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悪女と呼ばれる公爵令嬢のことだけ、なぜか王太子は思い出せない  作者: はな
第二部:追憶の公爵令嬢──ときどき公爵令息

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第27話 悪女の練習と、共犯



 学園が始まってからも、私とエドガーは人目を忍んで連絡を取り合い続けた。


「レオナルドの体調は万全だ。魔力の干渉が消えて、かなり健康になった」

「……そう。よかったわ」


 彼が元気に生きている。


 エドガーからそう聞くたび、私は何度も自分に言い聞かせた。


 ——これで、よかったのだと。


 たとえ、彼から向けられる瞳が、あのあたたかな深海の色ではなく——冷ややかな、私を軽蔑するだけの光に変わってしまったとしても。



 学園の裏庭で行われた、魔獣学の屋外演習。


 あの日、ソフィアが自分の利益のために仕掛けた『魔獣昂揚の香』は、学園の地脈に流れるわずかな闇と混ざり合い、最悪の異変を引き起こした。


 暴走した魔獣が檻を突き破り、ソフィアへ襲いかかる。

 光の剣を抜いて飛び出そうとしたレオナルドを、私は全力で突き飛ばした。


(ダメ、行かせない……!)


 地脈の闇を吸ったあの魔獣に、光属性のレオがまともにぶつかれば、彼の魔力が出力負けして大惨事になる。


 そんなことになれば、光の守護者として、あの方が命を削って築いてきた居場所が壊れてしまう。


『──邪魔よ。どいてなさい』


 私はレオの前に立ち塞がり、自分の闇の魔力を限界まで練り上げて、魔獣の喉元に杭を打ち込んだ。


 激しい魔力逆流の衝撃が右腕を襲い、皮膚がじりじりと焼けるような激痛が走る。


 それでも私は顔に悪女の仮面を貼り付けたまま、断末魔を上げて霧散していく魔獣を見つめていた。


『……アシュフォード公爵令嬢、やりすぎだ。なぜ、あんな魔法を使った』


 怪我のないソフィアの側に立ち、私を厳しい目で睨みつけるレオ。

 私を冷酷に拒絶する彼の瞳を見て、私は歩き出そうとした足を、一瞬だけ止めてしまった。


(……ああ。やっぱり、私のことは何も覚えていないのね)


 期待なんてしていなかった。

 術が成功したのだから当たり前だ。


 けれど、彼から向けられる剥き出しの敵意と軽蔑は、魔力逆流の火傷より、ずっと痛かった。


 私は振り返ることなく、ただ無言でその場を立ち去った。



 演習が終わった後の更衣室。


 人目が消えた影に滑り込んできたエドガーは、いつになく険しい表情で私を呼び止めた。


「……グレース、その腕を見せろ」

「何よ、急に。触らないで」


 いつものように冷たく突っぱねようとしたけれど、エドガーは問答無用で私のローブの袖を強引にめくり上げた。


 その瞬間、エドガーが小さく息を呑む。


 私の白い前腕には、見るも無惨な、火傷のような黒い痣が醜く広がっていた。


「……やっぱりな。ソフィアの撒いた香の出力を、無理やりお前の闇で相殺した時の魔力逆流だろう。あのまま魔獣が暴走し続ければ、真っ先に責任を問われるのはレオナルドだった。お前はあいつを守るために、ソフィアの不始末を自分の暴挙として上書きしたんだな」

「……そうよ。悪い?」


 私は痛む腕を引き剥がし、自嘲気味に笑った。


「……レオナルドは、ずっと一人で戦ってきたの」


 掠れた声が漏れる。


「彼が命を削って守ってきた未来に、くだらない泥をつけるなんて許せない。……だから、汚れる役は私でいいのよ」

「……でも、君はまた彼に激しく嫌われたんだぞ。あいつは今、怯えるソフィアを庇いながら、君のことだけを心底軽蔑している」


 珍しく感情を露わにして、エドガーが私の肩を掴んだ。

 私を心配して、私のために怒ってくれている友達の声。


 けれど、私の心はもう、あの冷たい深海色の瞳を向けられた瞬間に凍りついている。


「……願ってもないわ」


 私はエドガーの手をそっと退け、震える手で黒い痣の上に包帯を巻き始めた。


「嫌われれば嫌われるほど、レオナルドは私から離れてくれる。……私の不吉な闇の魔力が、あの方を蝕んで、殺さずに済む。……それにね、エドガー」


 私は包帯を結び終えると、すっと目を細めて、いつもの冷徹な『アシュフォード公爵令嬢』の瞳でエドガーを見据えた。


「あの令嬢……ソフィア、だったかしら。彼女はただの無能な哀れな被害者なんかじゃないわ」

「……どういう意味だ?」

「自分のエゴを満たすために、禁忌の香を持ち出して魔獣を暴走させた。結果が予測できなかったなんて言い訳、レオナルドの命を危険に晒した時点で万死に値するわ。……彼女は、あの方の隣にいるべき人間じゃない」


