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悪女と呼ばれる公爵令嬢のことだけ、なぜか王太子は思い出せない  作者: はな
第二部:追憶の公爵令嬢──ときどき公爵令息

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第24話 最愛を辞める



 それからの私は、毎日王城へ通った。


 本当は、会わない方がいい。

 近づけば近づくほど、レオナルドの身体を蝕むのだから。


 頭では分かっている。

 分かっているのに。


 それでも、熱に浮かされたまま無理をして、隠し通路を使おうとするあの人を想像すると——放っておけなかった。


 だからせめて、これ以上彼が私の元へ来なくて済むように。


 私の方から、会いに行った。



「……また来たのか」


 呆れた声を漏らしたのは、扉の前に立っていたエドガーだった。


「悪い?」

「悪くはないが」


 そう言いながらも、エドガーは慣れた手つきで周囲を確認する。


 王太子の私室へ、未婚の令嬢を毎日通すなど、本来なら問題どころではない。


 だからこうして、彼が人払いをしてくれている。


「今日は少し熱下がってるらしい」

「……そう」


 胸の奥が、少しだけ軽くなる。

 けれどエドガーは、そんな私をじっと見た。


「お前の方が顔色悪いぞ」

「気のせいよ」

「寝てないだろ」

「……」


 否定できなかった。

 最近は、家にいる時間のほとんどを書庫で過ごしている。


 アシュフォード公爵家に残された古い魔導書。

 闇属性保持者たちの記録。

 属性干渉に関する文献。


 ページをめくっても、めくっても。

 欲しい答えだけが見つからない。


「まだ調べてるのか」

「……解決方法が見つからないの」


 低い声に、思わず視線を伏せた。

 掠れた声が漏れる


「闇属性の増幅を止める方法も、干渉を弱める方法も……どこにも書いてない。このままじゃ、レオナルドは——」


 握り締めた指先に力が入る。

 最後まで言えなかった。


 エドガーはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開く。


「……アシュフォード家の書庫だけじゃ限界があるな」


 予想していなかった言葉に、思わず顔を上げる。


「王城の禁書庫なら、もっと深い資料がある」

「でも、許可なんて——」

「陛下には俺から掛け合う」


 きっぱりと言い切られて、息を呑む。


「王宮医の報告はもう上がってる。レオナルドの状態も、陛下は把握してる」


 胸が、痛んだ。

 やっぱりもう、誤魔化せる段階じゃないのだ。


「事情を話せば、禁書庫の閲覧くらいは通るはずだ」

「……でも」

「ただし、レオナルドには内緒だ。あいつが知ったら絶対止める」


 即座に釘を刺されるが、容易に想像できてしまって、黙り込んでしまう。


 するとエドガーは、呆れたように息を吐く。


「お前たち、本当に面倒くさいな」

「……なによ、それ」

「互いのために無茶してるところがそっくりだって話だ」


 ぴくりと指先が揺れる。

 エドガーは、小さくため息を吐いた。


「似たもの同士だな、お前たちは」


 その言葉が、ひどく苦しかった。



「グレース?……また来てくれたのか」


 部屋へ入った瞬間、レオナルドが目を見開いた。

 その声がほんとうに嬉しそうで、胸が痛くなる。


「今日は俺が行くつもりだったのに」

「馬鹿なの?言ったでしょ。来るなって」

「会いたかった」

「子供みたいなこと言わないで」


 ベッドへ身体を預けたまま、それでも嬉しそうに笑う。

 その顔色は、以前より明らかに悪かった。


 呆れたように返しながらも額へ触れるが、まだ熱い。


「……お前、冷たくて気持ちいい」


 そう言って、レオナルドが私の手へ頬を寄せた。


 胸が痛む。

