第22話 続くと思ってた幸せ
秋の終わりが近づき、丘を渡る風には少しずつ冷たさが混じり始めていた。
それでも、レオナルドは毎日のようにここへ来る。
「……今日も来たの」
「恋人に会いに来るのは普通だろ」
当然みたいに言って、レオナルドは隠し通路から姿を現した。
そして次の瞬間、迷いなく私を抱きしめる。
「……っ、ちょ……」
「ただいま」
「毎回抱きつかないで」
「無理」
その即答に対して、私が呆れたように眉を寄せる一方で、レオナルドは満足そうに小さく息を吐く。
「やっぱ落ち着く」
「……意味分からない」
「お前にだけだから、いいだろ」
その声音があまりにも自然で。
まるで、それが当たり前みたいで。
その言葉に、胸の奥が小さく揺れた。
——恋人。
未だに、その響きには慣れない。
胸の奥がくすぐったくなる。
「暇なの?」
「暇じゃない。めちゃくちゃ忙しい」
「じゃあ仕事しなさいよ」
「だから癒やされに来た」
さらっと返され、言葉に詰まった。
以前より距離が近い。
というより、レオナルドが遠慮しなくなった。
隣に座るのも。
髪に触れるのも。
抱きしめるのも。
全部が自然すぎて困る。
「……お前さ」
ふいにレオナルドが顔を覗き込んでくる。
「また顔赤い」
「赤くない」
「赤い」
「うるさい」
軽く睨むと、レオナルドは楽しそうに笑った。
「ほんと分かりやすくなったな」
「誰のせいよ」
「俺」
「自覚あるのね」
「ある」
即答だった。
その迷いのなさがずるい。
グレースは小さく唇を尖らせながら、本へ視線を戻した。
すると、隣からじっと見つめる気配がする。
「……何」
「いや、恋人だなって」
「意味分からないわ」
「好きな子が隣にいる」
「……っ」
さらりと言われ、息が詰まった。
「毎回そういうこと言うのやめて」
「なんで?」
「……恥ずかしいから」
そう呟くと、レオナルドは一瞬だけ目を見開いた。
それから、堪えきれないみたいに笑う。
「今の反則だろ」
「何が」
「可愛い」
「黙って」
顔を隠すように本を持ち上げると、その上からくすくす笑われる。
——本当に、調子が狂う。
昔はもっと余裕があったはずなのに。
最近は、レオナルドが笑うだけで心臓がおかしくなる。
そのとき、不意に、レオナルドが少しだけ声を落とした。
「なあ。一回だけでいいからさ」
嫌な予感がする。
「……何」
「レオって呼んで」
ぴたりと動きが止まる。
「嫌」
「即答!?」
「恥ずかしい」
「恋人なのに!?」
「だからよ!」
思わず声が大きくなる。
レオナルドはわざとらしく肩を落とした。
「ショックだ……」
「大袈裟」
「俺めちゃくちゃ頑張ってるのに」
「それは知ってる」
「じゃあご褒美ほしい」
「軽いわね……」
呆れながらため息をつく。
けれどレオナルドは諦めない。
「一回だけ」
「嫌」
「お願い」
「断る」
「グレース」
「……なによ」
「レオ」
「嫌」
「レオ」
「子供なの?」
「恋人に名前呼ばれたい男心を理解してくれ」
真顔で言われて、思わず視線を逸らした。
……ずるい。
そんな顔をされると、断りづらい。
「……気が向いたら」
「え、それ未来ある?」
「知らない」
ぷいと顔を背ける。
すると次の瞬間、隣でぱっと空気が明るくなった。
「よし、希望見えた」
「単純ね……」
「好きな子関連だと単純になる」
またそういうことを言う。
私は誤魔化すように小さく咳払いをした。
けれど内心では、少しだけ嬉しかった。
そんなふうに、自分の言葉ひとつで喜んでくれることが。
しかし次の瞬間、不意に腰へ腕が回った。
「……っ!?ちょ、何して——」
