第24話 最愛を辞める
それからの私は、毎日王城へ通った。
本当は、会わない方がいい。
近づけば近づくほど、レオナルドの身体を蝕むのだから。
頭では分かっている。
分かっているのに。
それでも、熱に浮かされたまま無理をして、隠し通路を使おうとするあの人を想像すると——放っておけなかった。
だからせめて、これ以上彼が私の元へ来なくて済むように。
私の方から、会いに行った。
◇
「……また来たのか」
呆れた声を漏らしたのは、扉の前に立っていたエドガーだった。
「悪い?」
「悪くはないが」
そう言いながらも、エドガーは慣れた手つきで周囲を確認する。
王太子の私室へ、未婚の令嬢を毎日通すなど、本来なら問題どころではない。
だからこうして、彼が人払いをしてくれている。
「今日は少し熱下がってるらしい」
「……そう」
胸の奥が、少しだけ軽くなる。
けれどエドガーは、そんな私をじっと見た。
「お前の方が顔色悪いぞ」
「気のせいよ」
「寝てないだろ」
「……」
否定できなかった。
最近は、家にいる時間のほとんどを書庫で過ごしている。
アシュフォード公爵家に残された古い魔導書。
闇属性保持者たちの記録。
属性干渉に関する文献。
ページをめくっても、めくっても。
欲しい答えだけが見つからない。
「まだ調べてるのか」
「……解決方法が見つからないの」
低い声に、思わず視線を伏せた。
掠れた声が漏れる
「闇属性の増幅を止める方法も、干渉を弱める方法も……どこにも書いてない。このままじゃ、レオナルドは——」
握り締めた指先に力が入る。
最後まで言えなかった。
エドガーはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開く。
「……アシュフォード家の書庫だけじゃ限界があるな」
予想していなかった言葉に、思わず顔を上げる。
「王城の禁書庫なら、もっと深い資料がある」
「でも、許可なんて——」
「陛下には俺から掛け合う」
きっぱりと言い切られて、息を呑む。
「王宮医の報告はもう上がってる。レオナルドの状態も、陛下は把握してる」
胸が、痛んだ。
やっぱりもう、誤魔化せる段階じゃないのだ。
「事情を話せば、禁書庫の閲覧くらいは通るはずだ」
「……でも」
「ただし、レオナルドには内緒だ。あいつが知ったら絶対止める」
即座に釘を刺されるが、容易に想像できてしまって、黙り込んでしまう。
するとエドガーは、呆れたように息を吐く。
「お前たち、本当に面倒くさいな」
「……なによ、それ」
「互いのために無茶してるところがそっくりだって話だ」
ぴくりと指先が揺れる。
エドガーは、小さくため息を吐いた。
「似たもの同士だな、お前たちは」
その言葉が、ひどく苦しかった。
◇
「グレース?……また来てくれたのか」
部屋へ入った瞬間、レオナルドが目を見開いた。
その声がほんとうに嬉しそうで、胸が痛くなる。
「今日は俺が行くつもりだったのに」
「馬鹿なの?言ったでしょ。来るなって」
「会いたかった」
「子供みたいなこと言わないで」
ベッドへ身体を預けたまま、それでも嬉しそうに笑う。
その顔色は、以前より明らかに悪かった。
呆れたように返しながらも額へ触れるが、まだ熱い。
「……お前、冷たくて気持ちいい」
そう言って、レオナルドが私の手へ頬を寄せた。
胸が痛む。
こんな顔をする人を、どうして自分が壊しているのだろう。
「ちゃんと寝てる?」
「お前が来ないと寝れない」
「重い」
「今さら」
少し掠れた声で笑う。
その声さえ、愛おしくて苦しい。
レオナルドは、私の指先を捕まえたまま、小さく息を吐いた。
「……最近、来てくれるな」
「来ちゃダメだった?」
「いや。嬉しい」
心底安心したみたいな笑顔と、そのたった一言で、泣きたくなるくらい胸が締めつけられた。
◇
「……お前、本当に倒れるぞ」
眠る時間を削って狂ったように頁を捲り続けた。
許可をもらい、禁書庫で調べ物に没頭しているとエドガーが来た。
エドガーは毎日私の様子を見ながら、手伝ってくれる。
私は机へ突っ伏したまま、返事をしない。
「グレース」
「……起きてる」
「説得力ねぇよ」
呆れた声が聞こえた次の瞬間、不意にエドガーの動きが止まった。
「……なんだ、これ」
ぱらり、と古い紙の音が響く。
顔を上げると、エドガーは一冊の薄い本を見つめていた。
他の本と違って、表紙には題名すらない。
その黒い革装丁は触れるだけで嫌な冷たさが伝わってくる。
「貸して」
掠れた声で言うと、エドガーは無言で本を渡した。
頁を開き、そこに書かれていた文字を見た瞬間、呼吸が止まった。
闇属性には、人の心へ触れる魔法が多い。
その中でひとつだけ、まるで呪いみたいな術を見つけた。
『最愛記憶消去』
対象者にとって“最愛の人物”に関する記憶だけを消し去る禁術。
それはつまり、“誰より愛している相手”が存在した証でもあった。
記憶は完全に失われる。
名前も。
声も。
触れた温度も。
しかし、もし失われた記憶を取り戻した場合、術者には重い代償があるとだけ記されていた。
「……っ」
指先が震えた。
あまりにも、闇属性らしい魔法だった。
愛情すら利用して、人の心を書き換える禁術。
本来なら、決して触れてはいけない類の魔法だ。
——その分、代償は重い。
ゆっくりと本を閉じた。
……これだ。
ようやく見つけた、レオナルドを生かす方法を。
これなら——これなら、レオナルドは生きられる。
けれど、ただ記憶を消すだけでは足りない。
万が一、この禁術が解けてしまったら?
万が一、彼が再び私を見つけて、また手を伸ばしてきたら?
——その時は、彼が自ら私を拒絶するようにすればいい。
記憶を失った彼の前に、最悪の『悪女』として立つのよ。
そうすれば、あの人は二度と私に近づかない。
身体を蝕まれることもない。
私は、震える指先で、入学式のために用意したあのハンカチを握りしめた。
ひと針ひと針、あなたの無事を祈って縫った、愚かで、愛おしい恋心の結晶。
——これを渡す日は、もう来ない。
私はあなたの「最愛」を辞める。
あなたの光を汚す、傲慢で、強欲で、卑劣な悪女になる。
……だからどうか、私を嫌って。
あなたが私の顔を見るたび、不快さに顔をしかめ、一刻も早く遠ざかりたいと思うように。
……大丈夫。
彼に愛された記憶がある。
一度だけ、彼の腕の中で、世界で一番幸せな女の子になれた。
その記憶さえあれば、私はこの先、一生続く孤独の夜だって超えていける。
「さようなら、……レオ」
闇の中で、私は誰にも届かない別れを告げた。
あなたが私を嫌いになっても。
あなたが私の名前を呪うようになっても。
私は、世界で一番あなたを憎むふりをしながら、世界で一番あなたを愛し続けるわ。
たとえこの命が尽きるまで、あなたの影に紛れて、あなたに気づかれずに守り続けることしか許されなくても。
——それが、私の選んだ唯一の愛の形だから。




