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悪女と呼ばれる公爵令嬢のことだけ、なぜか王太子は思い出せない〜忘れているはずなのに、いつだって君だけが特別だった〜  作者: はな
第二部:追憶の公爵令嬢──ときどき公爵令息

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第18話 エドガーは見た①

エドガー視点です。



 ——最近、あいつはおかしい。


 そう思い始めたのは、いつからだったか。


 王城での授業が終わると、すぐにどこかへ消える。

 護衛の目をかいくぐるように。


 まるで——誰かと会っているかのように。


「……レオナルド」

「悪い、ちょっと用事」


 声をかけても、それだけ言って去っていく。

 それが、一度や二度じゃない。


 ——王太子が、こんな動きをする理由なんて限られてる。


「……はあ」


 小さく息を吐く。

 面倒ごとは嫌いだ。


 だが放っておく気にもなれなかった。


「……一度だけだ」


 自分に言い訳をして、エドガーはその日——レオナルドの後を追った。


 気配を殺し、見つからないように、慎重に距離を保つ。

 

 レオナルドは迷いなく、城の奥へ進んでいく。

 人気のない廊下から、使われていない区域へ。


 ——こんな場所に、何がある?

 

 やがて、レオナルドはある扉の前で立ち止まり、ためらいなく開けた。

 そして中へ消えた。


「……は?」

 

 思わず眉をひそめる。

 そんな場所、見たことも聞いたこともない。


 将来、王太子の側近候補として育てられている。

 そのため王城には昔から出入りしていたが——こんな場所は知らなかった。


 ——隠し通路?


 少し迷う。

 王族専用なら、知るべきではない。


 ——だが。


「……ここまで来て、引けるか」


 あまり心配はしていないが、何かに王子が巻き込まれても大変だ。

 

 そんないいわけを思い浮かべながら、扉を開ける。

 暗い通路をすすんでいくと、奥にかすかな光が見えた。


 足音を消して進むと、やがて出口と思われるところについた。

 その先で見た光景に、足を止めた。


「……は……?」


 思わず、声が漏れそうになる。

 

 そこにいたのは——レオナルドと、一人の少女。

 

 いや、忘れるはずがない——グレース・アシュフォード公爵令嬢



 それは、まだ王城に上がる前のことだった。


 教会の大聖堂は、その日やけに静かだった。

 白い石柱の間を、祈りの声が遠くに反響している。


 俺は父の後ろを歩きながら、儀礼的な視察に付き合っていた。

 特に意味のあるものではなく、貴族の子としての“見学”に近い。


「少し待っていなさい」


 父はそう言って、別室へと案内されていく。

 置いて行かれた俺は壁際に立ち、暇を持て余していた。


 そのとき、廊下の先の扉の隙間にふと、人影が見えた。


 淡い銀色の髪に紫色の瞳の、年の近い少女だった。


(……誰だ?)


 無意識に視線が引かれる。


 その少女は、部屋の中で静かに立っていた。

 周囲には公爵と思しき男と数名の神官が立っており、少女はただそこに立っているだけなのに、感情の揺れがない。


 緊張も、恐れも、興味もなく、まるで最初から“そこに置かれていたもの”のようにだった。


(……変なやつだな)


 そう思ったが同時に、妙な印象が残る。

 整った顔立ちに、無駄のない佇まい。

 大聖堂の空気と重なって、現実感が薄かった。


(……綺麗だ)


 理由もなく、そう感じてしまった。


 その直後、神官が魔法陣を展開する。

 白い光が床に広がり、少女の前に浮かび上がる。


 俺は何気なくそれを見ていた。


 そして——一瞬だけ、空気が変わった。


 音が吸い込まれるような静寂。

 一瞬、背筋が粟立った。


(……っ)


 目を細めたが次の瞬間には、光は元に戻っていた。

 何事もなかったかのように、結果が告げられる。


 ——闇属性に、高い魔力量。


 それだけ告げられた少女は、ざわめきが起きる前にただ一度も表情を変えず、その場を離れていった。


(今のは……)


 確かに見たが、何が起きたのかまでは理解できない。


 ただひとつだけ。


 あの、まるで何も恐れていないような静かすぎる目が——どこか、近づいてはいけないような違和感が妙に強く残った。


「エドガー?どうした、行くぞ」

「っはい!」


 父の声で意識が戻る。

 短く返しながらも、無意識に廊下の先を振り返った。


 もうそこには誰もいない。

 なのになぜか、さっき見た少女の印象だけが、妙に離れなかった。



 そしてその日の帰り、馬車の中で父に何気なく尋ねる。


「あの子は誰ですか」

「ああ、アシュフォード公爵家の令嬢だ」


 その名前に、ようやく点が線になる。


(公爵令嬢……)


