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悪女と呼ばれる公爵令嬢のことだけ、なぜか王太子は思い出せない  作者: はな
第二部:追憶の公爵令嬢──ときどき公爵令息

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第20話 二人だけの秘密だった

グレース視点に戻ります。


 翌日、エドガーは何事もなかったかのように再び姿を現した。


 隠し通路を抜けた先——アシュフォード公爵家の離れの近くへ足を踏み入れた彼を見つけた。


「……また来たの?」


 昨日あれだけ釘を刺したというのに、エドガーは悪びれる様子もなく肩を竦めた。


「様子見だ」

「それを監視って言うのよ」

「違う」


 そのやり取りを聞いていたレオナルドが、呆れたように口を開く。


「来るなと言ったはずだが」

「聞いていない」

「聞け」

「無理だ」


 短い応酬なのに、妙に息が合っている。

 言葉遣いは雑で遠慮もない。


 王太子と側近候補というより、昔からこうして言い合ってきた者同士の空気だった。


(……変な関係)


 そう思い、私は小さく息を吐く。


「あなたたち、うるさいわ」

「すまない」


 レオナルドが即座に謝り、エドガーがわずかに目を細めた。


 その日を境に、二人だけだった時間へ少しずつエドガーが混ざるようになった。


 最初は“様子見”だと言っていたくせに、気づけば当然のように現れる。

 追い返しても来るし、無視しても来る。


 そのわりに余計なことはほとんど話さず、ただ静かにこちらを観察していた。


 だからある日、私は真正面から問いを投げた。


「で、何をしに来てるの」

「観察だ」

「嘘ね」


 即座に否定すると、エドガーは小さく息を吐いた。


「君は危険人物とされている」

「そう」

「だが実際は違う」


 その言葉に、思わず探るように彼を見つめる。


 何を言われるのか。

 何を測られているのか。

 自然と相手の出方を探っていた。


「何が違うのかしら」

「合理的だ」


 一瞬、沈黙が落ちる。


 横でレオナルドが吹き出しかけ、慌てて咳払いで誤魔化した。


「……面白いこと言うのね」

「事実だ」


 真顔で返され、少しだけ呆れる。

 けれど同時に、妙な感覚が胸に残る。


 危険でも、不吉でもなく、“合理的”。

 そんなふうに言われたのは、初めてだった。


「なら質問」


 私は一歩だけ距離を詰めた。

 その瞬間、エドガーがわずかに息を止める。


「あなたの“合理”は、誰のため?」


 静かに問いかける。


 責めたわけではない。

 ただ知りたかった。

 この男が、何を基準に人を見ているのかを。


 短い沈黙のあと、エドガーは低く答えた。


「……レオナルドのためだ」


 その答えに、小さく笑いが溢れる。


「なら不合格ね」

「何?」

「前提が間違ってる」


 淡々と告げると、エドガーの眉が寄った。


「私は“危険”じゃない。私が危険になるかどうかは——」


 そこでレオナルドへ視線を向ける。


「この人次第よ」

「……俺?」

「ええ」


 レオナルドが目を瞬かせた。

 さらりと返すと、エドガーはそこでようやく何かに気づいたような顔をした。


 グレースは守られている側ではない。

 むしろ状況を見ている側なのだと。


 それからだった。


 三人で過ごす時間が、少しずつ増えていったのは。


 エドガーは相変わらず素直ではなかったし、レオナルドも露骨に嫌そうな顔を隠さないことがある。


「また来たのか」

「邪魔か?」

「少し」

「ふふっ、素直ね」


 思わず笑うと、レオナルドは不満そうに目を細めた。


「……減らせないのか」

「減らせないな」


 即答するエドガーに、私は呆れ半分で息を吐く。


「諦めなさい」

「なぜ」

「あなたはもう関わってるから」


 その言葉に、エドガーは何も返さなかった。

 ただ否定もしない。


「監視だ」と言い張るエドガーの視線は、最初は鋭いナイフのようだった。


 けれど最近、ふとした瞬間に彼が見せる瞳は、まるで迷子の子供がようやく道を見つけた時のような、不思議な静けさを帯びている。


 その変化に、私は気づかないふりをして、手元の花をなぞった。


(……もしかして、これが『友達』というものなの?)


 レオナルドとは違う。

 けれど、家族とも、あの冷たい離れの使用人たちとも違う。


 名前を呼び合い、たわいもないことで言い合う。

 知らない言葉を教え合うように、少しずつ距離が縮まっていくこの感覚。


 私はまだ、人との繋がりの名前をほとんど知らない。

 だからこれが本当に『友情』なのかは分からないけれど。


 ——悪くないわね、と。


 密かに胸の中で、納得していた。



 帰り際、ふと思った疑問を口にした。


「……ねえ。あなたたち、仲いいの?」

「違う」

「違うな」


 綺麗に声が重なり、私は思わず吹き出しそうになる。


「じゃあ何?」

「……側近候補?」

「そんなところだ」


 そう言いながらも、二人の距離感はどう見てもただの主従ではない。


 長い時間を積み重ねてきた者同士の空気が、言葉の端々に滲んでいた。


「……そろそろ戻るぞ」

「もう?」

「仕事がある」

「王太子ね」


 グレースが笑うと、レオナルドはわずかに表情を緩めた。


 誰も口にはしない。


 けれど確かに、少しずつ何かが変わり始めていた。


 三人の関係は、もう“ただの秘密”ではいられなくなっていた。



◇◇◇



 グレースとエドガーが言葉を交わす様子を見ながら、レオナルドは静かに視線を伏せた。


 エドガーがここへ来るようになる前、この場所を知っているのは自分だけだった。


 丘に咲く花を眺めながら、呆れたようにため息をつく顔も。

 皮肉を言いながら、わずかに口元を緩める瞬間も。

 誰にも見せないように気を抜いた表情も。


 それらは全部、自分だけが知っているものだったはずなのに。


 けれど最近、グレースは以前よりよく笑うようになった。


 エドガーに呆れ、時には諦めたように肩を竦め、ほんの少しだけ楽しそうに笑うこともある。


 本来なら、それは悪いことではない。


 他人を遠ざけていたグレースが、少しずつ誰かを受け入れ始めている。

 しかも相手がエドガーなら、余計な心配も必要ない。


 そう、頭では分かっている。


 それでも——グレースが自分以外へ視線を向けるたび、胸の奥がわずかにざわついた。


 エドガーと自然に言葉を交わし、隣で笑っている姿を見ると、面白くない。


 この場所も。

 ここで流れる時間も。


 本当は、自分だけが知っていたはずなのに——と、そんな考えが過ぎる。


 エドガーを信頼していないわけではない。

 能力も認めているし、側近として必要な存在だとも思っている。


 だが、それとこれとは別だった。


 自分しか知らなかったはずのグレースを、誰かが知っていく。

 自分だけに向けられていた表情を、誰かが共有していく。


 そして何より気に入らないのは——。


 エドガー自身が、その視線の意味にまだ気づいていないことだった。


 無自覚なままグレースを目で追い、無意識に気を配り、彼女の言葉ひとつに反応している。


 長年見てきたからこそ分かる。


 エドガーはまだ、自分が何を抱き始めているのか理解していない。


 それが、どうしようもなく気に入らなかった。


 けれど——。


 そんな感情を抱いていることなど、グレースはきっと気づいていない。


 そしておそらく、これから先もしばらくは。




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