↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪女と呼ばれる公爵令嬢のことだけ、なぜか王太子は思い出せない〜忘れているはずなのに、いつだって君だけが特別だった〜  作者: はな
第二部:追憶の公爵令嬢──ときどき公爵令息

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/53

第21話 続くと思ってた幸せ



 秋の終わりが近づき、丘を渡る風にも、少しずつ冷たさが混じり始めていた。


 それでもレオナルドは、毎日のように私のもとへやって来る。


「……今日も来たの」

「恋人に会いに来るのは普通だろ」


 隠し通路から姿を現した彼は、当然のようにそう答えると、私が何か言い返すより早く、迷いなく腕を広げた。


「……っ、ちょっと」

「ただいま」

「毎回抱きつかないで」

「無理」


 即答だった。


 呆れて眉を寄せる私をよそに、レオナルドは満足そうに息を吐く。


「やっぱ落ち着く」

「……意味が分からないわ」

「お前にだけだから、いいだろ」


 耳元で囁かれた声があまりにも自然で、私は返す言葉に詰まった。


 ——恋人。


 そうなったばかりだというのに、レオナルドはまるで、ずっと前から決まっていたことのように振る舞っている。けれど私は、いまだにその響きに慣れずにいた。


「……暇なの?」

「暇じゃない。めちゃくちゃ忙しい」

「じゃあ仕事しなさいよ」

「だから癒やされに来た」


 さらりと言われ、私はますます何も言えなくなった。


 恋人になってから、彼は明らかに遠慮がなくなった。隣に座るのも、髪に触れるのも、こうして抱きしめるのも、何もかもが自然すぎて困ってしまう。


 少し前まで、指先が触れるだけで驚いていたというのに。


「……お前さ」


 ようやく腕を緩めたレオナルドが、私の顔を覗き込んできた。


「また顔赤い」

「赤くない」

「赤い」

「うるさい」


 軽く睨むと、彼は楽しそうに笑った。


「ほんと分かりやすくなったな」

「誰のせいよ」

「俺」

「自覚あるのね」

「ある」


 迷いのない返事に、思わず唇を尖らせる。そういうところが、ずるい。


 私は彼から少し離れ、いつもの場所へ腰を下ろした。持ってきた本を開いてみたものの、隣からじっと見つめられている気配がして、文字を追うどころではない。


「……何?」

「いや、恋人だなって」

「意味分からないわ」

「好きな子が隣にいる」

「……っ」


 そんなことを平然と言わないでほしい。


 慌てて本へ視線を落とすと、レオナルドが少し身を屈め、こちらを覗き込んだ。


「なあ」

「……何よ」

「顔、隠すなよ」

「誰のせいだと思ってるの」

「俺だろ?」


 分かっているくせに。


 恨めしく見上げると、彼はますます嬉しそうに笑った。


「毎回そういうこと言うの、やめて」

「なんで?」

「……恥ずかしいから」


 小さく答えた途端、レオナルドの目が見開かれた。


 しまった、と思ったときにはもう遅い。


「……今の反則だろ」

「何が」

「可愛い」

「黙って」


 本で顔を隠すと、その上から笑い声が降ってきた。


 本当に、調子が狂う。


 以前なら、どれほどからかわれても言い返す余裕があったはずなのに、最近はレオナルドが笑うだけで胸が落ち着かなくなる。しかも彼は、そんな私の変化を一つも見逃してくれない。


「なあ。一回だけでいいからさ」


 ふいに声の調子が変わった。妙に期待のこもった響きに、嫌な予感がする。


「……何?」

「レオって呼んで」


 頁をめくろうとしていた指が止まった。


「嫌」

「即答!?」

「恥ずかしい」

「恋人なのに!?」

「だからよ!」


 思わず声が大きくなる。


 レオナルドはわざとらしく肩を落とし、いかにも傷ついたような顔をした。


「ショックだ……」

「大袈裟」

「俺、めちゃくちゃ頑張ってるのに」

「それは知ってる」

「じゃあ、ご褒美ほしい」

「軽いわね……」


 呆れてため息をついても、彼はまったく諦めなかった。


「一回だけ」

「嫌」

「お願い」

「断る」

「グレース」

「……なによ」

「レオ」

「嫌」

「レオ」

「子供なの?」

「恋人に名前呼ばれたい男心を理解してくれ」


 真顔で言われ、私は思わず視線を逸らした。そんな顔をされると、断りづらい。


 呼びたくないわけではない。むしろ、何度も口にしてみたいと思っている。ただ、本人を前にすると、どうしても恥ずかしくなってしまうのだ。


「……気が向いたら」

「え、それ未来ある?」

「知らない」


 そっぽを向くと、隣のレオナルドがぱっと顔を明るくした。


「よし、希望見えた」

「単純ね……」

「好きな子関連だと単純になる」


 また、そういうことを言う。


 私は誤魔化すように咳払いをした。けれど、自分のたった一言で、彼がこんなにも喜んでくれることが、少しだけ嬉しかった。


◇


 しばらく本を読んでいると、不意に腰へ腕が回った。


「……っ!? ちょっと、何して——」

「恋人っぽいこと」


 当然のように言いながら、レオナルドは私を引き寄せる。肩が触れ合い、彼の体温が伝わってきた。


「離れて」

「嫌」

「即答しないで」

「最近ようやく触らせてくれるようになったのに」

「許可した覚えないわ」

「逃げなくなった」


 そう言われると、返す言葉がなかった。


 確かに、以前なら触れられた瞬間に身を引いていたはずだ。けれど今は、こうして抱き寄せられても、本気で嫌だとは思わない。むしろ、その腕の中にいると、少しだけ安心してしまう。


