、指輪がただの『ガラクタ』へと変質した瞬間、私はガタガタと震えながらその場に崩れ落ちそうになった。


 それを、エドガーが強い力で抱きとめる。


「馬鹿かお前は……! 呪具だと気づいていたなら、なぜ俺に言わなかった! 事前に分かっていれば、他の対策だって……!」

「……はぁ、はぁ……だめ、よ……」


 私は脂汗を流しながら、真っ白になった顔で、それでも弱々しく微笑んだ。


「レオナルドが……吸い寄せられるように、手を伸ばしていたのよ……? 一刻の猶予もなかったわ。……彼の魔力回路に、もしものことがあったら……絶対に嫌だもの」

「……っ、そんなことのために、お前は……!」


 エドガーが、今にも泣き出しそうなほど歪んだ顔で、私の肩を痛いくらいに抱きしめた。


「あいつの未来が曇る……! お前の頭の中には、あいつのことしかないのか!?」


 エドガーは唇を噛み締め、震える声を押し殺した。


「……壊れていくお前を、見ているしかできない俺の気持ちはどうなるんだよ」


 その悲痛な叫びに、私は激痛の霧の中で、一瞬だけ呆然とエドガーを見つめた。


 いつも冷静な彼が、見たこともないほど感情を剥き出しにして、悔しそうに奥歯を噛み締めている。


「これを……展示室に返してきて……。私を汚らわしい泥棒だと……思っているうちに、早く。……飽きたから捨てたって、そう、エドガーから伝えて……」

「……あいつに、どれだけ誤解されてもいいのか? 本当に、それでいいのかよ」

「……『没落令嬢セシリアの憂鬱』でも、悪女は王家の宝を盗んで不敬罪になるのよ……」


 ふ、と弱く笑う。


「……完璧な悪女ムーブだわ……」


 激痛で意識が飛びそうなのに、私はまだそんな下らない小説の知識を口にして、強がってみせる。


「……本当に、馬鹿な女だ」


 エドガーは絞り出すようにそう呟くと、私の額に滲んだ汗を自分の手でそっと拭った。

 その手のひらが、酷く温かくて、震えている。


「いいからもう喋るな。お前のくだらない悪女ごっこに、最後まで付き合ってやるから」

「……くだらないとは、失礼ね……」

「……お前なぁ。こんなボロボロの状態で、よくそんな減らず口が叩けるな。もう黙れ」


 エドガーは呆れたように天を仰いだけれど、その声は酷く優しくて、どこか泣き出しそうに震えていた。


 彼は私を壊れ物を扱うように優しく横抱きに抱き上げると、人目を避けるようにして保健室へと急いだ。


(レオに……傷が、つかなくて……本当によかった……)


 遠ざかる意識の裏で、私はただ、あの深海色の瞳の無事を祈り続けていた。


 翌日、指輪は「グレースが飽きて捨てた」という形で展示室に戻された。


 それを見たレオナルドが「どこまで人を馬鹿にすれば気が済むんだ」と吐き捨てたことを、私はエドガーから聞いた。


 

 それから、一度もまともに言葉を交わせないまま、1年生は終わった。


 掲示板に貼り出された班分け。

 そこに『レオナルド・ヴァレンティア』と『グレース・アシュフォード』の名前が並んでいるのを見た瞬間——


 エドガーは小さく息を吐き、わずかに血の気を引かせて呟いた。


「……面倒なことになったな」


 その言葉の真意を、私はよく知っている。


 合同演習になれば、嫌でもレオナルドと深く関わることになる。


 これまでみたいに、遠くから嫌われているだけでは済まない。


(今度こそ、ボロを出すわけにはいかない……)


 私は悪女の仮面を強く締め直し、隣に立つ優秀な共犯者に、小さく頷いてみせたのだった。



◇◇◇


「……レオナルド、もうやめろ。彼女に関わるなと言ったはずだ」


 俺は、またしてもグレースの去り際を見つめて立ち尽くすレオナルドに、冷ややかな声をかけた。


 本当は、叫び出したかった。


『これ以上彼女に近づくな。何が起きるか分からないんだ』と。


かつて、術を施す前、グレースは俺に言った。


『——もし失われた記憶を取り戻した場合、術者には重い代償があるとだけ記されていたの』


 それが何なのかは分からない。

 だが、それを“軽いもの”だと思ったことは一度もない。


 だから俺は、親友が彼女を「悪女」だと罵るたびに、胸を痛めながらも安堵していた。


 最低だ。

 俺は、彼女が嫌われることを望んでいる。

 彼女を守るために。


 だが最近、レオナルドの様子がおかしい。


「……エドガー。俺は、彼女を悪女だとは思えないんだ」


 そう言って、レオナルドは自分の掌を見つめる。


 あの日、無理やり彼女を助けようとした時の、彼女の震え。

 その冷たさの奥にあった、どうしようもない必死さ。


 レオナルドは、その「正体」を確かめようとしている。


「彼女が何を隠しているのか、俺が暴く。……このまま放っておけるわけがないだろう」


 その瞳には、かつて彼女と向き合った時と同じ、まっすぐな光が宿り始めていた。


 それは本来なら、喜ぶべき変化だ。


 だが、その光が強まれば強まるほど——俺には分かる。

 グレースの中の“何か”が、静かに軋んでいく。


「……お前のその『正義感』が、誰かを追い詰めることもあるんだぞ」


 思わず、棘のある言葉が漏れた。

 レオナルドは驚いたように俺を見る。


 俺だって、彼女を助けたい。

 彼女の隣に立ちたい。


 レオナルドから彼女を奪ってしまいたいと、何度思ったことか。


 だが、彼女が命を懸けて守っているのは、俺じゃない。


 自分を忘れ、自分を疎む、この「親友」なんだ。


「……とにかく、余計な詮索はするな。それは彼女の望みじゃない」


 俺は踵を返し、先に医務室へ向かったグレースの後を追う。


 ボロボロになった腕に包帯を巻くのは、いつも俺の役目だ。


 だがその瞳が求めているものは、分かっている。

 包帯を巻く俺の手ではない。


(レオナルド……お前が彼女を救おうとすればするほど、彼女は“壊れていく”)


 俺は、この地獄のような状況を、ただ見ていることしかできない。


 親友への裏切りと、想っている彼女の痛み。

 その狭間で、俺は“何も知らないふりをする者”でいることしかできない。


「……あなたは、私のたった一人の共犯者ね」


 その言葉だけが、救いのようで、呪いのようだった。



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