第17話 エドガーは見た①
エドガー視点です。
——最近、あいつはおかしい。
王城での授業が終わると、レオナルドは決まってどこかへ姿を消す。
声をかけても、「悪い、ちょっと用事」と返して足早に去っていくばかり。護衛の目までかいくぐっているのだから、単なる気晴らしではないだろう。
王太子が、誰にも行き先を告げずに何度も城を抜け出す。
面倒ごとの匂いしかしなかった。
「……はあ」
俺は小さくため息をついた。
昔から付き合いのある相手とはいえ、あいつの行動すべてに付き合う義理はない。そもそも、放っておいたところで、そう簡単に何かへ巻き込まれるような男でもない。
だが、今回は少し気になった。
いつもは人前で崩さない表情が、出かける前だけ妙に緩むのだ。
まるで、誰かに会うのを楽しみにしているような。
「……一度だけだ」
そう自分に言い訳をして、俺はその日、レオナルドの後を追った。
一定の距離を保ち、気づかれないように廊下を進む。レオナルドは一度も迷うことなく城の奥へ向かい、やがて、普段は使われていない区域へ足を踏み入れた。
王太子の側近候補として育てられている俺は、幼い頃から王城に出入りしている。それなりに内部の構造も知っているつもりだった。
だが、あいつが立ち止まった扉には見覚えがなかった。
「……こんなところに?」
レオナルドは辺りを一瞥すると、ためらいなく扉を開け、中へ消えた。
しばらく待っても、戻ってくる気配はない。
隠し通路だろうか。
王族だけが使う場所なら、知らない方がいいのかもしれない。そう思いつつも、ここまで来て引き返す気にはなれなかった。
「……あいつに何かあったら、こっちが困るからな」
誰に向けるでもなく呟き、扉を開ける。
その先には、薄暗い通路が続いていた。
足音を殺して進むうちに、やがて奥の方から光が見えてくる。出口らしき場所へ辿り着いた俺は、外の様子を窺い——そのまま足を止めた。
「……は?」
そこにいたのは、レオナルドと、一人の少女だった。
淡い銀色の髪に、紫色の瞳。
忘れるはずがない。
――グレース・アシュフォード公爵令嬢。
かつて大聖堂で見かけた、あの少女だった。
◇
初めて彼女を見たのは、まだ俺が王城に上がる前のことだ。
その日、俺は父に付き添い、教会の大聖堂を訪れていた。
父が別室へ案内され、しばらく一人で待つことになった俺は、白い石柱の並ぶ廊下で退屈を持て余していた。
そのとき、少し先の扉が開き、中にいる少女の姿が見えた。
年は俺とそう変わらないだろう。
淡い銀髪と紫の瞳が印象的な、整った顔立ちの少女だった。
部屋には公爵らしき男と数名の神官がおり、何かの儀式を始めようとしているらしい。
少女は、その中心に立っていた。
緊張している様子もなければ、興味を示すこともない。何を言われても、静かに従っている。
まるで、そこにいるのが自分ではないかのようだった。
(……変なやつだな)
そう思ったのに、なぜか目を離せなかった。
綺麗な少女だと思った。
けれど、それ以上に印象に残ったのは、感情の読めない瞳だった。
やがて神官が魔法陣を展開し、床へ白い光が広がる。
魔力鑑定だと気づいた俺は、何気なくその様子を眺めていた。
その瞬間だった。
ふっと、周囲の音が遠のいた。
「……っ」
背筋を何かが撫でたような感覚に、思わず身を強張らせる。
広がっていた光が、一瞬だけ揺らいだように見えた。
だが、次に瞬きをしたときには、何事もなかったかのように魔法陣が輝いていた。
神官が結果を告げる。
——闇属性。そして、非常に高い魔力量。
室内にかすかなざわめきが広がった。
それでも少女は表情を変えず、促されるまま部屋を出ていった。
俺はその背中を、しばらく見つめていた。
今の妙な感覚は何だったのか。
考えてみても答えは出ない。
「エドガー、行くぞ」
父に呼ばれ、ようやく我に返った。
振り返った先に、もう少女の姿はなかった。
◇
帰りの馬車で、俺は父に尋ねた。
「あの子は誰ですか」
「ああ、アシュフォード公爵家の令嬢だ」
それで、ようやく名前と顔が繋がった。
父は、闇属性が過去に災厄を起こした魔術師と同じ系統であることを教えてくれた。
だが、続けてこうも言った。
「まあ、属性はただの性質だ。過剰に恐れるものでもない」
俺は頷いた。
そのときは、それで終わったはずだった。