 こんな顔をする人を、どうして自分が壊しているのだろう。


「ちゃんと寝てる?」

「お前が来ないと寝れない」

「重い」

「今さら」


 少し掠れた声で笑う。

 その声さえ、愛おしくて苦しい。


 レオナルドは、私の指先を捕まえたまま、小さく息を吐いた。


「……最近、来てくれるな」

「来ちゃダメだった?」

「いや。嬉しい」


 心底安心したみたいな笑顔と、そのたった一言で、泣きたくなるくらい胸が締めつけられた。



 「……お前、本当に倒れるぞ」


 眠る時間を削って狂ったように頁を捲り続けた。

 許可をもらい、禁書庫で調べ物に没頭しているとエドガーが来た。


 エドガーは毎日私の様子を見ながら、手伝ってくれる。

 私は机へ突っ伏したまま、返事をしない。


「グレース」

「……起きてる」

「説得力ねぇよ」


 呆れた声が聞こえた次の瞬間、不意にエドガーの動きが止まった。


「……なんだ、これ」


 ぱらり、と古い紙の音が響く。

 顔を上げると、エドガーは一冊の薄い本を見つめていた。


 他の本と違って、表紙には題名すらない。

 その黒い革装丁は触れるだけで嫌な冷たさが伝わってくる。


「貸して」


 掠れた声で言うと、エドガーは無言で本を渡した。

 頁を開き、そこに書かれていた文字を見た瞬間、呼吸が止まった。


 闇属性には、人の心へ触れる魔法が多い。

 その中でひとつだけ、まるで呪いみたいな術を見つけた。


『最愛記憶消去』


 対象者にとって“最愛の人物”に関する記憶だけを消し去る禁術。


 それはつまり、“誰より愛している相手”が存在した証でもあった。


 記憶は完全に失われる。

 名前も。

 声も。

 触れた温度も。


 しかし、もし失われた記憶を取り戻した場合、術者には重い代償があるとだけ記されていた。


「……っ」


 指先が震えた。

 あまりにも、闇属性らしい魔法だった。


 愛情すら利用して、人の心を書き換える禁術。

 本来なら、決して触れてはいけない類の魔法だ。


 ——その分、代償は重い。


 ゆっくりと本を閉じた。


 ……これだ。

 ようやく見つけた、レオナルドを生かす方法を。


 これなら——これなら、レオナルドは生きられる。


 けれど、ただ記憶を消すだけでは足りない。

 万が一、この禁術が解けてしまったら?

 万が一、彼が再び私を見つけて、また手を伸ばしてきたら?


 ——その時は、彼が自ら私を拒絶するようにすればいい。


 記憶を失った彼の前に、最悪の『悪女』として立つのよ。

 そうすれば、あの人は二度と私に近づかない。

 身体を蝕まれることもない。


 私は、震える指先で、入学式のために用意したあのハンカチを握りしめた。

 ひと針ひと針、あなたの無事を祈って縫った、愚かで、愛おしい恋心の結晶。

 

 ——これを渡す日は、もう来ない。

 

 私はあなたの「最愛」を辞める。

 あなたの光を汚す、傲慢で、強欲で、卑劣な悪女になる。


 ……だからどうか、私を嫌って。


 あなたが私の顔を見るたび、不快さに顔をしかめ、一刻も早く遠ざかりたいと思うように。

 

 ……大丈夫。


 彼に愛された記憶がある。

 一度だけ、彼の腕の中で、世界で一番幸せな女の子になれた。

 その記憶さえあれば、私はこの先、一生続く孤独の夜だって超えていける。

 

「さようなら、……レオ」

 

 闇の中で、私は誰にも届かない別れを告げた。

 

 あなたが私を嫌いになっても。

 あなたが私の名前を呪うようになっても。

 私は、世界で一番あなたを憎むふりをしながら、世界で一番あなたを愛し続けるわ。

 

 たとえこの命が尽きるまで、あなたの影に紛れて、あなたに気づかれずに守り続けることしか許されなくても。

 

 ——それが、私の選んだ唯一の愛の形だから。



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