「恋人っぽいこと」
当然みたいに言って、レオナルドは私を引き寄せた。
距離が近い。
近すぎる。
「離れて」
「嫌」
「即答しないで」
「最近ようやく触らせてくれるようになったのに」
「許可した覚えないわ」
「逃げなくなった」
そう言われて、言葉に詰まる。
以前なら、触れられた瞬間に振り払っていたはずだ。
けれど今は、抱き寄せられても本気で嫌だと思えない。
むしろ——少しだけ安心してしまっている自分がいる。
「お前、無意識にこっち寄ってくるよな」
「……そんなことない」
「ある」
レオナルドは楽しそうに笑いながら、そのまま私の髪へ軽く頬を寄せた。
「会うたび抱きしめても怒られなくなったし」
「慣れただけよ」
「それを世間では絆されてるって言う」
「言わない」
即答すると、レオナルドが吹き出す。
「でも、帰るとき毎回抱きしめ返してくれる」
「……っ」
図星だった。
最初は、別れ際に抱きしめられるたび心臓がうるさくて、まともに顔も見られなかった。
けれど最近は——その腕の温度が、少しだけ名残惜しいと思ってしまう。
「じゃあ、俺そろそろ戻る」
「……そう」
しばらく2人の時間を過ごし、立ち上がったレオナルドを見送ろうとして。
次の瞬間、ふわりと抱き寄せられる。
「……また?」
「恋人だから」
耳元で笑う声が近い。
以前なら振り払っていた距離なのに、今はもう——この腕の中が、ひどく落ち着いた。
「……グレース」
「なに」
「好き」
「毎回言わないで」
「いつも思ってるから」
耳元で低く笑われ、視線を逸らした。
「……ずるい」
「うん」
否定しない。
そんなところまでずるかった。
◇
その頃からだった。
私はこっそり刺繍を始めるようになった。
入学式の日に渡すためのハンカチ。
白の布地に、丁寧に紋様を縫っていく。
アシュフォード公爵家の家紋。
グレースとレオナルド、それぞれの誕生花。
そして、向かい合う二つの三日月。
——二人だけの合図。
本当は、こんなものを渡すつもりなんてなかった。
けれど。
学園へ行けば、きっとレオナルドの周囲にはたくさんの令嬢が集まる。
王太子妃候補。
未来の婚約者。
美しくて、優秀で、愛想のいい令嬢たち。
そんな中で、自分はきっと不利だ。
愛想もない。
可愛げもない。
素直に好きだと言うことさえできない。
だからせめて——あなたには、私がいる。
そう、形にしたかった。
針を進めるたび、胸の奥が熱くなる。
レオナルドはいつも真っ直ぐ好きだと言ってくれる。
けれど自分は、まだ一度もちゃんと返せていない。
好きだと。
隣にいたいと。
あなたが特別なのだと。
言葉にできない代わりに、想いを全部縫い込むみたいに、静かに針を動かした。
◇
そんなある日のことだった。
ふと会話が途切れる。
重苦しさのない、居心地のいい沈黙が落ちたあと——。
無意識みたいに、その名前が零れた。
「……レオ」
ぽつりと、本当に小さな声だった。
けれどその瞬間、レオナルドの動きが止まる。
「……今」
「聞き間違いじゃない?」
「もう一回」
「嫌」
即座に顔を逸らす。
耳が熱い。
たぶん、今すごく赤い。
なのに、隣から信じられないくらい幸せそうな声が聞こえてきた。
「……やばい、今たぶん人生で一番幸せ」
「大袈裟」
「違う。俺これだけで一年頑張れる」
「燃費どうなってるのよ……」
呆れたように返しながらも、胸の奥がじんわり熱かった。
こんなふうに笑ってくれるのが、自分の言葉なのだと思うと——どうしようもなく、嬉しかった。
——どうしてわたしは、この幸せがずっと続くと思ってしまったのだろう。




