第16話 普通じゃない人
最初は、本当に気まぐれだと思っていた。
公爵家の敷地外れにある、誰も使わない抜け道。
そこへ、金髪の少年——レオナルドが姿を見せるようになってから、数日が経っていた。
最初の頃は三日に一度くらいだった。
ふらりと現れて。
勝手に喋って。
勝手に笑って。
そして、満足したみたいに帰っていく。
それだけ。
だから私は、どうせすぐ飽きると思っていた。
こんな場所に。
こんな私に。
いつまでも構うはずがないと。
「……また来たの?」
ある日の夕方、呆れ半分でそう言うと、レオナルドは当然みたいに頷いた。
「来るって言っただろ」
「本当に暇なのね」
「お前、毎回それ言うな」
むっとした顔をされて、少しだけ可笑しくなる。
そんなふうに思ってしまった自分に気づき、慌てて表情を戻した。
けれどレオナルドは、そんなこと気にもしていないみたいに草の上へ座り込む。
「今日は何してたんだ?」
「別に」
「また本読んでたのか?」
「……読んでたけど」
適当に返すと、レオナルドはふーん、と興味深そうに頷いた。
「お前、難しい本好きだよな」
「好きというか、他にやることがないだけよ」
「遊べばいいだろ」
「誰と?」
その瞬間、レオナルドが言葉に詰まった。
少しだけ気まずそうな顔をして、それからぽつりと呟く。
「……俺とか」
その言葉に、胸の奥が妙にざわついた。
「は?」
「いや、お前いつも一人だし」
あまりにも自然に言われて、思わず固まる。
その言葉に、特別な意味なんてないのだろう。
けれど胸の奥が、妙にざわついた。
「……変なの。……そういえば」
ふいに、気になっていたことを口にする。
「あなた、王子なの?」
レオナルドがぱちりと瞬きをした。
「は?」
「前に言ってた名前。第一王子と同じでしょう」
「あー……」
レオナルドは面倒そうに頭をかいた。
「まあ、そうだけど」
「……本当に?」
思わず聞き返す。
冗談だと思っていたわけではない。
けれど、実感がなかった。
こんなふうに草の上へ寝転がって。
勝手に抜け道から入ってきて。
子供みたいに笑う人が、“王子”だなんて。
「疑ってたのかよ」
「だって、王子っぽくないもの」
「それ褒めてる?」
「全然」
即答すると、レオナルドが吹き出した。
「王子って、もっと偉そうなものだと思ってた」
「俺、偉そうだろ」
「ええ。すごく」
即答すると、レオナルドがまた笑った。
その笑い声が、やけに耳へ残る。
「……偽物かもしれないし」
「傷つくな、それ」
レオナルドは呆れたように笑ったあと、少しだけ肩を竦めた。
「まあ、一応本物」
「……一応って何よ」
「俺もよく分かんねえし」
「分からないことあるの?」
「あるだろ。色々」
気づけば、レオナルドが来る頻度は少しずつ増えていた。
三日に一度だったはずなのに。
いつの間にか二日に一度になって。
そして——
「……また?」
「また、とは失礼だな」
気づけば、ほとんど毎日ここへ来るようになっていた。
最初は警戒していたはずなのに、今では夕方になると無意識に抜け道の方を見ている自分がいる。
風が揺れる音に反応して。
足音が聞こえれば顔を上げて。
そしてそれがレオナルドじゃないと、なぜか少しだけ落ち着かなくなる。
そんな自分を認めたくなくて、私は今日も本を読むふりをしていた。
「また難しい顔してる」
「放っておいて」
「目悪くなるぞ」
「ならないわよ」
隣から覗き込まれ、本で顔を隠す。
するとレオナルドが笑った。
「お前、最近ちょっと丸くなったよな」
「……何よそれ」
「最初はすぐ撃ってきた」
「あなたが不審者だったからでしょう」
「今は?」
「……少しだけ、マシになったんじゃない」
そう言うと、レオナルドはどこか嬉しそうに笑う。
その顔を見るたび、胸の奥が落ち着かなくなる。
知らない感情だった。
最初は数日に一度だったはずなのに。
気づけば、今日来るだろうかと考えることが当たり前になっていた。
離れで過ごす時間は、昔から静かなものだった。
午前中は家庭教師が来る。
