第19話 エドガーは見た②
「……随分と、楽しそうだな」
軽く言ったつもりだった。
だが、わずかに棘が混じった。
「……お前には関係ないだろ」
即座に、レオナルドが言う。
「関係ないで済む話か?」
「これは——」
言葉が詰まるその様子を見て、理解する。
——ああ、本気か。
「……言い訳はいい」
視線をグレースに戻す。
彼女は、こちらをじっと見ていた。
警戒しているが——逃げない。
「……誰」
「エドガーだ。レオナルドの……側近、になる予定の人間だ」
一瞬だけ言葉を選ぶが、わずかに空気が変わる。
グレースの瞳が、細くなる。
——理解したな。
この状況の“重さ”を。
「……帰って。これ以上、踏み込まない方がいいわ」
グレースが、静かにレオナルドではなく、エドガーに向けて言った。
「……それは無理だな。もう見た」
「……だから?」
「見た以上、放置はできない」
レオナルドが、わずかに息を飲む。
「……エドガー」
「安心しろ。別に、今すぐ誰かに言うつもりはない……ただし、説明はしてもらう」
逃がさない、という意思を伝えるために視線を、まっすぐ向ける。
しばしの沈黙のあと、グレースがわずかに息を吐いた。
「……面倒なことになったわね」
レオナルドが口を開くより早く、グレースが一歩前に出た。
「……で?説明することなんてないけど?」
冷静な声だが圧を感じ、息を整える。
「報告は必要だ」
「……誰に?」
「上に。王太子の行動としてな」
グレースの目が細くなる。
沈黙が降り、風だけが通り抜ける。
そのときだった。
「え、それ俺の話してる?」
「……今の流れで分からないか?」
「いや、分かるけど……なんか急に重くなったな」
レオナルドが普通に口を挟んできて、のんきに頭をかいた。
それに対してグレースはため息をつく。
「あなたは黙ってて」
「え、俺空気?」
「そうよ」
「ひどい」
普段のレオナルドとの違いに内心困惑しつつも、表に出すことはせず、エドガーは二人を見たまま続ける。
「確認するだけだ。問題がないなら——」
「問題しかないわよ」
「……何?」
「その“問題”って、何を基準にしてるの?」
思わず眉をひそめる。
「王太子の行動だ。公的責任が——」
「その“公的”って、どこから?」
言葉が止まる。
グレースは静かに続ける。
「……私たち、二年前から会ってるの」
「……は?」
「昨日今日の話じゃないわ」
思考が一瞬止まる。
「昨日今日の話じゃない。あなたが見ているのは“結果”だけよ」
「そんな記録は——」
「まあ、残ってないでしょうね」
さらりと言ったその瞬間、空気が変わった。
レオナルドがぽつりと呟く。
「え、俺そんな昔から来てたの?」
「今気づいたの?」
「いや、感覚的には……最近」
「それが問題なのよ」
グレースの返事に対して、レオナルドは少し考えるそぶりをみせる。
「じゃあ俺結構がんばってた?」
「「そういう話じゃない」」
二人同時に返した。
自分を落ち着けるため、静かに息を吐く。
(……話にならない)
だが次の瞬間、グレースが視線を上げた。
「報告するなら、止めないわ」
「……」
「ただし……その報告が“正しいもの”になるとは限らない」
その声は冷たいほど静かだった。
レオナルドが横で小さく手を挙げる。
「俺は?」
「黙ってて」
「はい」
そして理解する。
この少女は——守られている側ではなく、むしろ。
(……守っている側か)
王太子を、自分の意思で。
「……面倒だな」
思わず本音が漏れる。
それを聞いてグレースは小さく笑った。
「そう思うなら、関わらなければいい」
「できないな。……見た以上は」
レオナルドが横で首をかしげる。
「見たらダメだったやつ?」
「あなたは黙ってて」
「はい」
再び落ちた沈黙のあと、踵を返した。
「報告は保留だ」
「……賢明ね。次に来るなら、“決めてから”来なさい」
グレースの声が、背中越しに聞こえる。
俺は足を止め、少し振り返り答えた。
「……検討する」
踵を返しかけたその瞬間、ふとレオナルドと視線がぶつかる。
さっきまでくだらないやり取りをしていた少年の顔は、もうそこにはなかった。
(……っ)
空気が変わり、音が一段階だけ遠のく。
そこには王太子としての、整えられた表情と静かな視線があった。
(……ああ)
エドガーは瞬間的に理解する。
——話は終わりではない、と。
レオナルドは何も言わない。
命令もしない。
ただ一度だけ、目を細めた。
その視線が、ほんのわずかに抜け道の出入り口へと流れる。
——執務室へ来い。
声はない。
だが、それだけは明確だった
そういう種類の意思だけが、短く突き刺さる。
思わず小さく息を吐いた。
(……了解)
ほんの一瞬だけ頷くように視線を返す。
その瞬間、レオナルドの表情がわずかに緩み、先ほどまでの軽い顔に戻る。
(……執務室か)
背後で、再び軽い調子の声が響く。
まるで先ほどの空気など、最初から存在しなかったみたいに。
「で、さっきの続きだけどさ」
「続いてない」
「え、冷た」
グレースのため息が聞こえた。
エドガーはそれを背中で聞きながら、静かに歩き出した。
◇
