第18話 エドガーは見た①
エドガー視点です。
——最近、あいつはおかしい。
そう思い始めたのは、いつからだったか。
王城での授業が終わると、すぐにどこかへ消える。
護衛の目をかいくぐるように。
まるで——誰かと会っているかのように。
「……レオナルド」
「悪い、ちょっと用事」
声をかけても、それだけ言って去っていく。
それが、一度や二度じゃない。
——王太子が、こんな動きをする理由なんて限られてる。
「……はあ」
小さく息を吐く。
面倒ごとは嫌いだ。
だが放っておく気にもなれなかった。
「……一度だけだ」
自分に言い訳をして、エドガーはその日——レオナルドの後を追った。
気配を殺し、見つからないように、慎重に距離を保つ。
レオナルドは迷いなく、城の奥へ進んでいく。
人気のない廊下から、使われていない区域へ。
——こんな場所に、何がある?
やがて、レオナルドはある扉の前で立ち止まり、ためらいなく開けた。
そして中へ消えた。
「……は?」
思わず眉をひそめる。
そんな場所、見たことも聞いたこともない。
将来、王太子の側近候補として育てられている。
そのため王城には昔から出入りしていたが——こんな場所は知らなかった。
——隠し通路?
少し迷う。
王族専用なら、知るべきではない。
——だが。
「……ここまで来て、引けるか」
あまり心配はしていないが、何かに王子が巻き込まれても大変だ。
そんないいわけを思い浮かべながら、扉を開ける。
暗い通路をすすんでいくと、奥にかすかな光が見えた。
足音を消して進むと、やがて出口と思われるところについた。
その先で見た光景に、足を止めた。
「……は……?」
思わず、声が漏れそうになる。
そこにいたのは——レオナルドと、一人の少女。
いや、忘れるはずがない——グレース・アシュフォード公爵令嬢
◇
それは、まだ王城に上がる前のことだった。
教会の大聖堂は、その日やけに静かだった。
白い石柱の間を、祈りの声が遠くに反響している。
俺は父の後ろを歩きながら、儀礼的な視察に付き合っていた。
特に意味のあるものではなく、貴族の子としての“見学”に近い。
「少し待っていなさい」
父はそう言って、別室へと案内されていく。
置いて行かれた俺は壁際に立ち、暇を持て余していた。
そのとき、廊下の先の扉の隙間にふと、人影が見えた。
淡い銀色の髪に紫色の瞳の、年の近い少女だった。
(……誰だ?)
無意識に視線が引かれる。
その少女は、部屋の中で静かに立っていた。
周囲には公爵と思しき男と数名の神官が立っており、少女はただそこに立っているだけなのに、感情の揺れがない。
緊張も、恐れも、興味もなく、まるで最初から“そこに置かれていたもの”のようにだった。
(……変なやつだな)
そう思ったが同時に、妙な印象が残る。
整った顔立ちに、無駄のない佇まい。
大聖堂の空気と重なって、現実感が薄かった。
(……綺麗だ)
理由もなく、そう感じてしまった。
その直後、神官が魔法陣を展開する。
白い光が床に広がり、少女の前に浮かび上がる。
俺は何気なくそれを見ていた。
そして——一瞬だけ、空気が変わった。
音が吸い込まれるような静寂。
一瞬、背筋が粟立った。
(……っ)
目を細めたが次の瞬間には、光は元に戻っていた。
何事もなかったかのように、結果が告げられる。
——闇属性に、高い魔力量。
それだけ告げられた少女は、ざわめきが起きる前にただ一度も表情を変えず、その場を離れていった。
(今のは……)
確かに見たが、何が起きたのかまでは理解できない。
ただひとつだけ。
あの、まるで何も恐れていないような静かすぎる目が——どこか、近づいてはいけないような違和感が妙に強く残った。
「エドガー?どうした、行くぞ」
「っはい!」
父の声で意識が戻る。
短く返しながらも、無意識に廊下の先を振り返った。
もうそこには誰もいない。
なのになぜか、さっき見た少女の印象だけが、妙に離れなかった。
◇
そしてその日の帰り、馬車の中で父に何気なく尋ねる。
