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悪女と呼ばれる公爵令嬢のことだけ、なぜか王太子は思い出せない  作者: はな
第二部:追憶の公爵令嬢──ときどき公爵令息

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第23話 その幸せが毒だと知らずに



 秋が深まるにつれて、レオナルドの体調は少しずつ崩れ始めた。


 最初は、本当に些細なものだった。


「……っ、げほ」


 不意に咳き込む。

 それだけ。


「風邪?」

「んー、たぶん疲れ」


 本人も気にしていなかったし、私も最初はそう思っていた。


 王太子は忙しい。

 季節の変わり目でもある。


 だから、少し疲れているだけなのだと。



「……また隈できてる」

「寝てないだけ」

「寝なさいよ」

「お前に会いに来る時間減る」

「減らしなさい」

「それは無理」


 その即答に、呆れながらも私はどこか安心していた。


 いつも通りだ、と。


 けれどレオナルドは、時折ふっと顔色を失うようになっていった。


 抱きしめる腕に力が入らない日がある。

 触れた指先が、驚くほど冷たい日がある。


「……レオ?」


 名前を呼ぶと、レオナルドはいつものように嬉しそうに笑うだけで。


「大丈夫」


 その笑顔が、少し無理をしているように見えて。

 胸の奥が、妙にざわついた。



 冬に入った頃には、隠せないほどになっていた。


「お前、今日はやけに静かだな」

「……別に」


 本当は気づいていた。

 最近のレオナルドは、ここへ来るだけで疲れている。


 座った瞬間、小さく息を吐く回数が増えた。

 それでも、会いに来る。


「……来なくてもいいのに」

「なんで」

「休んだ方がいいわ」

「嫌だ。お前に会えない方が無理」


 レオナルドは、少しだけ困ったように笑った。

 そう言って、当たり前みたいに私を抱き寄せる。


 胸の奥が、苦しくなる。


 嬉しいはずなのに。

 どうしてか、不安が消えない。



 ある日。

 いつものように隠し通路から現れたレオナルドは、顔を見るなりその場で壁に手をついた。


「……っ」

「レオナルド!?」


 慌てて駆け寄るも、顔色が真っ白だった。


「……何これ、熱……!」

「大丈夫、ちょっと立ちくらんだだけ」

「全然大丈夫じゃないでしょう!」


 触れた身体は熱いのに、指先だけが異様に冷たい。

 思わず眉を寄せると、レオナルドは苦笑した。


「……そんな顔するな」

「するに決まってるでしょ……!」


 怒ったように言い返しながら、胸の奥では別の感情が膨らんでいた。


 ——怖い。


 理由も分からないまま、少しずつ何かが壊れていくみたいで。



 それでもレオナルドは来るのをやめなかった。


 咳き込む日も。

 熱を隠して笑う日も。

 顔色が悪い日も。


「……今日は来ちゃダメだったんじゃないの」

「会いたかった」


 それだけで押し切ろうとする。

 まるで、私に会えない方が耐えられないみたいに。


 そんな日々が、ひと月以上続いた。

 雪が降り始めても、レオナルドは来るのをやめなかった。


 咳を隠して笑って。

 苦しそうに息を吐いて。

 それでも、私を抱きしめる腕だけは離さない。


 まるで——ここだけが、自分の生きる場所だと言うみたいに。


 そしてある日、ついにレオナルドは来なかった。

 隠し通路は、どれだけ待っても開かない。


 胸騒ぎがした。


 落ち着かない。

 嫌な予感がする。


 ——その翌日。


 現れたのは、レオナルドではなくエドガーだった。


「……エドガー?」


 隠し通路の前に立つ彼は、珍しく表情が硬かった。


「レオナルドは——」

「倒れた」


 問いかけるより先に、エドガーが低く答える。


 ——心臓が、嫌な音を立てた。


「は……?」

「昨日の夜、高熱で意識失った」


 頭が真っ白になる。


「……うそ」

「今は医師が診てる」


 エドガーはそこで一瞬だけ言葉を切った。


「お前の名前、呼んでた」


 息が止まる。


「行くか」


 その一言に、私は反射みたいに頷いていた。



 扉の前で、足が止まった。


「このままでは、命に関わります」


 エドガーは隣で静かに息を殺した。


 体調が悪いと聞いたからお見舞いに来ただけ。

 それだけのはずだったのに。


 中から聞こえてきた声に、手をかけることができなかった。


 ——息が、止まった。


 何を言っているのか、一瞬理解できなかった。


「原因は明確です。……最近、頻繁に接触されていた闇属性の令嬢についても、陛下より報告を受けています」


 ドクン、と心臓が跳ねる。


「年齢を重ねるにつれ魔力が増えるものはいます。でも——あの令嬢の闇属性魔力は、あまりにも強大すぎる。殿下の光属性と干渉し続ければ——いずれ、身体が耐えきれなくなります」