 脳裏に浮かぶのは、レオの背後に隠れて、計算通りに怯えてみせたあの女の邪悪な本性。


「泳がせておけば、いつか本当にレオナルドを破滅させる。……だから、私が排除するわ」

「グレース、お前……まさか学園内で手を下すつもりか!?」

「まさか。そんなことをしたらレオナルドが悲しむわ。表向きは『嫉妬に狂った公爵令嬢が特待生をいじめている』構図を作るの。そうすれば、合法的に彼女をレオナルドの側から排除できる」


 冷酷に、完璧な悪女の笑みを浮かべて言い放つ私に、エドガーは圧倒されたように息を呑んでいた。


 その張り詰めた沈黙の中、私はふふんと満足げに鼻を鳴らし、包帯を巻き終えた腕を誇らしげに掲げた。


「……よし、完璧。あなたに買ってもらった『没落令嬢セシリアの憂鬱』の第3巻にあった悪女の台詞、一言一句間違えずに言えたわ。どう? 今の私、ちゃんと悪女っぽかったかしら?」

「……お前なぁ」


 エドガーは盛大に脱力すると、片手で顔を覆って天を仰いだ。


「一瞬でも『なんて覚悟だ……!』と感動した俺の純粋な心を返せ。なんだその得意げな顔は。大真面目に小説の台詞の発表会をするな」

「なによ! 私はこれでも魔力逆流の激痛に耐えながら、必死に虚勢をかましたのよ!? 褒めてくれたっていいじゃない!」

「『虚勢のお手本』を直後に暴露する悪女がどこにいる。……はぁ、本当に頭が痛い……」


 エドガーは深いため息をつきながらも、私の不器用な包帯の結び目を見かねたのか、「貸せ」とぶっきらぼうに手を伸ばし、丁寧に結び直してくれた。


「いいか、いじめの構図を作るにしても、小説の真似をして机に落書きだの教科書を隠すだの、くだらないことはするなよ。あいつはそういう陰湿なのが一番嫌いだ」


 エドガーは呆れたように眉を寄せた。


「……いや、お前が本気であいつに嫌われたいだけなら、そういうベタな嫌がらせの方が効果的なのかもしれないが」

「ダメよ。そんなの解釈違いだわ」


 私は即座に却下した。


「私のバイブル、『没落令嬢セシリアの憂鬱』の悪女は、そんな小物みたいな真似はしなかったもの」


 ふん、と鼻を鳴らす。


「それに、私みたいな不吉な悪女が陰湿な嫌がらせなんてしたところで、ただ鬱陶しいだけで終わるわ。やるならもっと完璧に、あの女の本性を暴いて、学園から“排除”するところまで演じきらなきゃ」


 そこまで言ってから、私は静かに目を伏せた。


「……レオナルドを守れないもの」

「……お前なぁ」


 エドガーは頭を抱えるように息を吐いた。


「ボロボロのくせに、悪女の演技に対するこだわりだけは妙に頑固だな」


 そして真顔に戻る。


「それに相手はマルクス侯爵家のお嬢様だ。実家の後ろ盾がないお前が下手に動けば、先に潰されるぞ」

「……うっ確かに。知られたら私は幽閉されかねないわね……」

「だろう。だから、やるなら俺を通せ」


 エドガーは呆れたように眉を寄せた。


「お前が一人で動けば、ローウェル侯爵家に先に潰される。だが、俺が裏から手を回せば、余計な口出しはさせずに済む」


 そして低く続ける。


「あいつの前でだけ、『お前がソフィアを冷遇しているように見える完璧な舞台』を、共犯者である俺が作ってやる」

「……なるほど、完璧な舞台立てね。持つべきものは優秀な共犯者だわ」


 これが、レオの未来を守るための『悪女の義務』。


 たとえレオにどれほど憎まれようとも、彼に害をなすものは、優秀な(?)共犯者と小説の知識を総動員して、この私が一匹残らず駆除してみせる。


 呆れ果てた目で私を見つめるエドガーの、その瞳の奥にある、『何か』に──私はまだ、気づく由もなかった。



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