 そして、続けて教えられた。

 闇属性というものは、過去に災厄を起こした魔術師と同系統であること。


 だが同時に、父は肩をすくめて言った。


「まぁ属性はただの性質だ。過剰に恐れるものでもない」


 その言葉に、一度だけ頷いた。

 そのときは、それで終わったはずだった。


 ——なのに。


 魔術の授業を受けるたび、闇属性という言葉は別の意味を持って繰り返された。


 危険。

 忌避。

 制御困難。


(……あのときの)


 大聖堂で見た無表情で静かな少女の姿が、そこに重なる。

 ただ、きれいだったはずの存在が少しずつ、“危険”という言葉に塗り替えられていった。



 その少女が、今あそこにいる。

 しかし問題はそこじゃない。


「……なんだ、これ」


 思わず、呟く。


 距離が、近い。

 あまりにも、近すぎる。


「何笑ってるんだ」

「別に」

「いや、絶対別にじゃないだろ」

「うるさいわね」


 肩を軽く押す仕草が見える。


 ——そして触れそうな距離で、笑っていた。


 レオナルドが少し身を引いて、それでも楽しそうに笑う。


「お前、意外と口悪いよな」

「あなたが言う?」

「いや、俺は優しい方だろ」

「どこが」

「今こうして付き合ってやってる」

「勝手に来てるだけでしょ」

「それを優しさって言うんだよ」

「意味がわからないわ」


 小さく、笑いがこぼれる。


 ——軽い。


 軽すぎる会話はまるで、昔からそうだったみたいだ。


 少し手を伸ばせば触れる。

 その距離で、普通に言葉を交わしている。


「……嘘だろ」


 頭が追いつかない。

 あのレオナルドが、誰かにこんな顔をするなんて。


 そして——グレースも。


 あのとき大聖堂で見た人形のような無表情ではない。


 ただ——柔らかく、笑っていた。


 その瞬間、胸の奥がざわつく。


 知らない顔。

 知らない関係。


 自分の知らない時間が、二人の間に確かに存在していた。


「……はは」


 小さく、乾いた笑いが漏れる。


 なるほどな。

 だから、あんな動きしてたのか。


「……バカだな、あいつ」


 危険すぎる。

 あの女が、どんな存在か——知らないはずがない。


 それでも、あの距離にいる。

 あの顔で、笑ってる。


 ——離れる気がない。


「……本気か」


 胸の奥が、わずかに痛んだ。

 理由は、分からない。


 ただ、目を離せなかった。


 そのとき。


「……誰かいる?」


 グレースの視線が、こちらを射抜いた。


 ——まずい。


 息を殺すも、もう手遅れだったようで。


「……そこ。隠れてるつもり?……出てきなさい」


 さっきまでの柔らかな笑みが、陽炎のように消える。

 こちらを射抜く紫の瞳には、一切の温度がなかった。

「邪魔者は消す」——そう告げているような冷徹な眼差し。

 それこそが、エドガーが知る「闇属性の令嬢」の姿だった。


 逃げるか、一瞬迷う。

 だが——無駄だと判断し、ゆっくりと姿を現す。


「……悪いな」

「……エドガー?」


 空気が、張り詰めた。

 レオナルドの顔が、明らかに固まる。


「お前……なんでここに……」

「それはこっちの台詞だ」


 淡々と返し、視線をグレースへ向ける。


「……アシュフォード公爵令嬢」


 その呼び名に、グレースの眉がわずかに動く。

 ぴりっとした空気が流れる。


「……え、グレース、公爵令嬢だったの?」


 しかしレオナルドがその空気をぶち壊すように、驚きを口にした。


「……言ってなかった?」

「聞いてないぞ」

「まぁ、あえて言う必要ないものね」


 グレースは淡々と返す。


「いや、普通は最初に言うだろ」

「あなたも最初に王太子って名乗ってなかったじゃない」

「……あ、たしかに」


 レオナルドが妙に納得したように頷いた。


(……なんなんだ、こいつら)


 張り詰めていた空気が、完全に崩れる。


 公爵令嬢と王太子。

 本来なら、もっと面倒で、もっと息苦しい関係になるはずなのに。


 ——この二人は、まるで最初から“ただのレオナルド”と“ただのグレース”として向き合っているかのようだった。




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