 視界が、ぐらりと揺れた。

 一拍の沈黙のあと、レオナルドが口を開いた。


「……どのくらいだ」


 聞き慣れてるはずのレオナルドの声が、やけに遠く感じる。


「個人差はありますが……このまま接触を続ければ、数年。早ければ、それよりも前に」


 ——嘘。


 そんなはず、ない。

 だって、今までずっと一緒にいた。

 何も、なかったのに。


「……そうか」


 静かな声だった。

 あまりにも、あっさりしていて。

 それが逆に、怖かった。


「では、今後は距離を置かれることを——」

「断る」


 その即答に、思考が止まる。


「殿下——!」

「距離を置け? ふざけるな。そんなもの——死ぬのと同じだ」


 低く、怒りを押し殺した声に、医師が息を呑む気配がした。

 けれどレオナルドは、迷いなく、静かに続ける。


「……あいつの隣でだけ、俺は呼吸ができるんだ」


 王太子としてではなく。

 誰かに期待される“光”としてでもなく。

 ただ一人の人間として。


「グレースの前だけなんだよ。俺が、ちゃんと俺でいられるのは」


 胸が、締めつけられる。

 呼吸が、うまくできない。


「……彼女は、それを望まないでしょう」

「だから言わない」


 ——え。


「知らなければ、あいつは普通に笑う。……あいつ、変に勘がいいからな。気づいたら、絶対に離れようとする」


 苦笑混じりの優しい声だった。

 どうしようもなく、優しい。


「そんなの、認めるわけないだろ」


 ——やめて。


「俺の居場所は、あいつの隣だ。それは何があってもかわらない——たとえ、それで死ぬことになっても」


 その静かな断言を聞いて、視界が滲む。


「……殿下」

「この話は終わりだ」

 

 それ以上、何も言わせない声音だった。

 その瞬間、足が震え、立っていられなくなる。


 ——なんで。


 なんで、そんなこと言うの。

 なんで、そんな顔で笑うの。


 私は——あなたに、生きていてほしいだけなのに。


 気づけば、扉から離れていた。

 音を立てないように。

 息を殺して。

 その場から、逃げるように。


「……グレース」


 背後から、エドガーの低く、ひどく傷ついたような声が聞こえた気がした。

 けれど今の私には、それを振り返る余裕なんて、ひとかけらも残っていなかった。


 ……ダメだ。

 このままじゃ、ダメ。

 私が、離れればいい。


 私が、いなければ——この人は、生きられる。


 胸の奥で、何かが静かに決壊した。


 ……私は、存在しているだけで、この人を傷つけるのね



 離れの部屋には、明かりを灯さなかった。

 今の私には、この冷たくて暗い闇こそがお似合いだ。

 

 ——あの方の魔力は、あまりにも強すぎる。

 ——いずれ、身体が耐えきれなくなります。

 

 耳の奥で、医師の言葉が何度も、何度も、鋭い刃のように私の心を削っていく。

 

「……あは、は……」

 

 暗闇の中で、乾いた笑いがこぼれた。

 可笑しくてたまらない。

 

 私は、レオナルドを守りたかった。

 家族にさえ疎まれ、闇属性という忌むべき力を背負った私を、彼だけが『お前がいい』と、優しく抱きしめてくれたから。

 

 それなのに——私の存在そのものが、彼を殺す毒だったなんて。

 

『そんなもの、死ぬのと同じだ』

 

 ……どうしてそんなに優しいの。

 私を失うことが死ぬことだなんて、そんなこと、言わないで。


 あなたが明日も、その先も。

 眩しい太陽の下で生きていてくれるなら、私は何千回だって死ねるというのに。

 

 あなたが笑う未来に、私は必要ない。

 いいえ、私がいてはいけない。

 

「……決めたわ」


 けれど、ただ離れるだけでは意味がないことを、私は知っていた。


 レオナルドは、絶対に諦めない。


 どれだけ拒絶しても。

 どれだけ嫌われるような態度を取っても。


 あの人はきっと、笑って手を伸ばしてくる。


 ——だから決めた。


 このままでは、駄目だと。



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