けれど、その後の魔術の授業で闇属性について学ぶたび、耳にする言葉は少しずつ違うものになっていった。
危険。
忌避。
制御困難。
大聖堂で見た、あの静かな少女の姿が浮かぶ。
最初に抱いた「綺麗だ」という印象へ、教えられた言葉が幾重にも重なっていく。
あのとき感じた異様な静けさまで、何か危険なものの兆しだったのではないかと思うようになった。
それ以来、彼女と顔を合わせる機会はなかった。
だからこそ、忘れずにいたのだと思う。
あの少女の、何も映していないような紫の瞳を。
◇
——そのグレースが、今、レオナルドの隣にいる。
問題は、それだけではなかった。
距離が近い。
あまりにも、近すぎる。
「何笑ってるんだ」
「別に」
「いや、絶対別にじゃないだろ」
「うるさいわね」
少女がレオナルドの肩を軽く押す。
レオナルドは少し身を引いたが、楽しそうに笑ったままだった。
「お前、意外と口悪いよな」
「あなたが言う?」
「いや、俺は優しい方だろ」
「どこが」
「今こうして付き合ってやってる」
「勝手に来てるだけでしょ」
「それを優しさって言うんだよ」
「意味が分からないわ」
グレースの口元が、わずかに緩む。
俺は思わず目を見開いた。
あのレオナルドが、こんな顔をするのか。
王城では、授業を抜け出すときでさえ、行き先を問い詰めれば不機嫌そうにする男だ。そのあいつが、少女に散々言い返されながら、少しも嫌そうにしていない。
むしろ、自分からからかっている。
そして、グレースも。
大聖堂で見た、人形のように静かな少女とはまるで違った。
呆れたように眉を寄せ、遠慮なく言い返し、ときどき小さく笑う。
それが、あまりにも自然だった。
昨日今日で築けるような距離ではない。
俺の知らない時間が、確かに二人の間にあった。
「……嘘だろ」
乾いた笑いが漏れる。
なるほど。だから最近、あんなに急いで城を出ていたのか。
しかし、相手がグレース・アシュフォードとは。
あいつは、彼女の魔力について知っているのだろうか。
知った上で、あの距離にいるのか。
それとも、何も知らないからこそ——。
考えかけて、俺は口を閉じた。
目の前で笑う少女と、教えられてきた「危険な闇属性の持ち主」という言葉が、どうしてもうまく重ならない。
大聖堂で見た、あの無表情な少女が。
今はレオナルドの隣で、こんなふうに笑っている。
その事実が、妙に胸へ引っかかった。
「……誰かいる?」
ふいに、グレースがこちらを向いた。
先ほどまでの柔らかな表情が消え、紫の瞳がまっすぐ通路の出口を捉える。
しまった、と思ったときには遅かった。
「……そこ。隠れてるつもり? 出てきなさい」
鋭い声だった。
気配を消していたつもりだったが、これ以上隠れていても無駄だろう。
俺は小さく息を吐き、通路から姿を現した。
「……悪いな」
「……エドガー?」
レオナルドの顔が強張った。
「お前……なんでここに……」
「それはこっちの台詞だ」
答えながら、グレースへ視線を移す。
彼女は俺をじっと見つめていた。逃げる様子はないが、先ほどまでの親しげな空気はもうどこにもない。
俺は覚えている名を口にした。
「……アシュフォード公爵令嬢」
グレースの眉が、かすかに動いた。
空気が張り詰める。
だが、その緊張をあっさり壊したのは、ほかでもないレオナルドだった。
「……え、グレース、公爵令嬢だったの?」
「……言ってなかった?」
「聞いてないぞ」
「まあ、あえて言う必要ないものね」
グレースは平然と答えた。
俺は二人を見比べる。
……待て。
お前、相手の家名も知らずに、ここまで親しくなったのか。
「いや、普通は最初に言うだろ」
「あなたも最初に王太子って名乗ってなかったじゃない」
「……あ、確かに」
レオナルドは妙に納得したように頷いた。
(……なんなんだ、こいつら)
王太子と、公爵令嬢。
互いの立場を考えれば、出会い方からして面倒なことになりかねない組み合わせだ。
なのに、二人はそんなものを気にも留めていない。
初めから、ただのレオナルドと、ただのグレースとして向き合ってきたかのようだった。
大聖堂で見た少女と、目の前にいる少女。
どちらが本当の彼女なのか。
少なくとも、俺が知っていると思っていたグレース・アシュフォードは、目の前のレオナルドほど、彼女のことを知らなかった。