⸻その背中が消えたあと、レオナルドがぽつりと言った。
「今の、何だったんだ?」
グレースはため息をつく。
「厄介事が増えたのよ」
「俺のせい?」
「半分はね」
「半分で済んだ」
「褒めてない。……王太子がこんなんじゃ先が心配だわ……」
そしてレオナルドが真顔で言う。
「………でもさ」
「なに」
「エドガー、なんかずっと真面目だったな」
「……そうね」
「友達?」
「初対面よ」
「じゃあ敵?」
「まだそこまででもない」
「なんだそれ。中途半端だな」
グレースは小さく息を吐きながら、呆れたように言った。
「あなたの人間関係、全部それよ」
◇◇◇
コンコンと、ノックをする。
「入れ」
すると間もなく返事があった。
扉をくぐると、そこにはすでに机に腰掛けたレオナルドがいた。
「……で、どういうつもりだ」
低い声が、王城の王太子の執務室に落ちた。
先ほどの軽い雰囲気ではない。
王太子としてのいつもの顔に戻っていた。
「報告は?」
「例の件か」
俺が言いかけるより先に、レオナルドが言葉を遮る。
「やめておけ」
「……何故」
その一言で、空気が変わった。
レオナルドは書類から視線を上げることなく続ける。
「彼女の件だ」
そしてここでようやく理解した。
グレースが強大な闇属性の魔力の持ち主だと、レオナルドは知ったうえで一緒にいることを。
「……知っていたのか」
「最初からではない。……だが今は知っている」
ペンを置く音だけが、やけに響く。
レオナルドはようやく顔を上げた。
「グレース・アシュフォード——公爵令嬢だ」
その名前を口にした瞬間、思わず目が細くなる。
「……知っていて、あの距離か」
「だから何だ。報告するのは構わない。だが意味はない」
「……意味がない?」
眉間にしわが寄り、声がわずかに強くなる。
「公爵家の令嬢と王太子が個人的に接触している。それが問題にならないと?」
レオナルドは一度だけ息を吐き、静かに言った。
「すでに話は通してある」
「……は?」
「父上に」
その瞬間、思考が一瞬止まる。
そんな俺の様子を気にすることなく、レオナルドは続けた。
「婚約者候補として内密に扱う方向だ」
「……」
「だから、お前の報告は遅い」
静かだったが、その一言は確実に刺さる。
一歩だけレオナルドに近づく。
「本気か」
「俺が冗談を言う性格に見えるか?」
「見えない」
だからこそ厄介だ。
レオナルドは椅子から立ち上がり、冷たい声で言った。
「いいか、エドガー。彼女に関する報告をするのは構わない。だが、ひとつだけ訂正しておく」
「……なんだ」
レオナルドは視線を真っすぐに据えた。
「闇属性だから危険?」
その言葉に、呼吸がわずかに止まる。
「それとも、公爵令嬢だから利用価値があるとでも思っているのか」
「……」
「本気でそう考えているなら、お前は見誤っている」
静かに落ちる声には、怒りがこもっていた。
「彼女を“属性”で語るな」
「……」
俺は口を開きかけて、やめた。
そのとき、不意に脳裏に過ぎるあの少女の顔。
初めて見た時の、冷たく張り詰めた警戒心。
そして、レオナルドにあきれた視点を向けていた時の、妙に静かな横顔。
——ただの、少女だった。
その認識が、今になってようやく輪郭を持つ。
「……闇属性で魔力量が多い。それは危険だと——そう教えられていた」
無意識に出た言葉だった。
それを聞いて、レオナルドは小さく息を吐く。
「教えられたままか」
その一言は、責めでも嘲笑でもなかく、ただの事実の確認だった。
レオナルドは一歩、机から離れる。
「……なら聞くが。お前は彼女を見て、本当に“危険”だと思ったのか?」
「……」
言葉が出ない。
頭では分かっていた。
闇属性は危険視されるべきものだと。
公爵令嬢であれば、政治的な均衡に関わると。
だが——先ほどのやりとりを思い出す。
「……いや、違う。ただの……」
言いかけて、止まる。
何と言えばいいのか分からない。
危険でも、脅威でもない。
ただの——
「……ただの少女にしか見えなかった」
その言葉を聞いた瞬間、レオナルドの表情がほんのわずかに緩んだ。
「ならそれでいい。……だがそれ以上は、見るな」
「……」
「余計な評価も、余計な監視もいらない」
レオナルドは背を向ける。
「グレースに関しては、もう国としての方向は決まっている」
「……婚約者候補、か」
「そうだ。だから、お前の“心配”はもう役目を終えている」
その言葉は、切り捨てではなく、ただの線引きだった。
だがその一言でようやく理解する。
——この男は、すでに彼女を“守る側”にいる。
先ほどは彼女がレオナルドを守っていると思っていたが——
「……分かった」
短く返すと、レオナルドは振り返らないまま、最後に言った。
「もし彼女に何かあれば——どうなるか分かっているな」
その静かな声は、王太子のそれだった。
俺は執務室を出て王城の廊下を進み、ほんの少しだけ息を吐く。
「……面倒なことになったな」
小さく呟くと同時に、理解もしていた。
レオナルドは本気だ。
そして——その“本気”の中心にいる本人が、おそらく何も気づいていないことも。