勉強だけは必要だからと与えられた時間。
それ以外は、ほとんど一人だった。
使用人たちも必要以上には近づかない。
——闇属性。
その力を持って生まれた時点で、私は“気味の悪いもの”として扱われていた。
昔、大勢を殺した魔術師が闇属性だったらしい。
ただ、それだけ。
それだけの理由で、人は簡単に怯える。
だから離れに置かれたことも、不思議ではなかった。
慣れている。
一人でいることには。
……そのはずだった。
「おい?」
不意に名前を呼ばれ、はっと顔を上げる。
いつの間にか、レオナルドが目の前で不思議そうにこちらを見ていた。
「……何」
「いや、ぼーっとしてたから」
そう言って何も知らない顔で笑う。
闇属性だと分かっていても、何一つ態度を変えないまま。
そのことに、胸の奥がまた少しだけ騒いだ。
◇
その日、レオナルドは離れのすぐ近くまで来ていた。
「……なんでこっちにいるの」
思わず眉を寄せると、レオナルドは悪びれもなく肩を竦める。
「探した」
「は?」
「いつものところにいなかったから」
当然みたいに言われ、言葉に詰まった。
どうしてこの男は、こんなにも躊躇いなく踏み込んでくるのだろう。
「……今日は書庫にいたのよ」
「書庫?」
「ええ」
短く返しながら歩き出すと、レオナルドは当たり前みたいについてくる。
「お前、本好きなんだな」
「他にやることがないもの」
そう返した瞬間、レオナルドが少しだけ黙った。
「お前、学園は?」
「……まだ」
「そっか」
「……行かなくても、困らないもの」
何気ない問いだった。
けれど、その一言だけで胸の奥が、少しだけ嫌なふうに強張る。
普通なら、ここで空気が変わる。
理由を聞かれて闇属性だと分かった瞬間、距離を置かれる。
そういう反応には、慣れていた。
——それでも、胸の奥が僅かに強張る。
「家庭教師が来てるから?」
返ってきたのは、予想とまるで違う言葉だった。
思わず足が止まる。
「……そうよ」
「ふーん」
それだけだった。
怖がりもしない。
腫れ物みたいにも扱わない。
まるで本当に、ただの会話みたいに。
「……聞かないの?」
「何を」
「……その、闇属性とか」
少しだけ言いづらくて、声が小さくなる。
レオナルドはきょとんとした顔でこちらを見た。
「なんで?」
「……普通、嫌がるでしょう」
言いながら、自分でも嫌になる。
こんなことを聞きたいわけじゃない。
でも確認せずにはいられなかった。
この人も、結局は同じなのかと。
レオナルドは少し考えるみたいに視線を逸らしたあと、あっさり言った。
「別に?」
「……は?」
「お前が嫌なやつなら嫌だけど」
あまりにも自然な言い方だった。
まるで“闇属性”なんて、本当にどうでもいいみたいに。
「……変なの」
思わずそう零すと、レオナルドは不満そうに眉を寄せた。
「なんでだよ」
「普通はもっと怖がるもの」
「怖がられるようなことしたのか?」
「……したかもしれないわ」
小さく笑うと、レオナルドもつられたみたいに笑った。
「じゃあ俺は平気」
あまりにも簡単に言うから、息が詰まりそうになった。
そんなふうに言われたことなんて、一度もなかった。
その言葉が、どうしようもなく胸に残った。
「……あなた、本当に変」
「さっきからそればっかだな」
「だって普通じゃないもの」
レオナルドは不満そうに眉を寄せる。
「じゃあお前は?」
「……何が」
「俺ばっか名前呼ばれて不公平」
「……」
少し迷う。
名前を教えるのは、怖かった。
名前を知られるのは、“自分”を知られることと同じだから。
けれど——そのまま口を開いた。
「……グレース」
「ん?」
「私の名前よ」
レオナルドが目を瞬いたあと、ふっととても嬉しそうに笑った。
「やっと教えた」
「……うるさい」
「グレース。いい名前だな」
彼にそう呼ばれた瞬間、何度も聞いてきたはずの自分の名前が、まるで初めて聞く言葉のように耳に響いた。
呪いのように感じていた自分の名が、彼の声を通すと、少しだけ特別なもののように思えてしまうのが——怖かった。