「あの子は誰ですか」
「ああ、アシュフォード公爵家の令嬢だ」
その名前に、ようやく点が線になる。
(公爵令嬢……)
そして、続けて教えられた。
闇属性というものは、過去に災厄を起こした魔術師と同系統であること。
だが同時に、父は肩をすくめて言った。
「まぁ属性はただの性質だ。過剰に恐れるものでもない」
その言葉に、一度だけ頷いた。
そのときは、それで終わったはずだった。
——なのに。
魔術の授業を受けるたび、闇属性という言葉は別の意味を持って繰り返された。
危険。
忌避。
制御困難。
(……あのときの)
大聖堂で見た無表情で静かな少女の姿が、そこに重なる。
ただ、きれいだったはずの存在が少しずつ、“危険”という言葉に塗り替えられていった。
◇
その少女が、今あそこにいる。
しかし問題はそこじゃない。
「……なんだ、これ」
思わず、呟く。
距離が、近い。
あまりにも、近すぎる。
「何笑ってるんだ」
「別に」
「いや、絶対別にじゃないだろ」
「うるさいわね」
肩を軽く押す仕草が見える。
——そして触れそうな距離で、笑っていた。
レオナルドが少し身を引いて、それでも楽しそうに笑う。
「お前、意外と口悪いよな」
「あなたが言う?」
「いや、俺は優しい方だろ」
「どこが」
「今こうして付き合ってやってる」
「勝手に来てるだけでしょ」
「それを優しさって言うんだよ」
「意味がわからないわ」
小さく、笑いがこぼれる。
——軽い。
軽すぎる会話はまるで、昔からそうだったみたいだ。
少し手を伸ばせば触れる。
その距離で、普通に言葉を交わしている。
「……嘘だろ」
頭が追いつかない。
あのレオナルドが、誰かにこんな顔をするなんて。
そして——グレースも。
あのとき大聖堂で見た人形のような無表情ではない。
ただ——柔らかく、笑っていた。
その瞬間、胸の奥がざわつく。
知らない顔。
知らない関係。
自分の知らない時間が、二人の間に確かに存在していた。
「……はは」
小さく、乾いた笑いが漏れる。
なるほどな。
だから、あんな動きしてたのか。
「……バカだな、あいつ」
危険すぎる。
あの女が、どんな存在か——知らないはずがない。
それでも、あの距離にいる。
あの顔で、笑ってる。
——離れる気がない。
「……本気か」
胸の奥が、わずかに痛んだ。
理由は、分からない。
ただ、目を離せなかった。
そのとき。
「……誰かいる?」
グレースの視線が、こちらを射抜いた。
——まずい。
息を殺すも、もう手遅れだったようで。
「……そこ。隠れてるつもり?……出てきなさい」
さっきまでの柔らかな笑みが、陽炎のように消える。
こちらを射抜く紫の瞳には、一切の温度がなかった。
「邪魔者は消す」——そう告げているような冷徹な眼差し。
それこそが、エドガーが知る「闇属性の令嬢」の姿だった。
逃げるか、一瞬迷う。
だが——無駄だと判断し、ゆっくりと姿を現す。
「……悪いな」
「……エドガー?」
空気が、張り詰めた。
レオナルドの顔が、明らかに固まる。
「お前……なんでここに……」
「それはこっちの台詞だ」
淡々と返し、視線をグレースへ向ける。
「……アシュフォード公爵令嬢」
その呼び名に、グレースの眉がわずかに動く。
ぴりっとした空気が流れる。
「……え、グレース、公爵令嬢だったの?」
しかしレオナルドがその空気をぶち壊すように、驚きを口にした。
「……言ってなかった?」
「聞いてないぞ」
「まぁ、あえて言う必要ないものね」
グレースは淡々と返す。
「いや、普通は最初に言うだろ」
「あなたも最初に王太子って名乗ってなかったじゃない」
「……あ、たしかに」
レオナルドが妙に納得したように頷いた。
(……なんなんだ、こいつら)
張り詰めていた空気が、完全に崩れる。
公爵令嬢と王太子。
本来なら、もっと面倒で、もっと息苦しい関係になるはずなのに。
——この二人は、まるで最初から“ただのレオナルド”と“ただのグレース”として向き合っているかのようだった。