「お前、無意識にこっち寄ってくるよな」

「……そんなことない」

「ある」


 レオナルドは楽しそうに笑い、私の髪へそっと頬を寄せた。


「会うたび抱きしめても怒られなくなったし」

「慣れただけよ」

「それを世間では絆されてるって言う」

「言わない」


 即答すると、彼が吹き出した。


「でも、帰るとき毎回抱きしめ返してくれる」

「……っ」


 図星だった。


 初めの頃は、別れ際に抱きしめられるたび心臓がうるさくて、彼の顔をまともに見られなかった。それなのに最近は、腕を離される瞬間が少しだけ名残惜しい。


 自分から抱きしめ返していることにも、気づいてはいた。ただ、知らないふりをしていただけだ。


「……グレース」

「何よ」

「好き」

「毎回言わないで」

「いつも思ってるから」


 近くで笑う声に、私は顔を伏せた。


「……ずるい」

「うん」


 否定しない。そんなところまで、ずるかった。


 やがてレオナルドが時計を確かめ、小さく息を吐いた。


「じゃあ、俺そろそろ戻る」

「……そう」


 仕事があるのだから、仕方がない。分かっているのに、返事は少しだけ小さくなった。


 彼は立ち上がりかけた私を、もう一度ふわりと抱き寄せる。


「……また?」

「恋人だから」


 耳元で笑われ、私は呆れたように息を吐いた。けれど、もう腕を振り払おうとは思わなかった。


 代わりに、彼の背中へそっと手を回す。


 レオナルドの腕に、ほんの少しだけ力がこもった。その温かさが、ひどく心地よかった。


◇


 その頃から、私はこっそり刺繍を始めるようになった。


 入学式の日に、レオナルドへ渡すためのハンカチ。白い布地を広げ、夜になると少しずつ針を進めていく。


 刺繍するのは、アシュフォード公爵家の家紋と、私とレオナルド、それぞれの誕生花。そして、向かい合う二つの三日月。


 ——私たちだけの合図。


 夕暮れの空に、二人で初めて浮かべた月。あのときのレオナルドの言葉を、今でも覚えている。


 暗くても、お前がいるって分かる。


 離れていても、同じ月を見ていると分かる。


 だから、この模様だけは、どうしても入れたかった。


 本当は、何かを贈るつもりなどなかった。けれど、学園へ入れば、レオナルドの周囲には今よりも多くの令嬢が集まるのだろう。


 王太子妃候補。未来の婚約者。美しくて、優秀で、誰からも好かれるような令嬢たち。


 そんな中で、私がどれほど不利なのかは分かっている。愛想もなければ、可愛げもない。彼の「好き」に、素直に同じ言葉を返すことさえできないのだから。


 レオナルドは、そんな私を好きだと言ってくれる。毎日のように会いに来て、私の名前を呼び、何度でも想いを伝えてくれる。


 それなのに私は、まだ一度も、ちゃんと答えられていない。


 好きだと。


 隣にいたいと。


 あなたは、私にとって誰よりも特別なのだと。


 だから、せめて形にしたかった。


 ——あなたには、私がいる。


 そう伝えられるものを、彼に持っていてほしかった。


 針を進めるたび、少しずつ模様が浮かび上がっていく。一針ごとに、言えなかった言葉を縫い込んでいくようだった。


 完成したら、入学式の日に渡そう。そのときこそ、ちゃんと伝えられるだろうか。


 そんなことを考えては、一人で顔を熱くしながら、私はまた針を動かした。


◇


 それから、ある日のことだった。


 いつもの丘で並んで過ごしていると、ふと会話が途切れた。けれど、沈黙は少しも苦しくなかった。


 花を揺らす風の音が聞こえ、隣にはレオナルドがいる。それだけで、十分だった。


 私は本を閉じ、何気なく彼の方を向いた。


「……レオ」


 呼んでから、自分が何を口にしたのかに気づいた。


 ぽつりと零れた、本当に小さな声だった。けれど、レオナルドの動きがぴたりと止まる。


「……今」

「聞き間違いじゃない?」

「もう一回」

「嫌」


 即座に顔を逸らした。耳が熱い。きっと、今ものすごく赤くなっている。


 けれど隣から聞こえてきたのは、からかう声ではなかった。


「……やばい。今、たぶん人生で一番幸せ」


 あまりにも嬉しそうな声だった。


 恐る恐る顔を向けると、レオナルドは私を見つめたまま、心から幸せそうに笑っていた。


「大袈裟」

「違う。俺、これだけで一年頑張れる」

「燃費どうなってるのよ……」


 呆れたように返しながらも、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 私が名前を呼んだ。ただ、それだけのことで、この人はこんな顔をしてくれる。


 もう一度呼んでほしそうに見つめてくるのが恥ずかしくて、私はまた本で顔を隠した。それでも、口元が緩むのは止められなかった。


 毎日、彼が来るのを待っている。


 会えれば嬉しくて、帰るときには少しだけ寂しい。彼の腕の中は温かくて、その声で名前を呼ばれるたび、私は自分がここにいてもいいのだと思える。


 そんな日々が、いつの間にか当たり前になっていた。


 明日もきっと、レオナルドは来る。


 私はまた、呆れたふりをして彼を迎えるのだろう。そして入学式の日には、あのハンカチを渡す。


 今度こそ、ちゃんと想いを伝えるために。


 ——どうして私は、この幸せがずっと続くと思ってしまったのだろう。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。